50.その者、勇者となり
ソラは輝く刀身を眺めた。その剣はとても美しい。ソラ自身も自分が何をしてしまったのか、分からなかった。ただ、自身の声に従っただけなのだ。しかし、何やら、とてつもないことをしてしまったという実感だけがあった。
「きょ、今日は国を挙げての祝いだ! おい、宴の準備をしろ! 倉庫にため込んだ酒を全て持って来い!」
王の威勢のいい声に王の間の兵士が全て動き出した。
「ソラ、勇者だって。凄いね」
アーチェが呆気にとられたように言った。彼は自身の身を包むその鎧を脱ぎ始める。地面に置かれた鎧が重厚な音を立てる。アーチェは普段着ている服の上からそれを着せられていたようだ。
「まだ、状況が飲み込めてないよ」
真実は理解できるのだが、それは飲み込めるということにはならない。
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しばらくして、広間の扉は開け放たれ、外の庭園から花の香りが漂い込む。民衆や貴族、騎士たちが順に長い列を作り、王の前に進むと、盛大な拍手と歓声が彼らを迎えた。太陽が夕暮れに傾むき、やがて夜がくる。
長机には、王国中から集められた食材が並ぶ。香ばしいロースト肉の香り、甘く煮詰められた果実の香り、焼きたてのパンの湯気が漂い、人々の食欲をそそらせた。ワインのグラスが触れ合うたびに軽やかな音を立てる。
音楽隊が奏でるリュートやティンパニの旋律に合わせ、街の人々は優雅に踊る。踊り手たちの衣装は色鮮やかで、刺繍や宝石が揺れるたびに光を放つ。
子供たちは無邪気にテーブルの間を駆け回り、笑い声をあげながら小さな紙風船を追いかけた。
ソラは王の隣に座らされ、周囲を見渡す。騎士たちも酒を酌み交わしている。老王は穏やかに微笑み、剣を引き抜いたソラの肩に手を置いた。
「お主のおかげで、世界は安らぎを得るだろう」
ソラは返す言葉が見つからず、辺りを見渡した。人々の目は希望に満ち溢れている。
民衆の笑顔、音楽、食卓の賑わい、その全てが、戦いの疲れを癒す祝福の光となり、王国を包み込んだ。
「さて、ソラよ。街の人々と話してくるがよい」
「は、はい」
ソラはようやく王から解放され、近くで酒を飲んでいるロロを見つけた。アーチェは遠くで若い女性に絡まれている。なかなか振り払えないようだ。女性はかなり美人で、赤い豪華なドレスを身に纏っていた。
「ロロ、まだ未成年でしょ! 飲んじゃ駄目!」
ソラはロロがちびちびと飲んでいたお酒を取り上げた。そのグラスには紫色の液体が入っている。
「あ! せっかくブドウの味がして美味しかったのに…… 。というか、いつここから抜け出す?」
「抜け出すの?」
「当たり前だ! こんな所にいられるか! アーチェの奴は何をやってるんだ。おい、アーチェ!」
ロロがまだ女性に絡まれているアーチェの元に行くと、女性から引き剥がした。アーチェはだいぶ疲れ果てた様子だ。手には飲みかけのワインが握られていた。少し顔が赤い。酒を口にしたようだ。
「おい、うちのに何か用か?」
「あら、貴方もいい男ね。でも、ごめんなさい。私はそこの金髪の子がいいの」
どうやら彼女はアーチェをナンパしていたようだ。
赤いドレスに身を包んだ女性が立っていた。ドレスは深紅で、光を受けるたびに宝石のように煌めき、彼女の曲線を優雅に際立たせる。
彼女の髪は肩に柔らかく流れ、顔にはほのかな紅潮が浮かんでいた。目の端にかすかな潤みがあり、微笑む口元はわずかに弛んでいる。グラスを片手にゆっくりと歩く姿は、まるで踊るかのように軽やかで、しかし足元にはほんの少しのふらつきがある。
「ふふ……今日の宴は、なかなか……楽しいわね……」
低く甘い声が、彼女の周囲の空気を震わせる。グラスの中の赤い液体が光を映し、揺れるたびに魅惑的な煌めきを作る。その姿にロロが少し目を逸らした。
ロロに対して、彼女は目を細めた。
「ねぇ、私の瞳は何色に見える?」
「何だ? 哲学の話か? ……青だろ」
「……もっと的確に言うと碧眼よ。私と彼の子が結婚すれば金髪で碧眼の子が生まれると思うのよね。勇者はもう生まれたようだけど、生まれる子かその子孫がその次の勇者になるかもしれないでしょ?」
「そんな、馬鹿げた話あるか! 結婚は好き同士でするものだろ!」
「あら、意外と純情なのね。ねぇ、どう? 坊や? 私、綺麗じゃない?」
女性が前のめりになって、アーチェを誘惑した。しかし、彼の目はそれをうっとおしく思っているようだった。
「悪いけど僕、君のことタイプじゃない。それに僕は鳥人だから……」
「あら、そうなの? 珍しい……。通りで軽いと思ったわ。でも、いいじゃない? 鳥人の勇者なんて聞いたことがないけど……。でも、私と付き合わない?」
女性はあまり気にした様子がない。どうやら、こちらの世界にも鳥人はいるようだ。カーデランでは見かけなかったが。
「断る」
「えー、私結構綺麗なのにな。残念……」
少しもなびかないアーチェに対して彼女は涙を流す仕草をした。その様子にロロは少し慌てたが、アーチェには演技だと見抜けたようだ。彼は裏路地を指差した。
「少し離れようよ。ここじゃ、よく絡まれるんだ」
その言葉通り、彼の髪色に誰もが眼を見張る。特に女性が。先ほどの彼女と同じことを考える者は少なくないようだ。
「アーチェ、人気だね」
「勘弁してよ。あぁいう人は苦手なんだ」
「舐めた態度の奴だったな。逃げるなら今だぜ」
ロロの言葉にソラは顔を上げた。街の人々も兵士もかなり酔っ払っている。もちろん、王もだ。今、姿を消せば誰も気が付かないだろう。暗闇に乗じるのなら今がチャンスだ。
「エドワードもラーフラもいないみたいだしね」
アーチェが宴を見渡す。確かに彼等の姿は見かけなかった。彼等はすぐにこの街を旅立ったのだろうか。
「じゃあ――」
「何をしてるのです!」
「!」
ソラの言葉を遮ったのはティティールだった。その深紅の瞳は怒りに燃えている。今の話を聞かれてしまったようだ。
「逃さないわよ!」
瞬間、空気が鋭く裂けた。
風が唸りを上げる。透明な刃が十数本、螺旋を描きながらソラへと襲いかかる。
ソラは咄嗟に身を低くし、体を滑らせるように横へ跳んだ。
頬をかすめた風が、冷たい線を刻む。遅れて空気が爆ぜるような音が響き、背後の柱が斜めに切断され、白い粉塵が舞った。
「くっ……!」
息を呑む暇もない。次の瞬間、ティティールの扇が再び翻る。
彼女の動きは優雅でありながら、致命的な正確さを持っていた。扇が描く弧のたび、風が形を変えて刃となり、光を反射しながら迫る。
ソラは剣を抜き、反射的に構えた。刃が風を受け、甲高い金属音が響く。
しかし、空気の刃は形を持たない。受けた瞬間に裂け、別の方向からまた一撃が襲う。
「逃げたら刺激にするわよ! 父上! この宴、多少面白みに欠けるとは思いませぬ?」
ティティールの声に街の人々、兵士、国王が反応した。彼女の透き通る声は人々の耳に容易に届く。皆の目がティティールの方に注目した。
「我が娘よ、ではどうすればよいというのだ?」
「簡単なことです。この者は勇者なのですよ。その力、ぜひ見てみたいと思いません?」
「ほぉ……」
王の赤い瞳が見開かれた。
「このティティールが勇者の力を、引き出してみせます! さぁ、ソラ! 決闘ですよ!」
ティティールが金色の扇を掲げて叫んだ。
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