90.二度と戻らない懐かしい日々
中央通りは、とても静かだった。人がいないというわけではなく、買い物をしている人も親子連れも、総じて温和そうだった。誰もが静かに話し、ローブを身に着けている。その中で普段着のソラとロロはかなり目立っていた。どこかで服を買った方が安全かもしれない。
ロロはキョロキョロとしていた。普段とは違う街の様子に興味津々なのだろう。彼の瞳に好奇の目を向ける者はいたが、声をかけてくることはなかった。アユリアが余所者の話をしていたが、意外にも街の人々は無言で通り過ぎるだけだ。それが、ソラにとって逆に不気味だった。
真っ直ぐとその道を歩いていると、路地裏があった。そこには青い看板がかけられており、そこには薬師はこちらと書かれている。
この先に進めば、薬屋に辿り着けるだろう。ソラは路地裏を覗き込んだ。
そこは暗く、周りがよく見えない。危険ではさそうだが――。
「陰気臭いところだな」
ロロがソラの思っていたことを口にする。路地裏が安全だと分かっても、嬉々としてこの中に入る者はいないだろう。それは、ソラだって同じだ。
ソラは無言で路地に足を踏み入れた。ネズミが目の前を横切る。薬草という衛生管理が大事なものを扱っているのに、近くにネズミがいるのは大丈夫なのかと思ってしまう。ロロがネズミを踏まないように足を慎重に運んでいた。
進むごとにランプが増えていく。まだ昼頃だろうが、ここは暗いため灯りが必要なのだ。オレンジ色の光がソラたちを包み込む。
そのランプの列に誘い込まれるように、店に辿り着いた。そこは少しだけ不思議な場所だった。他の家は木造だというのに、その建物は石でできていたが、丸いドーム状になっていて、グリーンカーテンがかかっている。
ここに朝日はないので全くの無駄だが、それが妙に雰囲気を出していた。
家の付近にはキノコも生えていて、少しだけ胞子が舞っている。ところどころに薬草が生えていることから、自分で作っているのだということを理解する。
「おい、誰かいるか! 俺たちの仲間が病気なんだ!」
「ロロ」
ロロが乱暴にドアを叩いた。建物で石でてきていたが、ドアは木製であり脆い。そのため、ソラが止める前にドアを音を立てて家側に崩れ落ちた。
「やべ」
誰かが出てくるのを感知し、ロロが後ずさる。
「キエー!」
突如として家から飛び出してきた杖が、ロロの脳天に当たった。その杖の根元を目で追っていくと、一人の獣人が立っていた。その獣人は耳と尻尾が夕焼けのようなオレンジ色だった。彼のその容姿から、狐を連想させる。獣人というのは年が分かりにくいが、かなり高齢のように思えた。
彼は肩を激しく上下させており、怒りを滲ませていた。突然に、家のドアを壊されればそんな反応にもなるのは致し方ないことだ。
脳天を直撃されたロロが立ち上がり、吠える。
「何するんだよ!」
「……」
彼は杖を持っていない左手をロロに向けた。手のひらがこちらに向いている。近づくなという意味だ。ソラは半歩後ろに下がった。警戒されている。
「何の用だ?」
その声は想像していたよりずっと高かった。見た目が老人だというに、声だけは子供。それはとても不思議な感じだった。先ほど、奇声を聞いてはいたが実際に話すと違ったものがある。ソラは一瞬、口を閉じたがすぐに言葉を続ける。
「仲間の一人が魔風病にかかってしまって、薬を貰いたいのですが」
彼の目の色が変わる。赤い瞳が何度も瞬いた。
「魔風病……。それは一大事だな。しかし、ドアの修繕費は払ってもらう」
彼は原型をなくしているドア、正確にはドアだったものに目を向けた。
「あとにしてくれないか? 死にかけてるんだ」
ロロが言葉を返す。実際、ソダシから貰った金はだいぶ少なくなっている。ティティールもかなりの代金を持っていたが、絵やドレス、タキシードを買うためにかなりの金を浪費してしまっている。修繕費といっても、そんなにすぐに払えないというのが現実だった。
それを聞いて、相手はため息をついた。
「まぁ、いい。どうせ、リトのところだろ? あとで、あいつにつけておくさ」
その口調から、彼とリトは知った仲なのだと思った。だが、リトに迷惑をかけるわけにはいかない。金はあとで、工面しなければならない。
「言わなくても分かるんだな」
ロロが剣の柄を撫でながら、呟いた。その言葉に彼は頷く。
「余所者を匿うのは、いつもあいつだ。正しくはあいつの両親だったがな」
リトの両親。きっとリトのように温厚な人だったのではないかと思う。人の行動にはその人を形成するための、要因となる人物の特徴が多く出る。隠していても、それは分かる。騙すことはできないのだ。
あの家にはリト以外は住んでいなかった。彼の口調からも、もう亡くなっているのだと予想はつく。
彼は家の中に入ると、手招きをした。中から薬草の独特の匂いが漂ってくる。あまりいい匂いではない。様々な薬草の匂いが混ざり合い、独自の奇妙な匂いを醸し出していた。アーチェも薬草の匂いがすることはあるが、ここまで強くはない。それほど、ここにある薬草の数は多いのだ。
ロロも同じように感じていたようで、家の中に足を踏み入れただけで、口元をスカーフで覆った。
彼は杖を地面につけたまま歩き、薬草の束を手探りで確認していく。リボンでまとめられた薬草が同じたらいに入れられているのだ。同じものに入れて大丈夫かと不安になるが、ソラに薬学の知識はない。
彼は最終的に青い束の薬草、そして赤い束の薬草を交互に見た。それは何かの決断に迷っているような態度だった。しかし、その反応は一瞬のことだった。彼はすぐに元の表情に戻り、青い束の薬草をソラの手に渡した。薬草のふわりとした感触がソラの手をくずくる。
「これを煎じて飲ませることだ。少しは良くなるだろう」
彼は目を瞑りながらそう言った。他の薬草と違い、これは無臭だった。そのため、鼻につく不快感もない。
「ありがとう。えーと」
ソラは彼の顔色を伺った。そういえば、彼から一度も名前を聞いていなかった。ソラたちも名前を名乗っていないため、そこは似た者同士だが。
「俺の名前は覚えなくていい。俺もお前らの名前はどうせ覚えない」
彼の口調は淡々としていた。その言葉は今までのどんな言葉よりも冷たく、早くここから出ていって欲しいという気概を感じた。ソラは軽く挨拶を済ませると、家から出た。
ソラが最初に名前を名乗らなかったのは、きっと彼がそんな雰囲気を無意識に纏っていたからだ。ロロが路地裏の先頭を歩いた。ソラも足を急がせる。街の屋根を伝っていけば早いのにと、少しだけ歯がゆく思った。
◆
ドアが壊れた家の前には彼一人だけが残された。彼は家に入ると、壁を眺めた。そこには上からローブが垂れ下がっており、中のものを見えなくしている。
彼がゆっくりとローブを持ち上げると、一枚の写真があらわになった。そこには幼いリトとその姉、そして自分の姿が写っていた。懐かしい写真だ。もう何年前になるのだろう。
みんなが幸せそうに笑っている。それはどこからどう見ても幸福な「人間」そのものだった。
彼はその写真を指先で優しく撫でた。その指先の動きを見ていれば、彼がどんなに写真の人物を、そして写真を撮った日々に優しい気持ちを抱いてるかが分かるだろう。しかし、その光景を見ている者は誰もいなかった。
この先も彼の本意を知る者はいない。誰もいなくなった家の中で彼は一言、呟いた。
「リト、悪いな。でも、これで全てが終わるよ。姉さん」
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