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氷河期底辺男がスターリンに転生して日本を赤く染めようとする話

作者: 蛇野目三針

 

 東京の片隅、六畳一間。

 暗くくすんだ色の薄い壁が、隣人の貧しい生活音をそのまま届けてくる。

 山本雄介、四十七歳。

 俺は今、目の前のモニターに表示された「募集終了」の文字を、ただ虚ろに見つめていた。


 俺の人生は、俺自身の努力や能力で決まったわけじゃない。

 全て、親という名の重しによって歪められた。


 親父は、公安にマークされた過激派の残党だった。

 親父が逮捕され、俺自身が公安の「監視対象」リストに載ったのは、高校生の時だ。

 ガキの頃からわけもわからず、クソオヤジが所属している組織の使いっ走りみたいなことをさせられていたから。

 共産主義の歴史、思想、人物について、徹底的にエリート教育で刷り込まれていた。


 俺は完全に親父と組織のシンパだった。


 だから思春期を迎えて、ようやくおかしいと思い始めてからの葛藤と苦悩はすさまじかった。

 自分が如何に同級生や世間のみんなと違う、異常な環境だったのかと客観視した時の絶望。


 なんとかまともになろうという永い戦いの始まりだった。

 必死の抵抗と拒絶、親からの真の意味での自立をするために。


 毒親によってめちゃくちゃになりつつあった人生を取り戻し、なんとかこの国の普通、人並になるために。


 10代後半にはまだ希望があった。

 なんとかなるはずだ、がんばればきっと幸せになれるって。


 20代になって少しだけ疲れてきても、それでも望みは捨てちゃいなかった。

 たぶん、自分の努力が足りない、やり方が悪いのかもって。


 でもいよいよ30代になると、さすがの俺もようやく限界を思い知りつつあった。

 どうにもならないことかもしれないって。

 もう今の時代、この国じゃやりようなんてなかったんかもって。


 就職氷河期とかいう、一番悲惨な時に生まれちまった不幸。

 そしてクソオヤジのせいで公安にマークされてたって事実。


 その二つがどこまでも俺について回って、壁になって立ちふさがった。


 どれだけ勉強して大学を出て就職しようとしても、全部無駄になっちまった。

 結局、残ったのは多額の奨学金の返済と、底辺バイトの収入だけ。


 もういい。

 疲れた。


 俺は自分をこうして追い詰めた共産主義とオヤジが徹底的に憎かった。

 そして同時に俺を拒絶して底辺へと押しやった資本主義とこの国も許せなかった。


 ただ、それだけを抱いて、さっさと死のう。

 そう決めた。


 二〇二五年、秋。

 俺は、ありったけの睡眠薬と安物のウィスキーを呷った。

 意識が遠のき、体が急速に冷たくなっていく。

 これが、終わり。

 やっと、この地獄から解放される。


 そうして俺の糞みたいな人生は終わりをつげたはずだった。



………

 

 突然、感覚が逆流するみたいな違和感が全身を包みこむ衝撃。

 強烈な吐き気に襲われ、俺は目を開けた。


 死んだはず?

 助かっちまったのか?


 見慣れない天井があった。

 石造りの重厚なものだ。

 板づくりの壁に囲まれた部屋。


 ベッド?

 見たことないほど、貧相で素朴な。

 俺の部屋のヤツよりも、よっぽど酷い。

 

「……どこだ、ここは?」


 安アパートの室内でも、救急車の中でも、病院とも違う。

 体が重い。喉がひどく渇いている。


 そして、声が聞こえた。


「同志ジュガシヴィリ、ようやく目が覚めたか?」


 周りには、数人の男がいた。

 濃い髭、がっしりした体格。

 明らかに日本人じゃない。

 だが、俺は彼らの言葉を理解できた。

 違和感なく、日本語のように、意味が直接脳に流れ込んでくる。


 男の一人が、厳しい顔で俺に話しかけた、「同志ジュガシヴィリ」という響き。

 その言葉に、俺の頭の中に電流が走った。


「ジュガシヴィリ……だって?」


 反射的に自分の体に触れる。

 体格は、貧弱だった俺のものではない。

 骨太で、分厚い。そして、鏡を見ずともわかる、自分の顔に刻まれた天然痘の痕。

 左腕が少し短いという、身体的な特徴。


 さらに、脳内に怒涛のように流れ込んでくる、膨大な記憶の奔流。

 グルジア語、ロシア語、社会主義の文献、そして、革命家としての苛烈な道のり。


 俺の人生を破壊した「思想」と「監視」のシステム。

 その源流、その設計図を持つ、一人の男の記憶。


「まさか……」


 震える声で、俺は目の前の男に尋ねた。


「今は、いつだ?」


 男は訝しげな表情で答えた。


「寝ぼけてるのか? 一九一七年、三月だ。皇帝の秘密警察に捕まり、シベリアの流刑地から解放されたばかりでは無理もないが。まさか、レーニンに呼ばれて首都に向かっている途中だってことまでは忘れてないだろうな? ここが安宿の中だってのも」


 ヨシフ・スターリン。

 人類史上最悪の独裁者。


 俺は、親を恨んで自殺したはずの、日本の氷河期世代の負け犬だった。

 それが今、俺の人生を徹底的に抑圧した「システム」の、生みの親の若き肉体に入り込んでいた。


 四十七年間、小さな社会の中でゴミのように扱われた、山本雄介の記憶。

 そして、これから世界を恐怖で支配する、ヨシフ・スターリンの記憶。


 二つの記憶が、俺の頭の中で激しく衝突し、混ざり合う。


 日本の小さな社会で、親の烙印一つで底辺に追いやられた苦しみと怒り。

 そして、この世界を支配し、全てを捻じ曲げる力を手に入れた、独裁者の野心。


 俺の目の奥に、これまで宿ることのなかった、異様な光が灯った。


「シベリア、……か」


 俺は新しい体で、初めて力強く立ち上がった。

 体中に、力が満ちていくのを感じる。


 親の残した負の遺産。

 公安の監視。

 時代の残酷。


 日本の、あの息苦しい閉塞した不寛容で金がすべての醜い世界。

 その全てに対する憎悪が、怒りが、ふつふつと俺の中に渦巻いて、吹き出しつつあった。


「よし」


 復讐してやる。

 親父と日本に。


 いや、この世界に。


 全てを赤く染め上げて、俺の好きにしてやる。

 俺を徹底的に駄目にした共産主義ですべての人間を不幸にしてやる。


 ソ連の失政と共産主義の失敗を極力避けて、本来の歴史以上に世界支配を成功させてやる。

 ドイツもアメリカも手玉にとって、日本本土をT-34が蹂躙する音を轟かせてやる。


 俺はスターリンとして、最初の命令を下すように、低く冷たい声で呟いた。


「詳しい状況を説明しろ。次の予定は? いつ、どこで、何をするつもりだったんだ?」


 目の前の同志たちは、無意識のうちに息を飲んだ。

 彼らが知る元流刑者ジュガシヴィリではない。

 ここにいるのは、冷徹な炎を宿した、新しい怪物だ。


 俺の、そしてスターリンの新たな時代の幕開けだった。



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― 新着の感想 ―
逆恨みも甚だしいわ!
全てを憎んでいる男が有る意味憎しみの中心人物になりかわり。 この後にどんな破壊が待っているか楽しみです。
こんな、逆恨み見たことねえ
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