145.医者の資格
「ねぇ、私も調合を見ていていい?」
「構わないよ」
アリアが恐る恐る尋ねると、アーチェは快く頷いてくれた。その言葉にアリアはホッとした。アリアにとっては貴重な光景だからだ。見せてもらえれば、次に同じことがあった時に役立てられるかもしれない。もちろん、次があるなどとは想像もしたくないが――。
ファオの容体は相変わらずだった。呼吸が浅く、今にも死んでしまいそうだ。アーチェは慣れた手つきで薬草の殻を一つ一つ剥がしていくと、そのまま鉢に入れ、水を加え、静かにかき混ぜた。
段々と薬草の色が変わっていき、赤色になったところでまた水を足す。その後も色は常に変化したが、最後にお湯を足したところで、色は金色へと固定された。
「これでいい」
アーチェはそう言うと、トロリとした液状の薬をファオの口元へと近づけた。ファオは最初は嫌がって飲もうとしなかったが、最後には少しずつ飲むようになった。アリアはすぐに良くなることを期待したが、少し呼吸が安定したぐらいで、目に見えた兆候を見せることはなかった。
「効果が出るまでは明日まで待たなくてはいけないだろうね。許可を貰えるのなら、明日も様子を診たいからこの村に泊めてもらえると助かるんだけど」
「も、もちろんです! オリバー、この村の宿屋で一番いい部屋を与えて上げなさい!」
アリアの父親はすぐに立ち上がると、甥っ子のオリバーを呼びつけた。
「はい、叔父さん!」
オリバーがアーチェを宿屋へ案内し始めた。アリアは弟の手をギュッと握りしめた。弟は握り返してくれることはなかったが、明日になればきっと今日よりは良くなるはずだ。
母親がアリアの肩にそっと手を置いたのが分かった。
◆
「あ、アーチェさん? いる?」
アリアは周りに見つからないように気を配りながらも、アーチェの泊まっているはずの部屋の扉を叩いた。宿屋の店主が寝ている隙に、ここに入り込んだのだ。アーチェがドアを半分だけ開け、突然の訪問を不思議がっていた。
「いるよ。何か用? 容体が急変したとか……?」
「ううん……! 違うの! ちょっと、話したかったから! 村の外の人ってあまり会うことがないし……」
アリアにとってこの村はあまりにも狭すぎた。村の人たちは全員いい人たちだ。気がしれているし、居心地は良い。けれど、それだけではどうしても足りないのだ。アリアにとって外の世界というのは憧れだった。それは外の世界から来た人間にも言えることだ。
「こんな時間に出歩いて、親御さんはまた心配するんじゃないの?」
「うぅ……」
アーチェの言葉にアリアは返す言葉もなかった。まさしく、その通りであった。やはり駄目かと、アリアが帰ろうとしたが、アーチェは扉を全開にした。
「少しだけならいいよ。夜更かししない範囲でね」
「う、うん! もちろん!!」
アリアはその提案が嬉しくてたまらなかった。部屋に入ると、部屋に備え付けられていた椅子に腰を掛けた。アーチェはその向かいのベッドに腰を掛ける形になる。いざ、話してもいいとなると何を話していいのか迷ってしまう。そんな空気を察してくれたのか、アーチェから質問を投げかけてくれた。
「そんなに外の人が珍しいのか?」
「この辺じゃ、全然見ないんだもん! 来るとしたら、年に一回の行商人とか? あとはお医者様もそうなんだけど、あの人は昔からこの辺に住んでるからあんまり外の人って感じがしなくて」
アリアはせきを切ったように話し始めてしまった。アリアのお喋りは有名で、村のお喋り婆さんといい勝負だと口々に言われた。アリアもそれは否定しない。
「あぁ……。確か隣村に行っているって言ってた人だね」
アーチェが思い返すように呟いた。オリバーとの会話をアーチェも聞いていたからだ。
「そうそう! あ、そうだ! そういえば、アーチェさんは元々お医者さんをしてたんでしょ? どうして辞めちゃったの?」
会話の内容を覚えるのは得意ではないが、アーチェは今は医者はやっていないという口ぶりだった。しかし、アリアからすれば調合も迷いのない動きだったため、どうして医者をしていないのかが分からなかったのだ。
「薬の管理ができない人間に、医者の資格なんてないと考えてのことだ。自分への戒めっていう方が正しいのかもしれないけど」
その時のアーチェの表情は苦しそうだった。難しいことはアリアには分からないが、アーチェは昔のことでとても苦しい思いをしたということが分かった。それが分かっただけで、アリアにとっては十分なことだった。
「そうなの……」
「うん。でも、今は他に目標があるからね。そのために、動いてる」
「何の目標?」
アリアはアーチェの目標が気になった。それがきっと彼を強くたらしめているのではないかと思ったのだ。アリアは外の世界のことを知り、もっと強く賢くなりたかった。
「三人……いや二人と一匹を探してるんだ」
アーチェは三人と言いかけて、口ごもったように訂正した。
「人探し?」
それ自体は特に重大なことには思えなかった。しかしアーチェのことだから、何か深刻な事情があるに違いないと思った。なんにせよ、目標は目標だ。
「そんなところ」
「まだ手かがりは見つからないんだ」
アーチェがあまり明るい顔をしていないのを見て、アリアは状況を察した。
「そうだね、まだあまりいい情報は集まってないな。さて、そろそろ戻った方がいいんじゃないか?」
アーチェが時計を指差した。アリアがその指の先を見ると、時計の針はいつも寝る時間よりだいぶ遅い時間を指していた。良い子は寝る時間と言われる時間を、とっくに過ぎてしまっている。アリアは両親の顔を想像し、慌てて立ち上がった。
「え?! あ、もうこんな時間!」
戻らなければいけないと思いつつ、アリアは名残惜しい気持ちだった。まだ肝心の外の世界のことを聞けていないというのに――。
「話足りないんだったら、また明日話せばいい」
アーチェが少しだけ笑みを浮かべた。そういえばアーチェが笑うところを一度も見ていないことに、アリアは初めて気が付いた。
「何も言わずに帰ったりしないでね」
彼ならそんなことをしないと分かってはいたが、不安からそんな言葉を口にしてしまう。しかし、アーチェは少しも気分を害した様子もなく頷いた。
「当たり前さ。さぁ、見つからないうちに戻りな」
「うん! おやすみなさい!」
「あぁ、おやすみ」
アーチェはアリアが隠れてここに来ていることにも気付いていたようだ。アリアは少し照れ臭さを覚えながら、その場をあとにした。
◆
「いい子だな」
アーチェはベッドに腰を掛けると、そのまま寝転がった。羽毛が使われているのか、とても寝心地が良い。鳥人の赤子は親の羽毛でベッドを見繕ってもらう。そのため、アーチェは羽毛ベッドで寝ると心地よかった。
目を瞑り、明日に備えようとしたがなかなか眠りにつくことができなかった。いつだって、眠る前に浮かぶのは一年前のあの光景だった。
「君はどこにいるんだ……」
アーチェは額を抑えると、そのまま自身を無理矢理眠りにつかした。




