158.偽りの家族
ルーペが生まれた家は、何の変哲もない農民の家だった。両親は農家を営んでおり、兄が一人と妹が一人。貧しくもなく、裕福でもない。そんなどこにでもいる家族だった。そうただ一点を除いては――。
「お父さん、お母さん。どうして、オイラのご飯だけこんなに多いの?」
それは食事にあった。兄と妹は離れたテーブルで質素な食事を食べているのに対し、ルーペだけは豪華な食事を出されていたのだ。それは豚の丸焼きにチーズ、そしてチェリーパイ。普通の家庭では、ご馳走を食べる日に食卓に並ぶものばかりだ。ルーペの家にはそんなに贅沢するほどの金があるようには思えない。
何より、兄妹と異なる食事を取るというのが幼いルーペには理解ができなかった。
だが、そんなことを尋ねても二人はニコニコとしているだけだ。
「大丈夫だよ。ルーペは特別な子なんだから」
「おかわりもあるわよ。好きなものを食べなさい」
そんな張り付いたような笑顔がルーペには気持ちが悪かった。いつも二人はルーペに優しかった。だが、それがルーペには恐ろしかった。兄と妹には叱るときもあるが、ルーペにはそれがない。なぜなのかルーペには分からない。
だがそんな生活が続いていると、兄や妹からは疎まれるものだ。しかしルーペは二人を憎んだりはしなかった。ルーペだって、もしそんな特別扱いを兄妹が受けていたのなら、同じ態度を取ったはずだ。
「ねぇ、何して遊んでるの? オイラも一緒に遊びたい!」
二人はよく一緒に遊んでいた。ボール投げをしたり、お人魚遊びをしたりだ。それに混ざりたくて、ルーペは駆け寄った。
「……、行こ」
そうすると、二人は――特に兄は嫌そうな顔をして、妹の手を引いて立ち去ってしまう。ルーペのもとには、ボールが残されたがちっとも嬉しくなどなかった。
「ルーペ、何を持ってるの?」
「お母さん」
母親がルーペを見ると、嬉しそうな顔をした。そしてこちらに向かってくると、ルーペの手からボールを取り上げた。
「これはお兄ちゃんのね。ルーペはこんなもので遊ばなくていいのよ。手を怪我したら大変」
「うん」
実際、それで怪我をしたからなんだというのだろうか。兄や妹が怪我をしてきたところで、対して気にしないというのに――。
ふと、昔料理しようとして、指を切ったときのことをルーペは思い返していた。その時の両親の取り乱し具合と言ったら言葉では表せないほどだ。
まるで大事にしていた宝石に傷がついたかの如く、二人は焦っていた。そしてルーペを何度も抱きしめたのだ。それ以来、ルーペは自身が怪我をしてしまうことは悪いことなのだと思った。だからこそ、この場では頷くしかなかった。
そんな生活がそれから何年続いただろうか。その日もルーペはいつも通り、ご馳走を食べさせられていた。しかし栄養管理はしっかりとされているのか、体格は引き締まっていた。
「ルーペ。今日はお客様が来るのよ」
母親が頬を紅潮させて言った。ルーペは小首を傾げた。両親が家に人を招くことなど、これまで一度もなかったのだ。一体どんな客人だろうと、ルーペは気になって仕方がなかった。印象的だったのは、兄と妹が後ろで何かをコソコソと話していることだった。
「じゃあオイラは部屋にいるね」
ルーペは外に出ることもあったが、人目に触れるところにはほとんど連れて行ってもらえなかった。だから今回も、当然部屋にいるものだと思っていた。
「いいや、ルーペ。お前も同席してもらうよ」
「え」
父親の言葉にルーペは唖然としたが、父のただならぬ様子を見て従うしかなかった。兄妹の方を振り返ると、二人はもうここにはいなかった。階段を駆け上がる音が聞こえた。
◆
「この人がラヴィンさんよ。今日からこの人について行ってもらうからね」
ラヴィンと紹介された男は少しふくよかで、大きなシルクハットを被っていた。どこか圧のある風貌だったが、今のルーペにはそんなことなどは気にも止まらなかった。
「ついていくってどういうこと?」
何が起きているのかルーペには理解が及ばなかった。まだそんなことを理解できる歳ではない。
「で、約束の金は……」
父が言いにくそうに、言葉を発した。
(お金? 父さんは何を言ってるんだ?)
「こちらに……」
男が腰に備えられている袋をテーブルの上に置いた。それを見た瞬間、ルーペは嫌な予感がした。椅子から立ち上がり、その場から離れようとする。だが、何か強い衝撃を頭に食らい、ルーペはそこで意識を失ってしまった。
◆
目が覚めるとルーペは檻の中にいた。そのまま馬車に乗せられているようだ。遠くには遠ざかっていく家と両親、兄と妹が見えた。両親はルーペを見ることもなく、兄と妹を抱きしめていた。その瞬間、ルーペは全てを悟った。
ルーペがこんな家の環境に耐えられたのも、両親に愛されているという自信があったからだ。いや、そうでも思わなければ、この環境で過ごすことはできなかっただろう。ルーペ以外の二人が両親にとって自身の大事な子だったのだ。近所の年寄りが豚に餌をあげているのをルーペは思い出した。両親にとっては、ルーペがその豚だったのだ。
家族など最初から、ルーペにはいなかったのだ。そのことに気が付いた瞬間、ルーペは奈落の底に落ちていくような気分を味わった。自身の世界が有無を言わせることなく、壊されているような感覚だった。馬車の先頭に目を通すと、シルクハットの男はルーペのことなどは見ていなかった。
檻を揺すってみたが、びくともしない。ルーペの力では、とてもではないが脱出することはできないだろう。
「どうしたら……」
迷うルーペの手に触れたのは、とても固いものだった。知らぬ間に、ルーペのズボンには折りたたみ式の小さなノコギリが入っていた。家によく置いてあったものだ。考えている暇などなかった。ルーペは死にものぐるいで、それを鉄格子に当てると、気が付かれないように鉄格子を切断し始めた。
山間に差し掛かり、山道に入る頃には、すっかり日が暮れていた。バレないかとヒヤヒヤしたが、男はルーペが何をしているか気が付いていない。
やがて音を立てて、鉄格子が切断された。その音に流石に気が付かれたのではないかと、背筋が凍ったが、ルーペには余裕がなかった。ここで逃げなければ、どんな目に遭わされるのか分かったものではない。
「うっ!」
勢いよく飛び降りたため、山道を転がり、崖から転げ落ちてしまう。ルーペは空中で手を動かした。幸いにも、その手が下の木に触れた。ルーペはそれを勢いよく掴んだ。腕一本で、体を持ち上げることになったため、腕を強く痛めてしまった。
そのまま、受け身を取ることもできずに落ちてしまった。高さは三メートルほどだったが、全身に鈍い痛みが走った。
ルーペは上を見上げることなく、その場から急いで離れた。腕も体も、そこら中が悲鳴を上げていたが、止まることはなかった。
そのまま、ルーペは暗い森の中に消えていった。




