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61.銀は黒に染まる

 

 窓の外へ飛び降りる瞬間、心臓が耳元で鳴り響く。地面へ向かう落下の感覚と、全身を駆け巡る怒りが、一つになった。


 街の市場を駆けていく男の波動を感じる。ソラは街灯を蹴り上げると、そこまで跳んだ。


(逃さない……)


 着地と同時に、ソラは剣を振り上げる。全身の力を刃に込め、目の前の男を両断する。左右に切断された男は一瞬で地面に倒れ込んだ。

 しかしソラはもはやそれを人間だとは認識していなかった。ただ、破壊への衝動だけが光っている。


 呼吸が荒く、髪は汗と風で顔に張り付く。


 仕留めた。その喜びと愉悦がソラを支配した。この男、害虫を自分は殺したのだ。愉快でたまらなかった。周りの人々が少し怯えた様子でソラから離れていく。

  

 売り物の絵が地面に落ちる。ソラはそれをふと拾い上げた。そしてその美しさに目を奪われた。何という美しい絵なんだろう。


 人間が苦しんでいる。その姿はとても魅力的だ。どうしてこんなにも魅力的な絵の存在に気が付かなかったのだろうか。噴き出す血、苦しむ表情、素晴らしい。ソラはその絵の通りにしてみたくなった。もう死んでいる男をもっともっと刻んでみたい。ソラは芸術家なのだ。それぐらい普通だ。

  

 白銀に光る勇者の剣を握りしめ、男の体を刺そうとする。


「ソラ、落ち着け!」

 

 背後から誰かがソラを抱きしめた。ソラはその存在を振り払おうと、剣を振り上げた。

 ロロだ。ロロはそれを間一髪でかわすと、剣を引き抜いてソラと鍔迫り合いになる。金属が擦れる音が街中に響き渡る。ソラの目の色は翡翠色に染まっていた。

 

 剣と剣のぶつかり合いにより、暴風が巻き起こる。市場の人間や絵が宙に舞っていく。


「ソラ! 俺だ! 落ち着け!」


 ロロの声が聞こえる。なぜ、邪魔をするのだ。ソラは芸術を創っているだけだ。


 舞う風がロロの髪を乱暴に撫でる。ロロの右目が――ソラの目に映る。ラピスラズリのような綺麗な瞳。 

 その瞳を見た瞬間、ソラの頭にある光景が流れ込んできた。


 小さな子供が――ソラより少し幼い子供が地面に這いつくばって泣いていた。周りの大人たちはそんな子供に声をかけることもなく、立ち去っていく。

 ソラはその子供が気になった。放っておけなかった。ソラはその子に手を伸ばす。


 その子供はゆっくりと顔を上げて、その瞳にソラを映した。

 その瞳は――右目は――ラピスラズリ色だった。


 ソラは剣の力を弱めた。一体、自分は何をしていたのか。ロロは剣を引き戻した。


 ソラは剣を構えつつも、側に倒れ込んだ死体を眺めた。それは真っ二つに切れている。止めどない血が流れていた。


 慌てて剣を鞘に戻す。ソラがそうした瞬間、大勢の人たちが死体に群がった。


「おぉ、この鮮血は俺のものだ!」


「いや、私のものだ!」


「これは何て素晴らしいんだ! おい、メイド! 額縁を持ってくるんだ。ありったけのな!」


 芸術家たちが死体に群がっているのだ。それはハエのようだった。とても理性のある人間の行動とは思えない。しかし、ソラも先ほどまであんな感じだったのではないか――。

 そう思うと、怖くなった。あの時の感情を思い出しただけで体が震える。


「ソラ、気にするな。あいつはクソ野郎だからな。ああなって当然なんだ」


 ロロがソラの肩に手を置いた。ロロの右目は隠れていたが、ソラは無意識にその髪をくしあげていた。ロロの普段は見えない瞳が明らかになる。

 ロロは少し顔を赤らめた。


「な、何だよ……」


「あ、ごめん。つい……」


ソラは慌てて、手を引っ込めた。市場はどんどん騒がしくなっていく。多くの者が自分の額縁を持ち寄って来ていた。街中のほとんどの額縁が集まっているのではないだろうか。


「もう! 王女の名において、これ以上みっともない姿を見せることは許しませんわ!」


 市場の騒ぎに現れたのはティティールだ。彼女は凛とした声で宣言すると、自身の扇を振り上げた。その瞬間、人々が持っていた全ての額縁がティティールの元に吸い寄せられる。


「ロロ! 今ですわ!」


「うん? ……、なるほど! そういうことか!」


 ロロは右手を構えると、波動を集中させる。


 「…行くぞ」


 低く呟くと、青い炎が一気に彼の前方へ跳ねた。

 狭い通りに並べられた額縁の列に炎が触れた瞬間、木枠が瞬く間に熱を帯び、表面が黒ずみ始める。火は音もなく、しかし確実に、額縁を呑み込んでいく。


 炎は額縁の縁から芯へと吸い込むように広がり、絵の具が煙と共に焦げる匂いが市場いっぱいに充満する。


 ロロの目は冷静そのものだが、手元の炎は制御しきれないほどに暴れ、次々と額縁を襲った。ひび割れた木枠がパチパチと裂ける音、キャンバスが焼け焦げる匂い、青い光が壁や街灯に反射して、まるで空間そのものが燃えているかのように見える。


 炎は額縁の数を数える間もなく広がり、最初は整然と並んでいたそれが次第に焦げた煙と青い光に染まる。燃え上がるたびに、額縁の木材が軋み、キャンバスが波打つように歪み、黒煙が渦を巻いて空へと昇る。


 ロロは微かに笑みを浮かべ、炎の動きを操る。青い火は消え入ることなく、次々と額縁を飲み込み、市場を不気味な美しさで満たしていった。火の熱を感じながらも、彼の掌から炎は一滴もこぼれず、まるでロロ自身の意志が物理を越えて形になったようだった。


 燃え尽きた額縁は真っ黒に炭化し、青い炎の残光に照らされて幽玄な影を落とす。通りは炎と煙で満たされる。 


 黒く燃えがったそれを見て、そこにいた人々の動きは一瞬で止まった。誰も声を出せない。


 一人、また一人と膝をつき、頭を抱える。目は燃えかすに釘付けになり、口を開けることすら忘れたまま、呆然と立ち尽くす者もいる。

 燃えた匂いと煙が鼻腔を突き、胸の奥まで重苦しい圧迫感を帯びてくる。


「まさか…」


 誰かの呟きがかすかに漏れるが、言葉は炎にかき消される。驚愕と恐怖、そして深い喪失感が入り混じり、人々の体を沈める。

 まるで全身の力が抜けたかのように、肩が落ち、背中が丸まり、膝から崩れ落ちる者もいる。


 立ちすくむ人々の目には、嘆きと虚しさが映っていた。炎の勢いに抗えず、慟哭もできず、ただ打ちひしがれるしかない――その沈黙こそが、青い炎の冷たく容赦ない力を物語っていた。   


 ティティールは燃え尽きた額縁を見て、満足そうに微笑んだ。


「これでいいのですわ。街はこれで平和を取り戻すでしょう。ほら、そこの者! この額縁は誰からもらったのです? ただの物ではないのですよね?」


 幼い彼女は側で膝をつき、絶望の表情を浮かべていた彼に声をかける。彼の首根っこを掴み、揺さぶった。最初は呆然としていた彼だったが、ティティールに扇の先を突きつけられると、慌てて逃れようと足を動かした。


「うぅ……ゆ、許してくれ!」


「言ってくれたら、許すのですよ」


「お、俺たちはあの方からもらっただけなんだ! 本当に何も知らないんだ!」


「あの方? それは誰のことですの?」


「決まってるだろ?! 魔王さ! 魔王様から頂いたんだ!」


 彼の悲痛な声がこだまする。


************************


「ふふふーん、ふーん。ふーん」


 屋根の上で赤い翼を生やした少年はご機嫌に鼻歌を歌っていた。先ほど、歩いていた男を打ちのめして手に入れた額縁。それを両手で消えていた。


「面白そー」


 彼は――ラーフラはそれを眺めた。蓋が備えられている。誰かに使いたくてたまらない。そう思った矢先、ラーフラの下を一人の少年が歩いていくのが見えた。豪華な服を着た少年だ。


「チャンス!」


 ラーフラは翼を折りたたむと、急降下した。少年の前に降り立つ。その少年は絵の具を持っていた。ラーフラよりか少し幼い。彼は突然現れたラーフラに少し驚いた顔を浮かべていたが、やがて落ち着いた表情に戻った。ラーフラは自身の背に額縁を隠していた。


「何か用?」


「これ見て!」

  

 ラーフラは即座に蓋を外すと、彼に額縁を向けた。


「?! おい、それは」


 少年は目を逸らそうとした。しかし、間に合わない。少年はあっという間に絵の中に吸い込まれた。

 絵をワクワクしながら見ると、そこにはしっかりと少年が入っていた。怯えたような驚いたような表情をしている。ラーフラはしばらくそれを見つめていたが

、目を逸らした。


「こんなもんか……。飽きーたと!」


 ラーフラは川に向かってそれを捨てた。水に絵が落ちる音がする。


 彼は笑いながら街を立ち去った。


 川に落ちた絵は段々と濁っていった。 


************************



ここまで読んでくださってありがとうございます!

面白かったと思ってもらえたら、ブックマークやポイントを入れていただけると嬉しいです。

次回もよろしくお願いします!



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