36.赤い羽根の誘惑
その竜は金色の目をギョロギョロと動かしていた。大きな翼をはためかせてはいるが、何も音が聞こえない。それは無音で空を飛んでいた。
その姿はまさにソラの王者だ。その姿にソラは絶句した。あれが紅竜。それは紅竜を見たことがないソラにとってもすぐに分かることだった。
都の人達も既に紅竜の存在に気が付いており、戦士達が武器を構えている。紅竜から嫌な波動を感じて、ソラは外に出て来ていたアーチェを抱え込んだ。竜が吐き出した赤い炎が都に直撃する。
その範囲も効果も絶大だった。一瞬にして都が火の海に染まり、数え切れない程の家が焼け焦げる。そこには炭しか残らなかった。
その炎は離れた場所にいたソラ達にも襲う。ソラは右腕が焼け焦げたのを感じた。炎の鱗粉が飛び交っている。これでは、思うように動く事が出来ない。
「ソラ! 大丈夫?」
アーチェが焦った様子でソラの名を呼ぶ。アーチェも少し火傷をしていた。アデルが犬小屋から逃げ出していくのが見えた。
「何とか大丈夫。けど、これじゃあ思うように動けないよ」
「くそ、何だよあいつ。急に来やがって」
ソラと同じように地面に伏せたロロは炎の鱗粉を弾きながらも熱さにその顔を歪ませた。
ロロは立ち上がると、剣を上に掲げた。その金属の光に竜の目がこちらを捉える。
「ロロ?!」
あんな竜に立ち向かうなど無理だ。どうにかなる問題ではない。しかしロロは剣を大きく振るった。
「誰かが、足止めするしかない。アーチェ、都の人を逃がすんだ」
「う、うん。分かった」
アーチェは頷いた。魔法が使えないアーチェはこの場にいても役には立てない。他ならぬアーチェ自身がそれをよく分かっている。アーチェはソラ達から離れた。都の中央に走って行く。ロロに気を取られている紅竜はそんなアーチェには目も向けない。
紅竜が喉を大きく膨らませた。それは袋のようだった。何かを吐き出そうとしている。炎だ。そう思った瞬間、炎がロロ達に向かって放出される。
ロロは剣に炎を纏わせた。セザールは曰く、魔法には属性というものがあってロロは炎属性らしい。ちなみにソラは風だ。風は炎と相性が悪い。
迫りくる炎に向けてロロは剣を振り下ろした。それにより炎が八割ほど打ち消された。打ち消しきれなかった炎が辺りに飛び散る。ソラは剣を引き抜くと、剣先から風の刃が飛び出る。それは飛び散る炎の全てに当たり、炎を打ち消した。
都中はかなり燃えていた。これでは生き残っている人間のほうが少ないだろう。ソラはカダとリーザルの姿を思い浮かべた。これでは、三年前の二の舞になってしまう。
ソラは剣を地面に突き刺すと、魔法を発動して風の威力で上へと飛び上がった。空は地上よりも、ずっと熱い。肌が焼け焦げそうだ。
セザールに風の魔法だと告げられた時に、こういった方法で空を飛ぶ事が出来るのではないかと考えていたが、実戦で使う事になるとは思わなかった。
しかし飛んでいるわけではなく、飛び上がっただけだ。すぐに落ちてしまう。ソラは百手ほどの剣技を魔法を込めて紅竜に打ち込んだ。しかし、その剣技は竜にとっての致命傷にはならなかった。
紅竜はハエを払うようにソラを片手で振り払った。その一撃にソラは遠くまで飛ばされる。そこはある崩壊した民家の中だった。
家の中には焼け焦げた人間の姿が見える。小さな子供にそれを庇う親の姿。その親子はソラとも面識があった。もう都でソラが知らない人はいないのだ。
しかしそれを見ても不思議と怒りは湧いてこなかった。これが自然の摂理だ。弱い者は死ぬしかない。それに腹を立てる事はない。ソラは剣を強く握りしめた。
「大丈夫?」
「!」
後ろから突然抱きしめられ、ソラは硬直した。フワリとした羽毛の感触を感じた。赤い羽根だ。その手からは優しさを感じた。その手の感触にソラは安心感を覚えた。顔を見なくても誰か分かった。
「貴方は確か……ラーフラ?」
「覚えてくれたんだ、嬉しいよ。ソラ、中々に愉快な景色だよね」
「愉快……これが?」
ラーフラの表情は見えない。けれど、彼は笑っていた。それがソラには伝わってきた。
「俺は不思議なんだ。何でそんなに善人ぶるの? 君はこの景色を見た時に本当は何を思ったの?」
「この景色を見た時……」
ソラは焼け焦げた景色を見た時の事を思い出した。悲しいと思っただろうか。違う。胸を痛めただろうか。それも違う。表向きはそう思ったかもしれない。
けれど、その心の中にはソラでさえ気が付かない感情が眠っている。
「欲望を解放しようよ。きっと、俺と君は同類なんだよ。そう、感じたのは俺だけかな?」
ラーフラの声は優しかった。どこかでこれと似たような声を聞いた事がある。ソラはその声の主が好きではなかった。それは確かだ。
けれど、この少年の声はそれと似ているというのにやけに耳に馴染むのだ。その声を聞いていると落ち着いて、母親に守られた赤子の気分になる。
「欲望……」
ソラはラーフラの言葉を反芻する。彼は何を言いたいのか。何を言いたいのか。ソラにはそれが分かっていた。
「教えて。君は何をしたいの?」
何がしたいのか。この平穏で落ち着く都をどうしたいのか。そんな事を考えた事もなかった。けれど、その声を聞いてソラは自然と言葉が出た。それはソラ自身も信じられない言葉で――。
「……、この都を消し去りたい……」
「そっか、じゃあ、俺と壊そう。手伝って上げるよ」
ラーフラはソラから手を離した。彼はソラに向けて手を伸ばした。彼の表情が初めて確認出来る。それは仏のような穏やかな顔だった。
彼は一見、間違った事を言っている。人として正しくない事を言っている。それも全て分かっている。けれど、ソラはそんな手をずっと待っていた。震える手でラーフラの手を取ろうとする――。
「ソラ、危ない!!」
ソラと彼の手は結ばれることがなかった。遠くから飛んできた石にそれは阻止されたのだ。それをしたのは頭から血を流しているカダだった。
片目を損失している。その様子を見てソラは我に返った。慌てて手を引っ込める。
「ソラから、離れろ! 怪しい奴め! お前からは嫌な波動を感じるぞ!」
「波動? へぇー、そんなのあるんだ。それってどんなものなの?」
ラーフラがカダに向かって歩き出した。今、カダの手には抵抗出来る物が無い。ソラは立ち上がると、カダの前に立ちはだかった。
「て、手は出させない」
「庇うの? そう……。残念」
ラーフラは何も武器を持っていない。けれど、彼をカダに近づけてはいけないと本能が訴えていて。ラーフラはそんなソラの反応を見てショックを受けたような顔をする。
「でも、あの赤い竜がこれ以上いたらマズイね。君まで死んじゃう。俺が対峙してあげるよ。ここにいてね」
ラーフラは壊れた屋根から空に向けて飛び上がった。空は炎の鱗粉で赤く染まっている。ソラはハッとすると、カダの方に振り向いた。
「カダ、大丈夫? ありがとね、目に怪我が……」
カダの目は炎で焼け焦げていた。これは怪我どころではない。カダは顔をクシャリと歪ませた。
「オイラは大丈夫だ。けど、婆ちゃんが……」
「リーザルさんが……とうかしたの?」
その言葉に嫌な予感を感じた。カダの顔付きからただ事ではないと思った。
「婆ちゃん、火の海に飲まれちゃって……。オイラ、近づけなくて……」
カダの瞳から涙が溢れた。
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