140.覚悟
「……」
アーチェは黙り込んで座っていた。もうどれくらいの時間こうしているだろうか。そろそろ、海化処理が解ける前に、深海から脱走した方がいいのではないかと思う。恐らくそれが正しいのだ。だがアーチェは動くことができなかった。ふと、思い立ち荷物から宝玉を取り出した。それは深海の中だというのに、強く光り輝いていた。それに目を奪われ、しばらく見つめる。
「これがあれば、僕も鳥人になれる……」
ソラの話から、自身の母親のことを知り深くそう思うようになった。これがあれば、アーチェは捨てられることなどなかったことにできる。そんなあり得ない妄想をしてしまうのだ。
「アーチェ?」
「ソラ……?」
「うん、私」
後ろから突然、抱きつかれてアーチェは驚きながらもその名前を口にした。その行為は抱きついていると言うよりも、疲れてもたれ掛かっているという方が正しい。
「ロロはどうしてる?」
アーチェは平静さを装うと、ロロのことを尋ねた。ロロはあの後、だいぶ精神的に不安定だったようで、アーチェと目を合わせることすらできないようだった。だが、誰が彼を責められようか――。アーチェの顔を見るだけでも辛いはずなのだ。
むしろ、ソラのように今までと変わらないように接してくれる方がおかしいのだ。ロロに拒絶をされた時、はっきり言ってショックだった。年の近い人が周りにずっといなかったからこそ、ロロのことは友達のように思っていた。
ロロが今までどう思ってたかは知らないが、少なくともアーチェのことを嫌ってはいないだろうと思った。けれど、もう関係の構築は無理だろう。アーチェは二人から離れた方がいいのかもしれないとすら思った。
「……、落ち着かせた」
ソラはしばらく黙ったあと、淡々とそう告げた。その言葉に少しだけホッとした。少なくとも、取り乱してはいないようだ。
「それからさ、アーチェにはずっと言ってなかったけど、私記憶戻ってるから」
「うん、気付いてた」
アーチェは頷いた。ソラが昔のことを話す前からアーチェはそのことについて気が付いていた。ローズマリー王国を出てからというものの、ソラは少し雰囲気が変わった。最初は、気のせいかと思ったが徐々にそれは確信に変わっていった。
「ソラはさ、僕が憎くないの?」
それが今のアーチェにとって一番聞きたかったことだった。ソラはアーチェのことが憎くないのだろうか。そういった思いを抱かれても、仕方がないとアーチェは割り切っている。むしろそう言ってもらった方が、感情の整理がつくのだ。だが、ソラは表情を変えることなく首を横に振った。
「親と子は関係ない」
「ソラは凄いね」
アーチェは嫌味でも妬みでもなく、ソラの言葉に胸を打たれていた。親と子は関係がないというのはよく聞く話だ。けれど、実際はそうは思えないことがほとんどだろう。アーチェだって、自身の嫌いな祖父の血を引いている家族は皆、嫌いだった。アーチェに優しくしてくれたとしても、好きになることはなかっただろう。それが普通なのだ。
「まだ理解が追いつかないよ」
アーチェは気が付くとそう呟いていた。ラーフラは自身の弟であり、リヴォルネという人が自身の母親であることをまだ飲み込めずにいた。もちろん、事情は分かっているのだ。しかし、それとこれとは話が別だ。事実をすぐに飲み込めるかと言ったら、そうではない。
「だろうね。ラーフラは特に気にしてなさそうだったけど」
「だね。僕としてはもっと気にしてほしかったけど」
むしろラーフラは物事に関して無頓着過ぎると思う。少しは、自身に兄がいたことについて、何か感情を抱いてほしいものだ。アーチェもそんなに感情を表に出す方ではないが、ラーフラに至ってはアーチェと同じ感情を抱いているのかさえ怪しい。
少なくとも、アーチェとは似ても似つかない存在だ。父は朗らかで優しく、ラーフラとは性格がまるっきり似ていない。
「アーチェ、お願いがあるんだけど」
「なに?」
ソラが言いにくそうに、髪の毛をいじった。ソラの髪の毛はアユリアによって編み込みにされているため、とても綺麗だ。その髪に少しだけ意識を持っていかれつつも、アーチェは暗い気持ちになった。もしかしたら、別々に旅をしようと言われるかもしれない。アーチェは先ほど聞いた話から、それを覚悟していた。だからこそ彼女の口から出たのは全く予期していない言葉で――。
「ロロとこれからもずっと一緒にいてあげてくれる?」
「え……」
そんなお願いをされるとは、思ってもいなかった。もちろん、ソラに言われるもなくそうしていいのならそうしたい。けれど、ロロが自身と同じ空間にいて耐えられるのか、アーチェは頭を悩ました。しかし、ソラは本気でそのお願いをアーチェにしていた。だからこそ、生半可な気持ちでこの答えを口にしてはいけないと思った。
「うん、こっちからお願いしたいぐらいさ」
だから、これは生半可な気持ちなのではない。アーチェはそれなりの覚悟を持って、この答えを選択したつもりだ。ソラはその言葉を聞いて、笑顔になった。その朗らかな表情をしばらく見ていなかったことに、アーチェは今更ながらに気が付いたのだ。
「ありがとう」
「うっ……!」
その言葉を呟いてすぐに、アーチェはソラに押さえつけられた。そのあまりにも強い力にアーチェは抵抗することさえできなかった。突然のことに、何が何だか分からなかった。だが、彼女がアーチェの鞄を取り上げたのが見えて、ソラが何を手にしたかが分かった。
「これ、貰っていくね」
ソラはアーチェの鞄からそれを抜き取ると、鞄をアーチェの手の中に戻した。強い力から解放されたあとも、アーチェはしばらく動けなかった。それだけの衝撃だったのだ。
「ソラ……!」
アーチェはその名前を再び呼んだ。先ほどと違ったのは、彼女からの返事はなかったということだ。アーチェに背を向けて、ソラは歩き出してしまった。
この時、アーチェは彼女のことをまだ何も理解していなかったのだと、そう思ったのだ。




