26.結婚式の向こう側で、君を待つ
大きな木がある丘の上で、一人の青年が空を見上げていた。 額からは角が生えており、藍色の目はまだ幼い光を宿している。
一人の女性が青年に向かって言葉を投げかける。その様子は喧嘩をしているようにも、悲しげに会話をしているようにも聞こえる
「ねぇ――ねえってば!」
「なんだよ? 俺だって忙しいんだ。お前なんかに時間を使ってる場合じゃない」
女性はしつこく話しかけているが、青年は冷たく返した。
「なんでそんな冷たいこと言うの? 私にいい寄ってきてる男がいるって話よ。縁談よ!」
なぜ、彼女はこんなにもしつこいのだ。青年は奥歯を噛みしめた。
「何度も聞いたよ。でも、俺はお前がそいつと結婚しようがどうでもいい」
「もう、じゃあ……私、その人と結婚しようかな」
「勝手にしろよ。俺にどうして欲しいんだ?」
「言わなきゃ分かんないの?! もう、いい! 知らない、セザールなんか!」
彼女は――リーザルはセザールに向けて怒声を浴びせると、丘を下っていった。セザールは木の根元に座り込んだ。
「はぁ、なんだよ。あいつ……」
リーザルにいい寄ってる男は恐らく、カダンだ。カダンは前々からリーザルに好意を向けていた。彼はいい人間だ。優しいし、気遣いもできる。
おまけに都での地位だって、家だって持っている。そんな縁談を悩む理由などなにもない。
丘の上からは都を見渡すことができた。昼頃はここは子供達の遊び場となっている。しかし、今日は誰もいない。都の大通りに走り出すリーザルの姿が見えた。自然と危なかっしいその姿を目で追う。
彼女は大通りの途中で出会ったカダンとそのまま遠くへ歩いて行く。その様子を見て、胸がチクリと痛んだ。
「なんだよ。あいつ……。あんなこと言っておいて、本当に行くのかよ」
セザールは苛立って石を投げ飛ばした。藍色の目に怒りを滲ませる。再び木の根元に座り込むと、リーザルと出会ったときのことを思い出した。
狼の群れに襲われていた彼女を助けたことが初対面だった。
お礼を言われるかと思ったが、彼女は二級戦士の昇格のテストだったのだと、怒りながら泣き出した。そんな反応をされるとも思っていなかったものだから、あのときは戸惑った。それに人が住んでいるという事実にも戸惑っていた。
この誰も知らぬ地に来たとき、人が住んでると知って心底ガッカリしたものだ。この地はもう誰かのものなのだ。そんな島で冒険をしたところで、セザールの心は満たされない。
思えばあれから四年経った。鬼族のセザールにとっては、それは大した期間ではない。鬼族の寿命は百年ほどだが、死ぬまで年を取ることはない。
永遠に若い姿のままだ。だからこそ、時の流れというものを意識しにくい。
そういえば、シルバーブラットという種族もそういう性質だった。しかし、寿命は六十年ほどしかなかった。そこは鬼族と違う。その種族がセザールの側にいてくれたとしたら、こんなに孤独を感じることはなかったかもしれない。
「まぁ、今はそんな話どうでもいいか」
この四年でリーザルは変わってしまった。狼にさえ苦戦していた彼女はあっという間に都中に知れ渡るほどの、優秀な戦士になった。
それに近頃の彼女はどこか焦っているようにも見える。酒場の年配の女性の話だと、女というものは婚期を焦る時期というものがあるらしい。
「だからって、なんだよさっきの」
セザールはリーザルの言葉に頭を悩ませた。引き留めて欲しかったのだろうか。しかし、なんと言えばいい。俺は君のこと好きだから、カダンとじゃなくて俺と結婚しようって言うのか。
「あぁ! もう、そんな恥ずかしいこと言えるか」
しかし、このままでいいのかという思いが湧き上がる。自分の食事を不味いと言って吐き出したリーザル。故郷の歌を懐かしむセザールに対して、記念日にアコーディオンをくれたリーザル。
花が綺麗だと、顔に似合わずに微笑む姿。気が付くとセザールはリーザルのことばかり考えていた。
「だぁ、もう! どうしたらいいんだ」
悶えるセザールの元に風に飛ばされた紙が吹き飛んでくる。顔に張り付いたそれを剥ぎ取ると、セザールはあることを思いついた。
「手紙か……」
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彼との結婚が近づき、リーザルは鏡に映った自身の姿を見た。白い布装束を来た自身の姿は孫にも衣装という感じだ。決して女っ気があるわけでも、綺麗なわけでもない。しかしこのカーデランにとって、モテる女性というのは強いことだった。
カーデランでリーザルに叶う女戦士はいなかった。だからこそ、リーザルに声をかけてくる者は多かったが、全てを断ってきた。
セザールの姿が脳裏によぎる。
「もう! 忘れるの! 私、セザールなんて知らない!」
セザールのことが好きだった。しかし彼は一回も素直に気持ちを伝えてくれたことがなかった。その態度に心を痛めていたときに、声をかけてきてくれたのがカダンだ。カダンは仲の良い幼馴染で、決して腕っぷしが強い戦士というわけではない。
しかし、周りの人々はカダンはいい男だと口を揃えて言った。
実際にリーザルもそう思った。カダンは人当たりが良く、誰に対しても親切で気持ちも素直に伝えてくれる。小心状態のときにそんなカダンに声をかけられたこと、そして周りからの太鼓判があったことにより、彼と結婚するのが自身にとっての幸せなのだと思わされた。
しかし今は結婚を迷っている自分がいる。本当にこれでいいのか。セザールは本当になにも言ってくれないのか。あれから音沙汰なしだ。
忘れようとリーザルは頬を強く叩いた。セザールのことなんか綺麗さっぱり忘れるのだ。きっとその方が自分は幸せになれる。
「リーザル? 着替えは終わった?」
いつの間にか身なりを整えたカダンがリーザルの部屋に入って来ていた。オドオドとした態度で、セザールとは全く違う。彼はリーザルの姿を見てほほ笑んだ。
「似合ってるよ。リーザル。まるで天使がそのまま絵本から出てきたみたいだ」
その褒め言葉にリーザルの頬が赤くなる。セザールならそんなことは言ってくれない。孫にも衣装だなとか、服に着られてるなとか言うに違いない。やはり自身の選択は間違ってなんかいない。今からそれを証明するのだ。
「もう、からかわないで! そういうカダンこそ決まってるわね」
「ありがとう。本当に嬉しいよ。君と結婚できるなんて。君はセザールのことが好きだと思っていたから」
彼は目を伏せながら、口にした。リーザルはそれを全面否定するように、首を振った。
「辞めてったら、あいつの話は。あんなやつ、好きでもなんでもないわ」
「そうなのかい?」
「そうなの! ほら、私達の晴れ舞台に行きましょう」
照れるカダンの背中をリーザルはグイグイと押した。きっとこれが正しい。リーザルは彼と共に部屋を出る。
普段のリーザルなら朝必ず家の郵便受けを確認していただろう。しかし、その日は装束にほつれが見つかったので、その習慣はすっかり忘れられていた。
その後、頭が弱くなったリーザルの祖母がその手紙をボケて廃棄してしまったことは、誰も知らなかった。
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雨の中、一人の青年が空を見上げた。雲が一つも出ていないというのに、雨が降っている。世に言う、天気雨だ。長い時間待ったが、彼女は来ない。丘の下から賑やかな声が聞こえる。
立ち上がってそれを見下ろすと、幸せそうに手を振るリーザルの姿と照れるカダンの姿があった。結婚式だ。二人は都中の人に祝福されている。
「俺は振られたってことか。まぁ、誰だって振るよな。こんな男」
セザールはため息をつくと、二人に向かって丘の上から手を振った。二人は気が付いていないだろう。気づかなくていい。
リーザルへ
この手紙を読んでる頃は結婚式の前だよな?
俺、あれから考えてみたんだけど、もう一度お前と話がしたい。もし気が変わったら、来てくれないか。
いつもの場所で待ってるから。
セザール
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