78.そして彼女は
「ソラ、大丈夫?」
アーチェが膝まずいて、こちらを覗き込んでいた。
少しの間、気を失っていたようだ。そのことは、敵が一人もいなくなっていたことと、多くの兵士が民間人を保護していたことからも明らかだった。
ソラは上半身だけを起き上がらせた。
「私、どれくらい気を失ってた?」
「え? うーん、三十分ぐらいかな」
三十分。その言葉にソラは絶好の機会を逃してしまったと思った。剣の位置を確認する。剣はしっかりと、鞘に戻されていた。
「ロロはどこ?」
「あぁ、僕は見かけてないんだ。まだ戦いが終わったばかりだから」
彼が目を伏せた。ソラはロロの波動を感じ取れることを思い出した。ロロは南の方にいる。突然のフラッシュバックに頭が働いていない。
ソラは起き上がった。アーチェも慌てて、立ち上がる。
「ソラ、あまり動かない方が――。頭を打ったんだから」
「頭を打つか……」
その言葉にソラは始まりを思い出した。この旅の始まりを――。それと同時に、あの少年を探さなければと思った。キョトンとするアーチェにソラは笑顔を向けた。
「もう大丈夫だよ。他の人を診てあげて。私はロロを見てくるから」
「そう? んー、分かったよ」
アーチェは少し葛藤していたが、ソラの瞳を見て頷いた。彼に回復魔法は使えないが、今はそんな医者の手でもありがたいだろう。
ソラは何年も一緒にいる少年の元に歩き出した。傍にはティティールもいる。
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「ロロ」
ソラが声をかけると、彼は嬉しそうに顔を上げた。
その顔をソラは何百回も見てきた。右足からは出血をしていた。既に包帯が巻かれている。そこまで重傷ではないようだが、満足に歩けないのだろう。
彼は街の壁に背中を預け、少し苦しげに息をしていた。
ロロの傍らにいたティティールもその言葉に釣られるように、頭を上げた。
「ソラ? 無事だったか。ちょっとへましちゃってさ」
「そうなのです! でも、ロロってば、かなり頑張ったんですよ!」
ティティールの言葉はソラの耳には入っていなかった。幼い彼女はやけにロロを心配している。その頬が少し紅葉しているのを見て、そういうことかと、妙に納得した。
ロロの顔立ちは整っているし、外面は乱暴なだけで、その内面は優しいのだ。だからこそ、ソラはロロにその真意を聞かなければならなかった。
「そう……。ねぇ、ティティール、少しだけ二人きりにしてくれない?」
「……」
この問い方はいけなかっただろうか。しかし、彼女は意外にもあっさりとそれを了承した。
「分かりましたわ。ではロロ、用が済んだら呼んでくださいね」
「あ、あぁ」
彼女はソラに疑惑の目を向けていたが、やがて街の角に消えた。彼女がその姿を消すと、ロロが肩を落とした。ティティールの前では人一倍、気を張っていたようだ。
「ソラが無事でよかったよ。確認に行けなくてさ」
正確には頭を打ったのだが、黙っていよう。今は言う意味がない。ソラは屈み込み、ロロの両肩を掴むと、壁に押さえつけた。
彼の目が困惑で揺らぐ。こういう時に強気で出れないのはロロらしいと思う。
「そ、ソラ? どうかしたか?」
「ローレンツ・ヴァン・ローテリア」
「!」
ソラが呟いたその一言にロロの瞳の色が変わる。彼の髪が風に揺れ、右目が露わになる。この言葉が何を意味しているか彼には分かるのだ。彼は周りが思っている以上に、賢い。
「昔、そう名乗っていたね」
「……」
ソラの言葉に彼は黙り込む。感情的に怒鳴ったり、とぼけたりはしない。
「一つだけ、聞きたいんだ。どうして、こんなことをしたの?」
直訳をするのなら、「どうして私の記憶を失わせたの?」だ。
あの日、薬を飲まされる前にロロからわたされたのはスープだった。恐らく、あのスープに薬は仕込まれていた。
ロロは気が付かないと思っただろう。しかし、ソラはずっと昔はかなり強く味を感じることができた。入っている食べ物の名前を当てられたこともある。そこに土がひとかけらでも入っていれば、普段はどんなに不味いスープでも気付いたものだ。
だが、ロロはそれを知らない。出会った時期からして、ソラの舌は一般的な感覚だと思っている。むしろ、不味いものを平気な顔をして食べることから、少し鈍いと思っていたのではないか。実際は鈍いどころの騒ぎではないが――。
ソラは自分の食べ物に何を仕込まれても気が付かない。だからこそ、ソラはロロを信頼していた。ロロが用意してくれたものなら、疑わずに口にすることにしていた。
その気持を裏切られたと感じた。
彼はしばらく黙りこくっていたが、やがて口を開いた。ロロはソラの両肩を掴む。
「忘れさせたかったからだ!」
「何のために?」
ソラは淡々と尋ねた。彼の真意が分からなかった。
それを聞いて、ロロが目を伏せる。彼の左手が震える。
「分かるだろ?! ソラが傷付いていくのが見てられなかった。あのことを機に、君はおかしくなっていった。だから、俺は何とかしてやりたかった!」
その言葉を聞いて、ソラは呆れた。ここまで長く一緒にいて、どうしてここまで盲目的にソラを信じられるのだ。
「ロロは私のこと、何も分かってない。これが私の本性なんだよ?」
「そんなことない! 君はいつだって、人に優しくて立派な人間なんだ」
ロロは本気でそう信じ切っているようだった。しかし、それはソラの人間像とは当てはまらない。
「……。そう思ってたんだね。いいよ、ロロ。これ以上は理由を聞かないから」
理由を聞いても理解できなかった以上、これより先を聞いても無駄な時間だ。意味がない。ソラの瞳に彼の右手が映った。それは金属でできている無機質な腕だ。ソラはその腕をゆっくりと撫でた。
「こんな私でもね、悪かったと思ってるんだよ。君にはそれ相応の償いをするつもり」
「償い……だって! 俺はそんなことをされる立場じゃない! むしろ、俺が君にそれをしなくてはならないんだ!」
なぜだろう。ロロの機嫌をまた逆なでてしまった。
しかし、それしか言いようがない。ソラがロロに何かをしてもらう理由など、塵芥ちりあくたほども存在しない。ソラは彼の手から自分の手を離した。
「ねぇ、一つだけ教えて。ロロは今、幸せ?」
それはソラがどうしても尋ねたいことの一つだ。それはとても重要なことだった。
半年前だろうか。ロロがある紙を持ってきた。そこにはアデア大陸の攻略の話が書かれていた。ロロの話では、報酬がもらえるのだという。ソラは報酬には興味がなかった。
しかし、ソラよりも一つ歳下のロロは目を輝かせていた。ここから離れられるのもいいのかもしれないと思った。
ここにはいい思い出がない。それに、ロロが行きたがっているのだ。ソラには断る権利がなかった。ソラは彼に償いをしなくてはいけないからだ。
ソラが実際に迷った時間は三秒もなかった。彼の話を聞き、アデアに訪れたが本当にそれがロロの望みなのだろうか。
彼が欲しいものは思いつかない。アーチェの欲しいものはなんとなく想像がつくが――。
ロロはゆっくりと口を開いた。
「ソラがいるからな」
「……」
その言葉はソラの問いの答えになっていないと、感じた。しかし、彼はそれ以上を言う気はなさそうなので、ソラもそれ以上は尋ねない。ただ、彼から離れると、歩き出した。
ロロはソラを呼び止めようとしたが、ロロはソラの視界に入っていなかった。
道の角を曲がったところで、ティティールに会った。彼女はソラに会うと、少し身を震わせた。今の話を聞いていたようだ。そのことには、気が付いていたが気が付かないふりをした。ティティールに聞かれたところで、何も害はない。
ソラは彼女の横を無言で通り過ぎた。
アーチェの元に向かおう。怪我人は大勢いるはずだ。
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