82.身を堕とした少年と片翼の少女 後編 外伝(本編に深く関わります)
それからティオは、医者として生きるようになった。
ティオは、色々な街で医術を施しながら長いこと旅を続けていた。ティオはいつの間にか大人になっていた。自分が幾つかなど、もう覚えてはいなかった。
いつものように彼が水辺で薬草を摘んでいると、小さな声が聞こえてきた。それは誰かに助けを求めるような悲痛に等しい声だった。
ティオはその声を辿って走り出した。
助けを求めていたのは、片翼しか持たない鳥人の少女だった。足を怪我して動けなくなっているようだ。その足が水に浸かっている。
片翼。ティオはそれを初めて見た。見た感じ、怪我をした形跡もない。生まれつき片翼のようだ。それは黒い翼だった。烏のように黒い。彼女は紛うことなき鳥人。
ティオの中に何も複雑な感情がないのかと聞かれると、そんなことはなかった。鳥人に襲われた幼い頃のあの光景はまだ消えない。しかし、ルミナスの目がティオに焼き付いていた。命を決して見捨ててはならない。それは怪我人であってもきっと同じことなのだ。
「あの、大丈夫ですか?」
ティオは声をかけた。医者として生きている間に、ティオの話し方はとても丁寧なものへとなっていた。
彼女はゆっくりとこちらに瞳を向けた。彼女の桃色の瞳はただただ純粋で、そこに悪意の欠片もなかった。深紅の髪色もただ美しかった。それは太陽のような輝きを放っていたのだ。髪が少しはねていて、それも印象的だった。
「足を怪我しちゃって……」
彼女はか細い声でそう言った。消え入りそうな声だった。ティオはあれから幾つかの言語を習得していた。鳥人の言葉も大体理解出来た。
「大丈夫ですよ。すぐに手当てします」
ティオは彼女を安全な場所に移動させると、足を診た。彼女の瞳がティオの目にずっと残っていた。
それから何度かその川の近くで会うようになった。それで知ったことだったが、この近くに鳥人の村があるということだった。彼女はそこから来ているのだと言う。
名前をリヴォルネといった。それは鳥人の言葉で失敗を意味する。その名前を知った時、彼女の親が彼女に抱いている感情を容易に推測出来た。酷い名前だと思った。
彼女は同族から酷い差別を受けていた。翼を誇りとする鳥人にとって、両腕に翼を生まれつき持たないというのはとんでもないことだった。
怪我をして翼がない者よりも、遥かに激しい差別を受ける。彼女の話はどれも酷いものだった。その日、怪我をしていた足も同族にやられたのだ。
彼女は村長の娘だというのに、親族からも邪険に扱われていた。村の中の古い物置小屋でひっそりと住んでいたのだ。彼女は五人姉妹の三番目の子供だったが、姉や妹も彼女を疎んだ。
孤独に生きてきた彼女の心根に触れた時、ティオの心に新しい感情が芽生えた。少女の儚さに徐々に惹かれていったのだ。彼女は他の鳥人とは違った。偉ぶらなかった。
いつしか、ティオは彼女を救いたい、支えたいと思うようになった。
彼女が結ばれるのに時間はかからなかった。ティオは彼女にダイヤのついたネックレスをプレゼントした。リヴォルネは涙を流して喜んでくれた。
ティオは鳥人語でダイヤを意味するスジャータという名前はどうかと言ったが、彼女は首を横に振った。親から貰った名を捨てたくないところが、彼女らしい。
やがて二人は結ばれ、ティオは鳥人の村で暮らすことになった。本来、鳥人は勝手に他種族との結婚を禁止としていたが、周りのことは気にしなかった。
高慢で誇り高い鳥人たちの中で、ティオはただの外来者ではなく、医者として、そして理解者として彼らに寄り添うことにした。心の奥底で、彼は思った。
「この種族だって、変えられる」
ティオに尽くしてくれた医者のように、彼等に接するのだ。そうすれば、いつしか彼等を変えられるのではないか。人を変えるのは力ではなく、優しさなのではないかと思うようになったのだ。
先日、リヴォルネの妹が川で溺れて亡くなった。だからこそ、助けられなかったことが惜しい。
医者として過ごしていても、村の人達にはかなり疎まれた。だが、二人でいればそれはなんにも辛くなかった。二人で物置小屋を診療所に改造し、穏やかに過ごした。
そして、二人の間に子供が希望が生まれたのだ。しかも子どもは双子だった。腕に抱くと愛らしくてたまらない。どちらも男の子だ。
初めて、自分が親にもらった愛情を、今度は自分が注ぐ番だと実感する。一人目はティオ譲りの金髪と、リヴォルネ譲りの瞳の色。顔立ちは母親に似ていた。
二人目はリヴォルネ譲りの赤髪とティオ譲りの碧眼を持って生まれてきた。顔立ちはティオ似だった。
二人は両親の特徴をバランスよく継いでいるように思われた。
二人ともその両腕には翼が生えていた。しかし一人目の方は鳥人にしては随分と小さな翼だった。これでは、空を飛ぶことは出来ない。二人目は鳥人として申し分ない翼の大きさだった。しかし翼の大きさなどティオにはどうでも良い。
その小さな翼を広げて、こちらを見てくる二人の姿にティオはこの存在を絶対に守らなければと思った。
この存在だけは絶対に奪わせない――。彼はそう誓ったのだ。
リヴォルネの腹は妊娠中、そんなに目立たなかった。ティオ自身が診察をした時も二人いることには気付かなかった。だからこそ、子供用のベッドは一つしか用意していなかった。
「大変だ! ベッドを作らなきゃ!」
それだけではない。日用品も全て二人分揃えなくてはいけない。笑顔で慌てるティオをリヴォルネは笑顔で見つめていた。しかし、その表情はいつもより少し曇っているかのように思えた。今、思えばそのことにもっと早く気付けば良かったのだ。
その後、すぐに名前を付けようという話になった。ティオたちが片方ずつ名前を付けることにした。彼女は一人目の子供に希望の空を意味するアーチェと付けた。とても良い名前だと思った。
彼女は自身の名前に何か思うところがあったのだろう。アーチェと立派な名前を付けてくれたことに、ティオは感謝した。
二人目の名前はティオが付けることになった。子供の名前を付けることになった時、真っ先に思いついた名前があった。それは――。
「ルミナス……」
その名前を久しぶりに呟いた。ルミナスと名付けられた赤ん坊はスヤスヤと眠っていた。穏やかで優しい子に育ってほしいものだ。いや、きっとそうなる。彼女の血を引いているのだ。
しばらくは幸せだった。村長は孫の誕生だというのに、一度も見に来なかった。最近、村長の妻に不幸が起きたらしい。しかし、それにしても彼は一度も孫を見ることはなかった。彼等の目を気にすることはない。リヴォルネもしばらくは落ち着いていた。
しかし、幸せは長くは続かなかった。彼女は理由を告げず家を去ってしまったのだ。彼女は何も前触れを見せなかった。子供用のベッドにはアーチェだけが寝かされていた。ルミナスはいなかった。ベッドにルミナスの白い羽根が落ちていた。
禁忌の子を作ったのだから、村人からティオの見えないところで辛いことを言われていたのかもしれない。我が子の小さな翼を見て、心を痛めていたのかもしれない。それでルミナスだけを連れて行ったのかもしれない。真実は分からなかった。しかし、彼女が何かを思い悩んでいたことは確かだ。
ティオは自身の不甲斐なさを悔いた。自身がもっとしっかりしていれば、彼女にそんな決断をさせることもなかったのかもしれない。アーチェから母親を奪うことなどなかったのだ。
ティオは家の中の扉という扉をすべて開けて彼女を探したのだ。物置も――ティオたちが一から改造して作ったその診療小屋から、彼女の姿を探した。リヴォルネが大事にしていた日記も日用品も全て無くなっていた。
彼女の姿はもうどこにもなかった。ティオは彼女を探しに行こうと思った。まだ間に合うかもしれない。
その時、泣き声が聞こえた。ティオは不意に家の中を振り返った。
小さなベッドに寝かされたアーチェが泣き喚いていた。その子は滅多に泣かない子だった。そんな子が大声で泣いていたのだ。ティオにその小さな手を必死に伸ばしていたのだ。まるで「行かないで」と言わんばかりに。
ティオは泣きながら、我が子を抱きしめた。小さな体。この子にはティオが必要だ。この子を少しの間も一人にするわけにはいかない。母親だけでなく、父親も失わせてはいけない。惜しみない愛情をこの子に注ぐのだ。
ティオは泣きながら、ただ一つ誓った。
「俺が、この子を守る……どんなことがあっても」
かつて奪われ、怒りに支配されていた少年は、今や命を守る父となった。悲しみと憎しみを知った少年の姿はそこにはなく、一人の我が子を育てる医者の姿がそこにはあった。
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