81.身を堕とした少年と片翼の少女 前編 外伝(本編に深く関わります)
ティオが初めて血の匂いを嗅いだのは、まだ少年のころだった。
夕暮れの光が、家の小さな食卓を柔らかく照らしていた。
ティオは笑いながら、母の作ったスープをすすった。父は、少し焦げたパンを手に取りながら、妹の頬を優しく撫でていた。暖かく、穏やかな時間。ティオにとって、この家族のひとときが何よりも宝物だった。
「ティオ、おかわりは?」
母の声に、ティオは元気よくうなずき、パンを手に取った。その瞬間、空気が変わった。
窓の外から、鋭い羽音が家の中に押し寄せる。
扉が破られ、冷たい風と共に、鳥人たちが踏み込んできた。腕に無数の羽を生やした彼らは、人間を見下すように笑った。手には剣が握られている。
「逃がさないぞ」
今、思い返すと鳥人語で彼等はそう言っていた。父が立ち上がり、ティオを抱きかかえようとした瞬間、鳥人の一人が腕を振り下ろし鋭い爪を振るった。母も妹も父も、一瞬にして血に染まる。
ティオは叫び声を上げた。彼の手は震え、口の中は血の味がした。奪われたものの大きさに、胸が押し潰されそうだった。
母も妹も彼等の剣の餌食になった。さっきまで、ティオたち一家は楽園にいた。しかし、そこから一瞬の出来事で引きずり降ろされたのだ。それは理不尽以外の何物でもなかった。
母の絶叫が――妹が恐怖で泣き叫ぶ「音」が聞こえた。ティオは動けなかった。父親の体に抱きかかえられていた。
奴等は笑いながら生き残ったティオに剣を振り上げようとした。怒りが湧き上がった。それは今まで平凡で幸せな家庭で生きてきたティオの心を一瞬で塗りつぶした。自分が死んだのを感じた。この瞬間、ティオは相手の命を奪うことを考えた。
ティオは父親の体から這い出ると、その鳥人に飛びついた。鳥人の体重は人間のティオよりも軽かった。彼が落とした剣をティオは拾うと鳥人の胸に突き刺した。
相手の鳥人はすぐに絶命した。残りの鳥人たちが唖然としている中、ティオはもう一人を片付けた。我に返った数人がティオを襲いに来る。
自分が何をすべきか体が分かっていた。ティオは剣を構えるとただ、ひたすらにそれを振るい続けた。
気が付くと、ティオは血の海の中にいた。ティオに命を奪われた鳥人が――鳥人が奪ったティオの家族がその海に身を浸していた。両者の血は混ざり合い、もはやどちらの血か分からなかった。
ティオは剣を握りしめた。力があれば誰からでも何でも奪えるのだ。それを身を持って学んだ。
その日からティオは怒りと憎しみに身を堕とした。
ティオは、闇に生きる強盗となった。街道を行く旅人、森に迷い込む冒険者、彼にとってはすべてが標的だった。奪うことで、自分の失ったものを少しでも取り戻せると思ったのだ。相手が鳥人であれ人間であれ、彼の中の怒りは変わらなかった。
ある夜、いつものように荒野で襲撃を終えたティオは、奇妙な少年と出会った。その少年は不思議な雰囲気だった。どこかで見たことがあるような気がした。
少年は穏やかな笑みを浮かべ、ティオに声をかけた。
「君は、きっと立派な医者になるよ」
その一言をティオに投げかけた。ティオは首をかしげた。こんな俺が、医者。
笑いが喉の奥で干からびるようだった。ティオは少年に向けて、剣を振るった。彼からも奪うのだ、そうしなければと思った。しかし、剣を振り下ろしたときにはもう少年は消えていた。夜の闇に少年の姿はなかった。
あとから夢を見たのかもしれないと思った。
年月が流れ、ティオはさらに悪事を重ねた。腕力は誰にも負けず、恐れられる存在となった。ティオはまだ子供だった。しかし、彼に剣の才能、戦いの才能があったことは誰が見ても明らかだった。
ティオの体は剣を振るうためにできているようだった。
ティオは自身の力に溺れた。気が付くと、彼は奪うことを快感に感じるようになっていた。最初は憎しみで動いていた彼も、段々と奪うことの楽しみに目覚ていったのだ。多くの者を殺す狂気的なその姿に人々は怯えた。
しかし、そんな生活を長く続けられるわけではない――。ティオに恨みを待つ者は年月とともに増えていった。
ある日、とうとう因縁による報復を受けたのだ。ティオは重傷を負って倒れた。相手は何とか返り討ちにしたが、血にまみれ、動けなくなってしまったのだ。出血が止まらない。ここで死ぬのだとティオは思った。
しかし、そうなっても仕方がないことなのだ。ティオも奪われたから奪った。いつだって強者が弱者から奪う。命が奪われてもそれは自然の摂理なのだ。そう思わないと、平静を保つことができなかったのだ。
いつしか、ティオは罪人の道を歩んでいた。
ティオは死を覚悟した。死ねば家族に会えるかもしれない。
「いや、俺は罪人だから、天国には行けないか」
だが、そうはならなかった。彼の前に誰かが姿を現したのだ。その人物は医者だった。彼は何の躊躇もなく、ティオを助けた。
彼はティオを診療所に連れて行った。
最初、ティオは反抗し、暴言を吐き続けた。だが、医者は決して怒らず、淡々と手当を施した。ティオに彼の行動が理解できなかった。なぜ、自分のような人間を助けたのかと――。
ティオの見た目はどう見ても普通ではない。目は血走っていて、体は血まみれだ。
それに、ティオのことを知らない人間はこの辺りにはいないのだ。医者は今までのティオの悪行を知っているはずだった。なのに助けた。
「どうして、俺を助けた? 俺は大勢殺してるんだぞ」
「……」
医者は黙っていた。彼は口が聞けなかったのだ。彼の喉には火傷の跡があった。
それが分かったのは、助けられてからだいぶ経ったあとだった。
だからこそ、彼は自身の考えを、想いを行動で伝えた。優しい言葉を投げかけられるよりも、その方がずっとティオに響いた。
彼がティオを治療するたびにティオの心が浄化されていくようだった。彼のような人をなんというか。ティオはそれを知っている。聖人だ――。
その姿にティオはかつての家族の姿を思い返していた。彼はあまりいい環境で生きてこなかったのではないか。それは喉の火傷からも察せられた。
彼は人を治し続けた。種族問わず色々な人を診た。鳥人は珍しいため、来ることはなかったが獣人、人間族、エルフ、ドワーフ。彼は別け隔てをしなかった。彼には名前がなかった。だから、みんなは彼のことを「ルミナス」と呼んだ。
ルミナスという名前は彼にピッタリだった。人を助ける彼の手はとても輝いていたから――。
ティオはそれを彼の家のベッドで寝かされながら、ずっと見ていた。
最初は理解できなかった。医者の考えていることが。しかし、ティオはその静かな優しさに徐々に心を動かされていった。
彼のように人を助けたいという思いが沸々と湧き上がってきたのだ。それは生まれて初めての感情だった。気が付くと、ティオは彼の治療を手伝うようになっていた。
彼がティオに医術を教えることはなかった。だからこそ、ティオは目で見てそれを学んだ。彼はあえて、ティオにそれを見せているようだった。
怪我が完治してもティオはそこに居続けた。ルミナスは何もそれを咎めない。ずっと笑顔なのだ。
そして彼は医者の弟子となり、初めて人を救う喜びを知った。ティオは医者として彼を支えることにした。彼のようになりたいと心から思ったのだ。
我ながら調子のいい男だと思う。しかし神は残酷だ。ルミナスは病気になってしまった。
患者の流行病が移ったのだ。ティオは原因の患者を診療所から追い出そうとした。まだ年端もいかない少女だった。それをしようとした時、起き上がることも辛いはずのルミナスが、ティオが顔を上げた。
それはティオを咎めていた。話さないからこそ、彼の想いが真っ直ぐにティオへと伝わってきた。恥ずかしいことをしたのだと思った。
ティオは患者をベッドに戻した。ティオはそれから、二度と患者を見捨てることはしないと誓った。目の前の命を決して見捨てないと――。
ティオは必死で看病をした。そのおかげか幼い少女の体調はどんどん良くなっていた。しかし、もう若くないルミナスはなかなか、良くならなかった。
ある日、ティオが目覚めると誰かに頭を撫でられた気がして飛び起きた。ティオは看病疲れでルミナスが寝ているベッドに頭をつけて寝てしまったのだ。
ルミナスは死んでいた。呼吸は止まっている。しかし、安らかな顔をしていた。その顔は自身を不幸だと思っている人間ではなかった。
ティオはルミナスを埋葬した。診療所も閉鎖する。片付けをしていた時、あるノートを見つけた。それは彼がとても大事にしていたノートだった。いつも、彼はそれを書いていたのだ。病に伏せている間も時折書いていた。
決して中身を見てはいなかった。ティオはそれを初めて開いた。
その瞬間、驚愕した。そこには膨大な医学の知識が書かれていた。本なんかよりもずっと分かりやすい。
これが自分のために書かれた本だということは、ティオにでも分かった。
いつしか誰かが言っていた。ティオは医者になるのだと。あれは預言者だったのか――。ティオはその本を持って、その場をあとにした。名残惜しかったが、一度も振り返らなかった。
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