79.親の執念
「ねぇ」
ソラが城下町までの道を半分歩いた頃だろうか、一人の女の声が聞こえた。それは、ソラの知っている声とは明らかに違う声だ。しかし、人には抑揚の付け方などの話す時の特徴がある。だからこそ、彼女がそれだとはっきりと認識できるのだ。
なぜ、初めてこの話し方を聞いた時に気が付かなかったのか。
記憶は失っても、感覚というものは残るものではないのか。ロロは何かを本能的に感じてたというのに。
ソラは振り返ることをしなかった。振り返った自分が何をしてしまうのが、分かりきっている。こんな終戦の場所で再び表沙汰を起こしてはいけない。
「何ですか?」
ソラは立止ったままそう返した。彼女との距離は、人が声を聞き取ることができる最低限の長さだろう。遠目に見える人々はソラたちが話していることすら、分からないはずだ。
それでいい。彼女と話しているのはソラにとっておぞましいことだ。
「ロロってさ私が殺しちゃってもいい?」
その瞬間、ソラのあらゆる細胞が沸き立つ。これは怒りとか憎しみなどという、生易しいものではない。
それは言葉に表すことができないほどの、どす黒い感情だった。
ソラは相手の首元に勇者の剣を突きつけていた。体が自然と動いていた。今すぐ、こいつを殺せと体中のあらゆる部位が言っていた。しかし、刃は首を切断する直前で止まってしまう。彼女はそれを手袋を着けている左手で受け止めていた。
手袋は淡い光に包まれている。納得した。彼女が昔、あれだけ強かったのは、魔法を使っていたからだ。一体、どこでそんなものを習ったのか、それとも自身で辿り着いたのか、そんなことはソラにはどうでもいい。
彼女の容姿は昔とは明らかに違った。まず特徴的な片翼がない。そこにあるのは、猫耳と縞のある尻尾だけだ。顔立ちは世間一般で言うところの、愛らしいには入るだろう。しかし、そんなことは彼女の内面を測る材料にはならない。
彼女への嫌悪感というものは、見た目ではなくその中身なのだと改めて認識させられる。
彼女は刃を向けられたというのに、ケロッとした顔をしている。それは普段とは全く変わらない表情だ。
「酷いなぁ。せっかく、娘に会いに来たのに、いきなり攻撃?」
「娘じゃない」
言葉を交わしたくはないが、つい条件反射で否定してしまう。しかし、相手は気にした様子すらない。ただ、顔に疑問の色を浮かべている。
「そう? 私が名付けて、育てたんだから娘じゃないの?」
ソラはため息をついた。あれが親と言えるだろうか。狭くて泥臭い所に閉じ込め、ただひたすら労働力として働かせる。彼女は再び言葉を紡ぐ。ソラの形相には気にした様子すらない。
「ほら、私昔に子どもをなくしたっていう話をしたことがあったじゃない?」
「……」
「ルミナスって言ってね、凄く可愛かったの。でも、ある日、大嵐の日に見失っちゃってね。あれは悲しかったわ」
「貴方みたいな親に育てられなくて、その子はとても幸福だったでしょうね」
昔から耳にタコができるほど聞いていたその話を、ソラは皮肉で返した。話したくはないが、これ以上彼女の言葉が続くのは耐え難いものがある。
彼女はソラの剣を左手で握りしめた。もう淡い光はない。彼女の手は真っ赤に染まっていく。赤い血が地面に滴る。
「ねぇ、ソラ。私ね魔王様と手を組んだの」
「……」
「仲間にならない? 貴方、勇者なんでしょ? これも勇者の剣。私、貴方と戦うのは嫌なんだけど」
ソラは笑みがこぼれそうになるのを必死に抑えた。この人は信じているのだ。自分は惜しみない愛情を相手に与えていると。だから、ソラも自身の娘なのだと。反吐が出る。こんな生物は存在してはいけない。
「お断りします。でも、それを言われて勇者としてのやる気が出てきましたよ。お前は必ず私が殺します」
目の前のそれが魔王軍に入ったというのなら、ソラはそれを討ち取ろう。勇者としての責務など関係なく、ただそれをこの世から消すために――。
「うーん、愛された人に殺されるって幸せってていうけど、それは子の場合も適応されるのかしら」
彼女の話し方はどんどんと昔に戻ってきている。ソラの負の感情が深まっていく。
「ソラ!」
「アーチェ……」
後ろから聞こえる声にソラは呟いた。ソラはもう剣を引っ込めて、鞘に戻している。
声の主はアーチェだ。癖っ毛の金髪を逆立て、不安そうにこちらを見ている。今、彼女とソラの距離は近い。会話をしているのは一目瞭然だ。
「遅いから、何かあったのかと思って」
「何もないよ。ただ、これに道を教えてただけ」
ソラは目の前のそれを指差した。
「? そう?」
いつも通り会話をしようとしたが、つい口調が投げやりになってしまう。アーチェは首を傾げていたが、やがて呼吸を整えた。
「あ、あれ! テレーナじゃないか。いきなり、いなくなったから心配してたんだよ」
アーチェはソラの影に隠れていた存在に気が付いたようで、目を見張った。テレーナはアーチェを黙って見据えた。そしてある言葉をこぼした。
「相変わらず父親にそっくりね」
「父親? 僕の父さんを知ってるの?」
その言葉にアーチェが反応する。
嫌だ。つまりそういうことなのだ。信じたくはなかった。アーチェが人間族とのハーフと知った時から嫌な予感がしていた。
彼女はよくソラに言っていたではないか。夫は人間であったと――。
そうなれば、必然的に子どもはハーフということになる。
「知ってるよ。よく知ってる。お医者さんでしょ?」
その言葉には悪意がこもっているように感じる。アーチェの父親は医者だったのか。アーチェの人格をみる限り、父親は決して悪い人間ではなさそうだ。まぁ、実際のところ分からないが――。
しかし、アーチェはその真意には気が付いていない。
「そうだよ。ひょっとして、父さんの患者? 君がかかっているところは見たことないけど」
彼女の体の持ち主は――テレーナは十四歳であったはず。アーチェよりかは歳下だ。
その言葉に彼女は口元を押さえながら笑った。
「そうね。そうとも言えるかも。貴方のことはよく知ってるの。貴方の父親はよく貴方のことを馬鹿にしてたわ。飛べなくて恥ずかしい子だって」
その言葉に空気が張り詰める。ソラはアーチェの顔色をうかがった。温厚な彼は怒るのだろうか。そういえば、彼が怒りに身を任せているところを、見たことがない。しかし、そんな彼でも今の発言に気を悪くしたことは容易に想像できる。
親を馬鹿にされて、喜ぶ人間などいない。
「……、父さんはそんなことを言うもんか」
アーチェの表情は読み取ることはできなかった。
「そうね。だから、あいつは駄目なの」
彼女は下を向いた。アーチェが敵意にまみれた瞳で彼女を――リヴォルネを睨みつけている。
「じゃあね、ソラ。また会いましょう」
彼女は手を振ってその場を立ち去ろうとした。左手からは血が垂れていたが、ソラはそれを無視した。アーチェも傷を気にしていたが、治療をする雰囲気ではない。
ソラは最後にあることが気になっていた。だから、尋ねた。
「リヴォルネ。貴方の子は本当に風の中に見失ったんですよね?」
「……、ええ、そうよ。私の大事な一人息子はそれで
風に呑まれてしまったの」
リヴォルネはそう言い残すと、夜の闇に消えていった。ソラは剣を強く握りしめた。大丈夫、彼女ならいつでも殺せる。
勇者の白銀の剣が一瞬だけ、闇の色に光ったことは誰も知らない。
************************
ここまで読んでくださってありがとうございます!
面白かったと思ってもらえたら、ブックマークやポイントを入れていただけると嬉しいです。
次回もよろしくお願いします!




