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78.そして彼女は


「ソラ、大丈夫?」


 アーチェが膝まずいて、こちらを覗き込んでいた。


 少しの間、気を失っていたようだ。そのことは、敵が一人もいなくなっていたことと、多くの兵士が民間人を保護していたことからも明らかだった。


 ソラは上半身だけを起き上がらせた。


「私、どれくらい気を失ってた?」


「え? うーん、三十分ぐらいかな」


 三十分。その言葉にソラは絶好の機会を逃してしまったと思った。剣の位置を確認する。剣はしっかりと、鞘に戻されていた。


「ロロはどこ?」


「あぁ、僕は見かけてないんだ。まだ戦いが終わったばかりだから」


  彼が目を伏せた。ソラはロロの波動を感じ取れることを思い出した。ロロは南の方にいる。突然のフラッシュバックに頭が働いていない。


 ソラは起き上がった。アーチェも慌てて、立ち上がる。


「ソラ、あまり動かない方が――。頭を打ったんだから」


「頭を打つか……」


  その言葉にソラは始まりを思い出した。この旅の始まりを――。それと同時に、あの少年を探さなければと思った。キョトンとするアーチェにソラは笑顔を向けた。


「もう大丈夫だよ。他の人を診てあげて。私はロロを見てくるから」


「そう? んー、分かったよ」


 アーチェは少し葛藤していたが、ソラの瞳を見て頷いた。彼に回復魔法は使えないが、今はそんな医者の手でもありがたいだろう。


 ソラは何年も一緒にいる少年の元に歩き出した。傍にはティティールもいる。




************************



「ロロ」


 ソラが声をかけると、彼は嬉しそうに顔を上げた。


 その顔をソラは何百回も見てきた。右足からは出血をしていた。既に包帯が巻かれている。そこまで重傷ではないようだが、満足に歩けないのだろう。


 彼は街の壁に背中を預け、少し苦しげに息をしていた。


 ロロの傍らにいたティティールもその言葉に釣られるように、頭を上げた。


「ソラ? 無事だったか。ちょっとへましちゃってさ」


「そうなのです! でも、ロロってば、かなり頑張ったんですよ!」


 ティティールの言葉はソラの耳には入っていなかった。幼い彼女はやけにロロを心配している。その頬が少し紅葉しているのを見て、そういうことかと、妙に納得した。


 ロロの顔立ちは整っているし、外面は乱暴なだけで、その内面は優しいのだ。だからこそ、ソラはロロにその真意を聞かなければならなかった。


「そう……。ねぇ、ティティール、少しだけ二人きりにしてくれない?」


「……」


  この問い方はいけなかっただろうか。しかし、彼女は意外にもあっさりとそれを了承した。


「分かりましたわ。ではロロ、用が済んだら呼んでくださいね」 


「あ、あぁ」


 彼女はソラに疑惑の目を向けていたが、やがて街の角に消えた。彼女がその姿を消すと、ロロが肩を落とした。ティティールの前では人一倍、気を張っていたようだ。


「ソラが無事でよかったよ。確認に行けなくてさ」


 正確には頭を打ったのだが、黙っていよう。今は言う意味がない。ソラは屈み込み、ロロの両肩を掴むと、壁に押さえつけた。


 彼の目が困惑で揺らぐ。こういう時に強気で出れないのはロロらしいと思う。


「そ、ソラ? どうかしたか?」


「ローレンツ・ヴァン・ローテリア」


「!」


 ソラが呟いたその一言にロロの瞳の色が変わる。彼の髪が風に揺れ、右目が露わになる。この言葉が何を意味しているか彼には分かるのだ。彼は周りが思っている以上に、賢い。


「昔、そう名乗っていたね」


「……」


  ソラの言葉に彼は黙り込む。感情的に怒鳴ったり、とぼけたりはしない。


「一つだけ、聞きたいんだ。どうして、こんなことをしたの?」


 直訳をするのなら、「どうして私の記憶を失わせたの?」だ。


 あの日、薬を飲まされる前にロロからわたされたのはスープだった。恐らく、あのスープに薬は仕込まれていた。


 ロロは気が付かないと思っただろう。しかし、ソラはずっと昔はかなり強く味を感じることができた。入っている食べ物の名前を当てられたこともある。そこに土がひとかけらでも入っていれば、普段はどんなに不味いスープでも気付いたものだ。


 だが、ロロはそれを知らない。出会った時期からして、ソラの舌は一般的な感覚だと思っている。むしろ、不味いものを平気な顔をして食べることから、少し鈍いと思っていたのではないか。実際は鈍いどころの騒ぎではないが――。


 ソラは自分の食べ物に何を仕込まれても気が付かない。だからこそ、ソラはロロを信頼していた。ロロが用意してくれたものなら、疑わずに口にすることにしていた。


 その気持を裏切られたと感じた。


 彼はしばらく黙りこくっていたが、やがて口を開いた。ロロはソラの両肩を掴む。


「忘れさせたかったからだ!」


「何のために?」


 ソラは淡々と尋ねた。彼の真意が分からなかった。


 それを聞いて、ロロが目を伏せる。彼の左手が震える。


「分かるだろ?! ソラが傷付いていくのが見てられなかった。あのことを機に、君はおかしくなっていった。だから、俺は何とかしてやりたかった!」


 その言葉を聞いて、ソラは呆れた。ここまで長く一緒にいて、どうしてここまで盲目的にソラを信じられるのだ。


「ロロは私のこと、何も分かってない。これが私の本性なんだよ?」


「そんなことない! 君はいつだって、人に優しくて立派な人間なんだ」


 ロロは本気でそう信じ切っているようだった。しかし、それはソラの人間像とは当てはまらない。


「……。そう思ってたんだね。いいよ、ロロ。これ以上は理由を聞かないから」


 理由を聞いても理解できなかった以上、これより先を聞いても無駄な時間だ。意味がない。ソラの瞳に彼の右手が映った。それは金属でできている無機質な腕だ。ソラはその腕をゆっくりと撫でた。


「こんな私でもね、悪かったと思ってるんだよ。君にはそれ相応の償いをするつもり」


「償い……だって! 俺はそんなことをされる立場じゃない! むしろ、俺が君にそれをしなくてはならないんだ!」


 なぜだろう。ロロの機嫌をまた逆なでてしまった。


 しかし、それしか言いようがない。ソラがロロに何かをしてもらう理由など、塵芥ちりあくたほども存在しない。ソラは彼の手から自分の手を離した。


「ねぇ、一つだけ教えて。ロロは今、幸せ?」


  それはソラがどうしても尋ねたいことの一つだ。それはとても重要なことだった。


 半年前だろうか。ロロがある紙を持ってきた。そこにはアデア大陸の攻略の話が書かれていた。ロロの話では、報酬がもらえるのだという。ソラは報酬には興味がなかった。


 しかし、ソラよりも一つ歳下のロロは目を輝かせていた。ここから離れられるのもいいのかもしれないと思った。


 ここにはいい思い出がない。それに、ロロが行きたがっているのだ。ソラには断る権利がなかった。ソラは彼に償いをしなくてはいけないからだ。 


 ソラが実際に迷った時間は三秒もなかった。彼の話を聞き、アデアに訪れたが本当にそれがロロの望みなのだろうか。


 彼が欲しいものは思いつかない。アーチェの欲しいものはなんとなく想像がつくが――。


 ロロはゆっくりと口を開いた。


「ソラがいるからな」


「……」


  その言葉はソラの問いの答えになっていないと、感じた。しかし、彼はそれ以上を言う気はなさそうなので、ソラもそれ以上は尋ねない。ただ、彼から離れると、歩き出した。


 ロロはソラを呼び止めようとしたが、ロロはソラの視界に入っていなかった。


 道の角を曲がったところで、ティティールに会った。彼女はソラに会うと、少し身を震わせた。今の話を聞いていたようだ。そのことには、気が付いていたが気が付かないふりをした。ティティールに聞かれたところで、何も害はない。


 ソラは彼女の横を無言で通り過ぎた。


 アーチェの元に向かおう。怪我人は大勢いるはずだ。



************************





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