96.ティティール・レオナードの軌跡
ティティール・レオナードの母親は戦士であった。若く女の身でありながら、彼女は戦場を駆け巡った。
彼女は数々のモンスターを蹴散らし、人々の平和の礎となったのだ。しかし、そんな生活も長くは続きなかった。彼女は足に大怪我を負い、なんとか一命を取り留めたものの、以前のように戦場を駆け巡ることはできなくなった。
人を、救うという生き甲斐を取り上げられた彼女は逃げるようにレオナード王国に帰還した。彼女はその国の出身であった。両親と妹が営む定食屋に足を踏み入れた瞬間、家族が彼女の顔を見て飛び付いてきた。
その時、彼女は幸せを感じた。戦場で生きることは叶わないが、ここで穏やかな人生を送ろうと決意した。
彼女が戻ってきたという噂を聞きつけ、レオナード王国の王子が定食屋にやって来た。少し年下の彼は以前見た時よりも、だいぶ身長が伸びていた。しかも凛々しい顔立ちをしていたのだ。
幼い頃の彼はよくこの辺に遊びに来ていた。その時に年の近い彼女たち、姉妹が遊び相手になっていたのだ。
「足のこと聞いたよ……。でも、命までは取られなくてよかった」
そう彼は言った。その口調は昔と変わっていなかったため、彼女へ少し安堵した。その日はほんの少し話をしたところで、彼は授業があるんだと帰ってしまった。
そんなやり取りを陰で見ていた妹はニヤニヤと笑みを浮かべながら、こちらに近寄って来た。その顔立ちはやはり自分とは似ていないと感じた。
両親は何も言わないが、自分は拾われた子なのだということに薄々気が付いていた。そういう理由もあって、昔は家に居づらかった。しかしそのことを誰にも言ったことはない。
「見てたよ」
「もう趣味が悪いよ。一体、何がそんなに面白いの?」
妹がやけに笑っているので、彼女は意味が分からずに尋ねた。
「だーから、王子様は姉さんのことが好きなの」
「そんなわけないでしょ!」
慌てて彼女はそう言った。しかし、妹は首を振るばかりだった。きっと、自分のことをからかっているのだと思った。幼い頃から、妹にはこういうところがあるのだ。キッと、目をすぼめると妹は口を閉じたが、肩を上下に震わせていたことから、こちらの思いは伝わっていないようだ。
「王子様、かわいそう」
妹はそう言うと、定食屋に戻ってしまった。彼女だけが取り残される。周囲にいるのは人のいい街人ばかりだ。他の国を見てきた彼女には分かる。この国ほど温かい国はない。戻ってきたのはある意味いいことだったのかもしれないと、無理矢理自身を納得させる。
◆
翌日も王子はやってきた。その翌日もだ。そんな日々が数年続いたある日、彼が指輪を渡してきた。呆気に取られている、彼女には彼は頬を染めながら口にした。
「愛してるんだ。結婚して欲しい」
それは予想もしてない答えだった。その時、初めて妹が言っていたことを思い返したぐらいだ。「王子様は姉さんのことが好きなの」。その声が彼女の頭の中で木霊した。彼は慌てて、首を横に振った。
「もちろん、君の意思が大事だ。答えを聞かせてもらえる?」
彼は恐る恐る口にした。その様子は昔とちっとも変わっていなくて――。
彼女は自身の髪を撫でた。
「だって、私……」
「分かってる。でも、そんなことは関係ない。君の思いを聞かせて欲しい」
「……」
頭を下げる彼に、彼女はその日返事をすることができなかった。明日の夕方までに返事をすると伝え、その日は別れた。指輪は彼女の手の中に握られていた。
その晩はとうとう、眠ることができなかった。次の日、彼に返事をした。
「ごめんなさい」
「……」
彼はショックを受けている様子だった。王子である彼に恥をかかせてしまったのだと、反省する。しかし、答えを変えるわけにはいかない。
「どうして……?」
「私は……知ってるでしょ。子供は持たないことにしてるの」
彼女はそう口にした。王族である彼が世継ぎを求めないはずがないと思ったからだ。彼にはもっと相応しい人がいるのだ。立ち去ろうとした、彼女だったが、彼に腕を掴まれる。
「世継ぎなぞ、いらないんだ!! 僕には君がいてくれるだけで十分だよ。国のことは姉夫婦に任せればいいんだ」
彼の目は真剣だった。半年前に、彼の姉が政略結婚をしたことは知っていた。しかし、順当に行けば彼が王位を継ぐのが習わしだった。だが、彼の目は嘘を言っていなかった。
「本当の君の気持ちを聞かせてほしい!」
穏やかな彼の強い言葉を聞いて、彼女は涙を流しながら頷いた。それが答えだった。
◆
彼女と王子は結婚した。彼の両親は結婚を渋っていたが、彼が結婚を許されなければ腹を切ると短剣を取り出すと、口を閉じた。
しばらくは幸せな日々が続いた。最初は反対していた彼の両親も、長女夫婦に子供が生まれると何も言わなくなった。生まれた子は叔父である王子にそっくりだった。彼の義兄が王座を継いだ以上、もう彼は王子ではないのかもしれないが――。
しかし幸せは長くは続かないものである。王様と王妃は流行病に罹り、亡くなってしまったのだ。まだ歩き始めたばかりの幼子に、彼女はすっかり愛情が湧いてしまった。
結果、その子を養子にし、夫とともにこの国の王様と王妃になったのだ。
桃色の髪に、赤い瞳。幼い王女は本当に可愛らしく、彼女によく懐いた。
その頃だった。魔王の軍勢が人間を押し始めていたのは。数年経つ頃には、もう二カ国が滅ぼされていた。そこにはかつての戦友もいた。彼女はジッとしていることができなかった。
「私は行くわ」
「駄目だ! 幼子を置いていくつもりか。足のことだってある。危険過ぎる!」
彼は王女を抱き上げながら反対した。しかし、彼女の意見は変わることがなかった。家族に惜しまれながら、彼女は国を出ることにしたのだった。
「母上ー」
出国する直前、王女が駆けよって来た。まだ幼過ぎる彼女だったが、事を理解しているようだった。
「母上の武運をお祈りしています」
色々と言いたいこともあっただろうに、涙を呑み、そう言う彼女は実に健気だった。彼女は娘を抱きしめた。小さな手が背中をギュッと強く摑んだのを感じた。
「必ず戻ってくるからね」
彼女は娘の頭を撫でると、夫の目を見据えた。最後まで反対していた彼は憔悴しきった顔をしていたが、やがて諦めたように右肩を掴む仕草をした。武運を祈ると言う意味だ。両親も妹も泣いていたが、心の底から彼女の無事を祈っているのが伝わってきた。
「帰ってくるから!」
彼女はそう言うと、手を振った。
◆
かつて戦姫と言われた彼女は戦場で大いにその腕を振るった。彼女は強かった。足のことは確かに彼女の腕を鈍らせたが、それは負ける理由にはならない。
しかし、敵の数は思っていたよりも余程多かった。三カ国目の標的として狙われたダイーズ王国は苦戦を強いられていた。彼女と同じように戦場に駆けつけた、かつての戦友が無残にも地面に転がっている。一緒に酒を酌み交わした仲だ。
「出てこい! 魔王!」
現在の魔王は今までの魔王とは違う。国を滅ぼす時は、部下に任せるのではなく、自身もその場に向かって指揮を執るのだ。人もモンスターももう残っていない。そこに立っているのは彼女だけだった。これで姿を見せないはずがない。返り血が地面に滴った。頭のてっぺんから足先まで真っ赤だ。
「後ろだよ。バーカ」
それは小さな子供の声だった。彼女は咄嗟に斬りつけようとしたが、小さなその容姿を見て娘を思い出した。躊躇った。それは許されないことだった。目の前の相手が子供であろうと、殺すべきだったのだ。
相手に切り刻まれた彼女は倒れ込んだ。死の直前、彼女は子供の姿を目に映した。
「あれ、お前……」
その子は彼女を見て驚いた顔をした。その髪の色も目の色も綺麗な銀色だった。
彼女は続く言葉を聞くことはなく、その命を散らした。彼女の体から溢れる銀色の血が赤い血と混ざり合い、独特の色を生み出していた。
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