71.綺麗だと言ってくれた君に
アーチェが伸ばした手は確かにソラを掴んだ。これがロロだったら、ソラを支えきれないなんてことはなかっただろう。
瓦が砕け、城の屋根が崩れ落ちる音が、夜の空気を震わせる。
「ソラ!!」
必死に掴んだその瞬間、二人は屋根の端から重力に引きずられるように落ちていった。
ソラの体温が指先から逃げようとしている。
アーチェは必死に腕へ力を込めるが――虚しい努力だった。
二人で宙を落ちる。ソラは足を怪我しているし、この高さだ。
それにソラに、助けてもらうことを考えているなんて、情けない。
もう、手袋なんて構っていられなかった。
風に引き裂かれたように、アーチェの腕から大きなダボ手袋が外れ、宙を舞う。
これは村を出た日から、外したことがなかった。村に住んでいる時も着けていたかったが、こんな物を着けている方が馬鹿にされるのだ。
落下の中でひらひらと回転し、月光に青白く照らされながら遠ざかっていった。
そして――露わになった。
アーチェの翼。
小さな、小さすぎると言われた翼。
飛ぶことのできない、半端な羽根。
あまりの小ささに「鳥人の欠陥品」と烙印を押されたような羽根だ。
しかし、夜の風がそれに触れた瞬間――色が、光が、生き始めた。
虹色――
けれど決して“七色”ではない。
ただの赤や青ではない。
一本一本の羽毛の中で色がゆらぎ、境界が存在しない。
深紅が溶けて琥珀へ、琥珀が翠へ、翠が藍へ、藍が薄桃へ――。
その全てが“光”として脈打ち、まるで世界の色そのものを溶かして編んだような翼だった。
羽根は息をするように淡く輝き、風に触れるたびに色が変わった。
月光を浴びた瞬間、色は濃くなり、尾を引く光粒が舞い上がり、夜空に散っていく。
それはまるで――。
星の欠片が羽根となって散っているような光景だった。
鳥人の翼は生まれた時は真っ白なのだ。第二次性徴を迎えると、その羽根は独自の色を持つ。アーチェの
羽根が抜け落ち始め、色を持ち始めたのは父が亡くなって一年ほどしてからだった。
自身の体に起きた変化は大人の証だった。だが、アーチェはちっとも嬉しくなかった。それに、それを祝ってくれる人はもういなかった。
アーチェ自身がその美しさを知らなかった。いや、鳥人には美しさなどどうでもよいのだ。飛ぶことが最も評価されることなのだ。
笑われ、馬鹿にされ、隠し続けてきたせいで、見るのも嫌になっていた。
ロロとの温泉では手袋を着けたまま入った。ロロは羽毛にぶつくさ言っていたが、その反応にアーチェは救われた。羽根も同族のそれより小さいのだ。それを見られて、引いた仕草をされたり、侮蔑されたりしたらどうしようかと思ったのだ。
もちろん、ロロはそんなことをする人間では決してない。しかし、今までの体験がアーチェにはトラウマだった。だからこそ、この醜い翼を誰にも見せないようにしてきた。
けれど、落下の風が翼を無理やり開かせる。今はこれでいいのだ。ソラは自分なんかを庇ってくれた。いつだって守られていた。今度は自分が助ける番なのだ。
幼い頃、まだ白い翼であったときに、大きな岩から飛び降りてみたことはある。しかし、翼が小さく、そのまま頭を打ってしまった。
痛みで大泣きするアーチェを父親が抱きしめてくれたものだ。医者だと言うのに、鍛え上げられたその腕に抱きしめられると、自身は守られていると安心した。
しかし、あの頃とは違う。アーチェは大人だ。翼もあの頃よりかは大きくなった。それにあの時とは高さが違う。これほどの高さならば――。
――滑空できる。
ほんの少し、風を受けられる。
アーチェは歯を食いしばり、小さな翼を限界まで広げた。
風が裂け、流れが彼の背中を押し上げる。
ソラは痛みに顔を歪めていたが、ふと――その瞳にアーチェの翼を映した。
アーチェは覚悟した。醜いと言われることを――。
ソラは、消え入りそうな声で呟いた。
「綺麗」
その一言が、アーチェの胸を撃ち抜いた。
彼の頭の中に、これまでの声が津波のように押し寄せる。
『その羽、小さっ……!』
『飛べない鳥人なんて哀れだよな』
『気味悪い』
刺すような声、指差し、笑い。
誰にも肯定されたことのない翼。生まれてきた意味すら疑った。父親のことも憎んだ。父はいつもアーチェの翼を見るたびに、申し訳ないという顔をした。それが彼には辛いことだった。自身を否定されている気分になった。
もっと自分はお前の父親なんだぞと、誇ってほしかったのだ。実の親ですらそうだった。
なのに――
この子は。
今、落ちて死ぬかもしれないこの瞬間に。
アーチェの翼を“綺麗”と言った。
胸が熱くなり、息が詰まる。
落下の恐怖よりも早く、心臓が跳ねた。ソラの澄んだ瞳は嘘を言っていない。
アーチェは頭を下にして落ちていた。ソラの高さに追いつく。
「ソラ! 僕に掴まって!」
ソラが咄嗟にアーチェの体を掴んだ。虹色の翼が夜風を抱きしめ、二人の落下を滑らかに変えた。
その瞬間、アーチェの“劣ったはずの翼”は、
どんな鳥人よりも――
幻想的で、美しかった。
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