93.牢の中で願うもの
鼻歌が聞こえた。それはロロが幼い頃に乳母が歌ってくれた歌だということに、少し遅れてから気が付く。ロロの両親はいたが、どちらもロロに興味はなかった。父親は暴君であったし、母親は無関心でずっと部屋に閉じこもっていた。
だからこそ、ロロの親というのは乳母だった。その人はとても若く、母親と言っても差し支えがなかった。彼女のことを今まで、忘れていたことにロロは自責の念を覚える。
母親と言うべき彼女をどうして今まで、忘れていたのか。もう十年近く前のことになるが、それでも忘れていたことが信じられなかった。
その歌は昔からある民謡のようなものだと、乳母は語っていた。彼女も幼い頃に、この歌を母親から歌ってもらったのだという。もう千年以上前の歌だということしか、ロロは知らない。
まるでその歌に導かれるようにロロは目が覚めた。不思議なことに目覚めはやけにスッキリとしていた。ロロはあまり、寝れる方ではない。そんなロロでも眠れるのだから、余程疲れていたのかと不思議に思う。
目を開けると、ティティールの姿が確認できた。彼女は鼻歌を歌いながら、ロロを膝に乗せていたのだ。
ロロは慌てて起き上がった。即座に周囲を確認する。そこは牢屋だった。壁には蜘蛛の巣が張っていて、埃だらけだ。ロロたちは捕まったのだ。
ソラとアーチェがいないことに少しホッとする。彼女たちは逃げ切ったのだ。近くにはいないことは波動から分かる。ここが牢屋のエリアだとすれば、ソラたちは囚われてはいない。
こんな風景は昔を思い出し、あまりいい気がしない。はやる気持ちを抑え、ロロはティティールの肩を揺さぶった。
「歌を辞めるんだ。体調に障るぞ。お前は知らないかもしれないけど、今は病気なんだ」
リトの食べ物に寒気がすると指摘していたことは、ロロも聞いていた。そうすると、ティティールの粥にも何かしら細工がされていたのかもしれない。そもそも、薬から怪しい。
「ロロ……。だって、歌ってないと気がおかしくなりそうで」
「俺はてっきり、歌ってるから気が狂ったのかと思ったぞ」
牢の中で気が狂い、おかしな行動に出る者は少なくなかった。昨日まで普通であった人が、次の日は笑いながら踊っているということもおかしくない。別にそれは楽しいことがあったからではない。妻子を亡くした彼は完全に狂ってしまったのだ。
だからこそ、ティティールの正気な目を見て、安堵した。少なくとも、正常な判断能力はありそうだ。
「病気って……?」
ティティールが恐る恐る口にする。その瞳は不安に満ちている。ずっと意識を失っていた彼女がそれを知るはずがないのだ。
「ただの風邪だ。気にするな」
ここで真実を伝えても病気は良くならない。それを、知った心労でもっと病状が悪化する恐れがある。真実を伝える必要は今はない。
ロロは話題を逸らした。
「ここは牢屋だろ? ちょっと、たちの悪い人間に捕まったみたいでな。驚いただろ?」
「えぇ、かなり。ゴホゴホ」
「大丈夫か? あまり顔色が良くない」
そうだった。彼女の顔色は薬を飲ませる前よりも酷くなっている気がする。それは恐らく、気の所為ではない。ティティールはしばらく咳き込んでいた。ロロは反射的に彼女の背を撫でた。
「ありがとう。確かにあまり調子が良くないわ。寒気もするし」
それは薬のせいなのか、牢屋の寒気なのか分からなかった。ロロは着ていた上着を彼女に被せた。男物のボロボロの上着で申し訳ないが、何もないよりかはいいだろう。
「リトのせいだ。あいつが、何かしたんだよ」
リトのことは話すつもりはなかったが、自然とその名前が口に出ていた。それを聞いて、ティティールは不思議そうに首を傾げた。
「リトって誰ですの?」
そうだった。彼女はずっと意識を失っていたのだから、リトのことを知るはずがないのだ。うっかりしていた。予想外のことに、ロロは上手い説明が思いつかなかった。
「あー、俺等を匿ってくれた人……?」
「それって、いい人じゃないですの?」
咄嗟に出たロロの言葉にティティールは、さらにわけが分からないという表情をした。ロロは首をひねった。今はそんなことを議論している場合ではない。それに、ティティールは病気なのだ。あまり心労をかけたくない。彼女からしたら、牢に入れられているこの状況もよく分かっていないだろう。
「いや、事情があるんだ。とにかく、ここから抜け出す方法を考えないと」
「見て、あそこに鍵がある」
ティティールが牢の入り口を指差した。いや、示しているのはさらに向こうだ。通路の壁に鍵の束がかけられている。その距離は五メートルほど。腕は当然ながら届かない。そう、普通の腕ならば。
「見てろ」
ロロはニヤリと笑みを浮かべると、牢の入り口に歩いて立ち止まった。今さらながら、ロロたちは何も拘束されていない。周りには誰もいないことからも警備もついていないのだ。なんと、不用心なことか。
ロロは鉄格子の隙間から右手を出した。細い腕は余裕でその隙間を通り抜ける。ロロは左手を使うと、義手に備え付けられていた、青いスイッチを押した。その瞬間手のひらと呼べる部分から、ワイヤが飛び出し、鍵の束を巻き付けた。そのまま右腕を引っ張ると、鍵は牢の中に収まった。
ティティールの目から驚きが読み取れる。
「そんなこと、できますの! どんな職人の技なのよ」
ティティールが驚くのも無理はない。カーデラン然り、アデアの地ではこういう技術があまり発展していない。魔法はアデアの外よりは確実に発展しているが、それ以外の機械技術などは劣っている。
その証拠にカーデランでは、義手や義足の情報を売ることでかなりの金をもらったものだ。
「内緒。こればっかりはソラも知らないからな」
ロロは頷いた。ソラにはあまり義手のことは話さないようにしていた。彼女がロロの腕を見るたびに、罪悪感を感じることは知っている。
だからこそ、露出の少ない服を着て、義手の情報もあまり漏らさなかった。しかし、ソラがそのことに罪悪感を感じることは全くの無意味なのだ。ロロはそのことに対して、何もマイナスの感情持っていない。
そもそも、義手の治療費を払ってくれたのソラなのだ。彼女は自身の血と引き換えに、職人にそれを依頼したのだ。ソラの口から聞いたわけではない。しかし見覚えない傷跡が腕にあれば、子供のロロでもそれが分かった。
銀の血は今でも特殊な力を持つと信じられている。それは科学的に考えると誤りなのだが、彼女たちの種族が何の病魔にも罹らず、老いもしないことはその思い込みを加速させている。鬼族も老いはしないが、病気には罹る。ソラの種族はある意味で神聖だと信じられていた。
ロロは左手で鍵を手に取ると、その考えを振り払った。今は一刻も早く逃げ出し、ソラたちと落ち合うことを考えるべきだ。
ロロはそれらしい鍵を見つけると、手を再び牢の中から出し、鍵穴に鍵を回そうとした。しかし、ロロの体格では一筋縄ではいかなかった。
「私がやりますわ」
ティティールは立ち上がると、ロロの手から鍵を受け取った。彼女が少しふらつく。ロロはその体を抱え込んだ。弱っているのは間違いない。それでもなお、気丈に振る舞っているのは彼女のプライドと言うべきなのか――。
ティティールは少し身をこわばらせたが、小さな腕を牢の外に出すと、鍵穴に鍵を入れると、ゆっくりと回した。小柄な彼女のおかげで、一発で成功する。ガチャリと無機質な音が響いた。
「やりましたわ!」
ティティールは自信満々な笑顔を浮かべた。その表情はいつもより元気がなかった。
「サンキュー、ほら俺の背中に乗れよ」
「いいの?」
彼女の顔が赤く染まり、少し嬉しそうな顔をした。ティティールのことだから、嫌がるのかと思っていたが、そうでもないことに疑問を持つ。
「今は安静にしなくちゃな」
ロロがそう言うと、ティティールが恐る恐るロロの体に自身の体を密着させ、首元に手を回した。
「昔、お父様にしてもらったことを思い出しますわ」
ティティールの声がやけに近く聞こえた。おぶっているのだから、当然のことだ。それと同時に、彼女は紛うことなき親の愛を受けたのだと嬉しくなった。親の愛は受けておいて損はない。
ロロは扉を開けると、牢の外に出た。通路に設置された篝火が消えた。
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