13.銀色のナイフは君に向かう
ロロの剣からはポタポタと血が垂れている。顔には疲れが滲んでいた。
「ロロ、どうやってここに?」
「他の所に発生した蟻地獄に飛び込んだんだよ。かなり迷ったけど、ここの入り口を見つけてよ」
どうやらあの円状の空間は他の場所にもあったらしい。それにしても飛び込んできたなど驚きだ。心配をかけてしまったとソラは申し訳なく思った。ロロはソラの前まで、歩み寄ってくると怪我がないか観察し始めた。
「大丈夫か? あいつに襲われそうになってたみたいだけど」
ソラはそう言われてセザールの遺体を見た。彼の手にはナイフが握られている。ロロはその光景を目前として勘違いをしたのだ。
「されてないよ。むしろ、よくしてもらったっていうか……」
「嘘つくな。ナイフを向けられていたじゃないか」
ロロは首を振った。こちらの発言を信じてはいないようだ。
「優しさは空回りしてたけどね。これは即死だろうね」
アーチェは椅子から立ち上がると、彼の脈を取ろうとした。その瞬間、絶命したと思われた頭が上空に飛び上がった。
「うわ!!」
アーチェは驚いて腰を抜かした。頭はその場でピョンピョンと飛び跳ねると、首のない体にくっついた。体はバキバキと音を立てて、立ち上がる。やがて首につけられた傷は綺麗に塞がり、彼の目がギョロギョロと動いた。
「やれやれ、驚いたよ。まさか僕が波動を察知できないほど君の瞳に集中してしまうなんてね」
セザールは手に持っていたナイフを握り直した。その瞬間、とてつもなく嫌な気配を感じて、ソラは後ろに飛び退いた。体中から汗が噴き出る。本能がこの男への警鈴を鳴らしていた。ロロとアーチェは動かない。こんなにも体を不快にさせる男から離れないことがソラには信じられなかった。
それは紛うことなき恐怖の感情であったが、ソラはその裏に別の感情があることを悟っていた。
「おや、ソラはかなりいい勘をしてるね。波動を感じる才能がありそうだ。でも、残念。我に戦う意思はないのさ」
彼はナイフを机の上に置いた。刹那、体中に感じていた嫌な雰囲気が収まる。ソラは構えを解いた。
「まぁまぁ、そこの君も座りなよ。ロロだっけ? ちょうど、特製のケーキが出来上がったところだから」
「鬼族が再生出来る事忘れてたぜ」
「あぁ、確かそんな話があった気がする。あれは迷信だと思っていたぜ」
ロロは剣を収めない。アーチェはロロの言葉に目を瞬かせた。アメジスト色の瞳には敵意が浮かんでいる。セザールは怪しくほほ笑んだ。
「我の名前はセザール。以後、お見知り置きを。さぁさぁ、座るんだ。アコーディオンの演奏を君にも聞かせてあげよう」
彼が指を弾くと、机の側に新たな椅子と紅茶が出現する。セザールはクルクルと回ると、演奏するための椅子に座り込み、アコーディオンを再び弾き始めた。
彼が生み出す綺麗な音色が響き渡る。ロロは困惑している。初対面のセザールを見たら、みんな同じ気持ちになるだろう。
「ロロ、座った方がいいよ。悪い人じゃないと思う」
「くそ、なんだあいつは」
ロロは素直に椅子に座り込むと、紅茶を用心深く観察していたが、しばらくすると口にした。その瞬間、ロロは苦虫を噛みつぶしたような顔をした。
「うわ、これなんだ。こっちのケーキも不味!」
ソラはセザールに聞かれないか冷や汗をかいたが、彼は演奏に集中していてこちらの発言を気に留めている様子はない。
ロロはフォークを皿の上に戻した。
「あいつは何者なんだ?」
「セザールっていう人でここに五十年前から住んでるんだって。ほら、この本の主人公の人だよ」
ソラが鞄から本を取り出すと、ロロが少し驚いた顔をする。
「そんなの、嘘臭くないか。第一、この大陸は発見されたばかりだぞ」
「僕はその方が夢があると思うけどね。恐らく、彼は単独でこの地に降り立ったから、当時の他の人はこの大陸のことを知らなかったんじゃないかな」
アーチェは砂糖をもう一つ入れると、クルクルと小さなスプーンを回した。ロロは砂糖を入れずにそのまま飲み干した。
「それより、早くここから抜けないか。あいつはかなり気味が悪いし」
ロロはソワソワし始める。確かにセザールは怪しい男だ。ソラも同じ気持ちだが、まだ上からは塵旋風の音が聞こえる。アーチェもソラと同じ事を思ったようで、ロロを諌めた。
「そうしたいけど、無理だよ。上に塵旋風が発生してるらしいんだ。それに彼からこの大陸の話を聞くのもいいと思わない?」
「俺は思わないね。あいつは不気味だ。おい、そのアコーディオンの音を止めろ。俺は音楽が嫌いなんだ」
ロロはガチャリと音を立てて、椅子から立ち上がった。流石のセザールもこの状況では、演奏をしなかった。アコーディオンを奏でる手を止め、ロロに着目する。ロロは柄から剣を引き抜いた。
「おや、我の演奏は不快だったかな」
「今、そう言っただろ。言葉が分からないのか」
セザールの顔から笑顔が消え、彼は手に持っていた楽器を椅子の上に置いた。
「やれやれ、我の演奏の素晴らしさが理解できぬとは。まだまだ子供だな」
セザールの目が鋭くなる。再び悪寒がソラを襲った。このままでは危険だ。アーチェは流石に止めなければと思ったのか、ロロの腕をつかんだ。
「ねぇ、ロロ。今はそんなことをしても意味がないと思うんだけど」
「うるさい、俺はコイツに腹立ってるんだ。下手くそな音色なんか聞かせやがって」
「……。今、何と言った? 我が下手くそと?」
「あぁ、そうだよ。演奏の最中も三回間違えてたし、そもそも曲が滅茶苦茶なんだよ! 聞いててイライラする!」
ロロが髪をくしあげながら、セザールの演奏を指摘する。ロロの評価にソラとアーチェはお互い顔を見合わせた。セザールの演奏が下手だとは全く思わなかった。ソラも音楽に関しては無頓着だ。
アーチェも音楽のことについてはあまり詳しくはなさそうなので、曲の違和感には気が付かなかったのだろう。それにロロは嘘をついているわけではなさそうだ。セザールは怪訝な顔をした。
「なに、我の演奏に間違いが……。ふむ、にわかには信じられないが……」
「こんな嘘つかねぇよ」
「ふむ。じゃあ、勝負をしようではないか」
「勝負?」
「我と戦って、そちらが勝つことが出来たのならば、我は己の間違いを認めよう」
予想外の返答にロロは口を開けた。
「何でそうなるんだ? 俺の言ったことを素直に認めればいいだろ?」
「そんなこと言われても、この場には我達以外に音楽に詳しい者がおらぬ。どちらが正しいかジャッチができない」
セザールは机の上に置かれていたナイフを持ち上げた。
「鬼族では、そういうときには決闘で決める。勝者の言い分が全てだ」
「……、分かった。いいぜ、どうせ俺が勝つけどな」
ロロは切っ先をセザールに突きつけた。それに対してセザールは指をノンノンと言いながら、横に振った。
「我は君とは戦わぬ」
「なに?」
「ソラ! 君だ。我は君と決闘をする!」
セザールが握っていた銀色のナイフがソラへと向けられる。
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