149.パンが運ぶ風
「あ、あれ……。アーチェさん?」
ロロがおずおずと顔を覗かせた。やがて、目の前にいるのがアーチェであるということに気付いたようで、目に怒りをたたえて立ち上がった。
「い、今帰ったじゃないですよ! 俺は家の中にモンスターが入ってきたのかと……!」
「! この町、モンスターが入ってくるの?」
ロロの不安がアリアにも伝わったのか、アリアが怯えたようにキョロキョロと辺りを見渡した。ロロに話させると、どんどんと混乱が蔓延してしまう。散らばった料理がその思いを加速させていた。どうせこれは、扉の音に怯えたロロが机の料理を倒してしまったのだろう。
「いいや、入ったことはない」
アーチェは即座に否定した。ロロはいつもモンスターが町の中に入ってくるのではないかと、不安に満ちた視線をしているが、そんなことは一度たりともない。もちろん、一度ないからといって警戒が必要ないということにはならないが、ロロは少し心配し過ぎだった。
「料理だって滅茶滅茶だ! いいですか? 奴等はいつでも俺等を狙っているんです。少しでも油断したら、八つ裂きにされるかもしれない」
ロロのその言葉をアーチェは何度も聞いていた。
「小説が書けそうだね」
もうそのレベルの感想しか出てこない。アーチェにとってそれぐらいどうでもいい発言であった。
「大体、その子供は誰ですか? 勝手に家に入れないでください!」
ロロがようやくアリアに目を向けて、睨みつけた。ロロはあまり目つきがよくないのだから、そう睨むと心の弱い子供なら泣いてしまいかねない。
「この子はアリアっていって、しばらくうちで預かることになってるんだ」
アーチェは事の経緯を説明しようとしたが、ロロにとっては預かるという情報だけで十分なように思えた。
「嘘でしょ?! アーチェさん、俺は子供が苦手なんですけれど……。知ってますよね?」
「知らないけど」
むしろいつも子供と遊んでやっているではないかと言いたい。ロロは得意の音楽の腕を生かして、教会でピアノを弾く仕事をしているのだ。
そこには孤児の子供が多くいるため、ロロは非常に子供たちに人気だった。そんな光景を見せておいて、苦手だとはよくも言ったものだ。よくぶら下げられて、遊ばれているではないか。
「あ、あの!」
アリアが騒ぐロロの言葉を遮った。ロロは少し不快そうに、アリアを睨みつけながら言葉を返す。
「なに? 悪いけど、君には話してないんだ。今はアーチェさんと話してるんだから」
「勝手に上がっちゃってごめんなさい。素敵な家でテンションが上がっちゃったから! お詫びと言ってはなんですが、料理を片付けるための雑巾になりますので……!」
「いや、何もそこまではしなくていいよ」
ロロはそんなことを容認する性格ではないと信じていた。もしこれでアリアを雑巾にしたら、どうしようかと思った。その言葉が効いたのか、少しだけロロが黙り込む。
「俺はかわりのご飯を買ってきます」
ロロは恐怖が吹き飛んでしまったのか、家の外に急いで出ていった。ドアは明けっ放しだ。もうすぐ春が訪れるとはいえ、この気候では少し寒い。アーチェは風邪を引かないためにも、扉をすぐに閉じた。
「あの人、面白い人だったね」
アリアは何も気にした様子がなく、床に散乱した料理を片付け始めた。
「退屈はしないね」
ロロと暮らすようになってから、時間が経っているが一人でいるよりも暇をしない。それは今のアーチェにとって救いでもあった。
「さ、寒い!」
扉が大きな音を立ててまた開く。次には、ロロが自身の体でドアを強く閉めていた。
「あれ、もう買ったの?」
アーチェは市場の距離を想像してみたが、流石に帰ってくるのが早い。思っていた通り、ロロはフルフルと首を振った。
「何を作るか決めてなかったから、戻って来たんです」
「シチューじゃ駄目なの?」
アーチェはアリアと一緒に床を片付けながら答えた。形状や匂いからして、今日のメイン料理はシチューだったのだろう。それならば、シチューで良いではないかと思ってしまう。少なくともアーチェはそう思うが、ロロは違うのだろうか――。
「駄目ですよ! 同じものを作るなんて、俺のポリシーに反します! 俺は今日は別のものを作ります! アーチェさんは何が食べたいですか?」
「僕はカレーとか?」
アリアがいるのだから無難に誰もが好きそうなものにしてみたが、ロロは首を横に振った。
「俺、カレーはそんなに好きじゃないから駄目です」
「もうめんどくさいから、パンとかでいいよ」
アーチェは考えることをやめると、パン屋のフワフワのパンを思い浮かべた。あれなら、すぐに食べられるし、変に悩む心配もない。
「じゃあ、アーチェさん。お金ください」
「はいはい、じゃあこれで」
差し出された手のひらに硬貨を渡すと、ロロはパンを買いに走って行った。よく考えれば、前にも多めのお金を渡した気もするが、年頃なのでもう使い切ってしまったのかもしれない。どのみち、アーチェもアリアも食べるのだから、そこはどうでもよいだろう。
「変わった人。アーチェさんの弟さん?」
アリアと手分けした掃除が終わると、椅子に座りながらアリアが尋ねてきた。
「そう見える?」
「見た目以外は」
アリアは正直に答えた。確かにアーチェとロロの見た目は似ても似つかない。だからこそ、その答えはとても納得できた。一緒に暮らしていると似てくるというが、暮らしていれば暮らしているほど、容姿がかけ離れている気がする。
「そう。まぁ、弟じゃないけど。僕の弟はロロよりもっとぶっ飛んでる」
ラーフラのことを思い浮かべ、アーチェはそう答えた。ラーフラに比べれば、ロロなど可愛いものだ。
「本当の弟さん、会ってみたい!」
「そのうち、会えると思うよ」
アリアはロロに弟がいると知って、気分が高まっている。そういえば、アリアにも弟がいた。弟がいる者は弟がいる人を見つけると、仲間を見つけたような気がして嬉しいのだろうか。ラーフラとは大人になってから出会ったのだから、アーチェの場合は普通には当てはまらない。
ラーフラがどこにいるのか考えると、気が滅入りそうだ。ソラと含め、ラーフラのことも探しているが、なかなか見つからない。目撃情報などはあるのだが、その場所を訪ねたときには、もういなくなっている。
「アーチェさんは、いくつなの? 人間族?」
アリアは首を傾げた。他人にとってアーチェの年齢も種族も分かりにくいだろうと思う。アーチェ自身も聞かれなければ、わざわざ言ったりなどしない。少し前だったら、アーチェは種族を鳥人と答えただろう。
けれど今は――。
「年は十七。種族は……内緒で。ちなみに、さっきのロロは一五歳だよ」
「もっと幼いのかと思った……!」
アリアは種族のことに関しては触れず、口元を押さえた。その驚きがどっちに向けられたものなのか分からないが、アーチェは深く追求しないこの姿勢に落ち着きを覚えていた。
「買ってきました!」
話し込んでいると、ロロが扉を強く開けて家に帰ってきた。籠にはぎっしりとパンが入っている。小麦粉と牛乳のいい匂いが漂ってきて、アーチェは久しぶりに食欲が湧いた。
「それにしても、ロロがパンを買いに行くなんて珍しいこともあるもんだな」
アーチェはパンが入った籠を丸テーブルの上に置くと、ロロがよく分からないという顔をした。
「何か変でしたか?」
「いや、だってロロってパンが苦手じゃん。だから、珍しいなーって思ってさ」
一度パンを出したことがあったが、ロロはあまり食べることができなかった。それは単なる好き嫌いだが、ロロにはあまり食べ物の好き嫌いがないため意外で覚えていたのだ。
あれ以来、ロロがパンを食べることはなかったのでアーチェが驚くのも無理もないことだった。アーチェも今まではすっかり忘れていたのだが――。
「……、そ、そうでした」
「もしかして、パンが苦手なの忘れてたの?」
アリアが信じられないというように口にした。しかし、ロロの表情を見るにそれが真実なのだろう。
「また他の買って来ます!」
扉は再び開け放たれた。




