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138.マイナス地点 終盤

「そんなのできっこないよ!」

 

 ソラは反射的にダスティンの言葉を否定していた。この人は何も分かっていないのだ。リヴォルネは赤子の手をひねるように、人を殺せる。そして、それはとても恐ろしいことなのだ。


「嬢ちゃん、俺の筋肉は何も見せかけって言うわけじゃないんだ」


 ダスティンが自身の二の腕を見せてきた。鍛え上げられた体だ。だが、そんなものは何も意味をなさない。


「違うよ! あの人はそんなもんじゃ、止まらない!」


 ヘリオを亡き者にするとき、彼女は針を使っていた。それが彼女の武器なのだ。普通は針で人を殺せるとは思えない。恐らく、リヴォルネにはソラたちには知らない力があるのだ。だからこそ、ここからソラの知る限り一度も脱走者を出していないのだ。この計画は実行する前から、失敗が決まっている。


 ダスティンはいい人だ。ソラは彼に死んでほしくはなかった。死んだら当たり前だが何もできないのだ。愛しき誰かに触れることも、言葉を介すことも何もできない。そんなのはソラにとっては耐えられないことだった。


「ソラ……?」

 

 ロロと出会ってから、ここまで取り乱したことはなかった。だからこそ、ロロは驚いたのだ。少しだけ怯えたようにソラの服の裾を掴んだ。その瞳にソラは冷静さを取り戻した。思わず立ち上がってしまったことに、遅れて気が付いた。


 ダスティンは自身の計画を否定されたことについて、何も表情を変えることがなかった。獣人の兄弟は空気を読んでいるのか、先ほどのような軽口を交わすことはなかった。ただ、黙ってダスティンの言葉を待っていた。しばらくして、彼は口を開いた。


「俺は何も勝算なしに、この計画を立てたわけじゃない。現に、俺はここに攫われてるんだ。だから、あいつの強さは理解してないわけじゃない」


「だったら、なんで……?」


 ソラにはそれが理解できなかった。ダスティンは決して頭が悪いわけではない、無鉄砲なわけではない。それはこれまでの話しぶりから理解していた。理由を聞かなければと、ソラは思わされたのだ。


「あいつは遠距離には弱いと見た。種族差別はしたくないが、あの女は鳥人なんだ」


「ちょうじん?」


 ソラはその言葉を初めて聞いた。何か種族を表す言葉だろうと、察しはついたが反射的に言葉を繰り返していた。


「腕に翼を持つ種族だよ。空を飛べるんだ。俺も初めて見たけど。ソラが怖がってるその人は、鳥人なんだね」


 どう説明しようかと首を回しているダスティンの代わりに、ロロがソラの疑問に答えた。ロロはまだリヴォルネに会ったことがないのだ。それはソラが意図的に会わせないようにしているからでもあった。ロロまでもが恐怖を植え付けられることはない。あの人が来る日は限られていた。


 だから、ロロを意図的に遠ざけさせることは対して難しくはない。リヴォルネはいつもロロに会いたがっていたが、ソラはそれを知っているからこそ、遠ざけたのだ。あの人がロロの瞳に興味を引かれていることは知っていた。


 ロロの瞳が珍しいことは、ソラにも分かる。リヴォルネのことだから、ロロの瞳を貰おうとしかねない。それ物理的にという意味だ。あの人にとっては、人というものはコレクションなのだ。


 鳥人。彼女の腕には確かに翼のようなものがあった。ソラはあの人の種族のことまでもは知らなかった。そもそも、鳥人という種族を知らないのだから、それは当然と言えた。

     

 思い返してみると、その翼は時々、ここに舞い降りる白い鳥と一緒だった。だが、違和感があるとすればあの片方しかない翼だろう。

 

 あれで、空を飛べるとは到底思えなかった。ソラの名前の由来がなんとなく分かった気がして、少しだけ気分を害す。ソラの名前は彼女につけられたものだ。


「とにかく、腕っぷしまで強いとは到底思えねぇ。実際に俺があいつに出会ったときも、あいつはやけに距離を取ってた。肉弾戦には自信がないんだ」


 ダスティンがソラが理解したのを見て、話を締めくくった。


「けど近づくことなんてできないよ」


 彼女の動きは素早いのだ。気が付くと、すぐに攻撃されている。近づけるとは想像もつかない。


「そこで、嬢ちゃんの出番ってわけだ!」


「私の出番?」


 ダスティンの予想外の言葉にソラは首を傾げた。自分は協力するつもりなど、毛頭ないのだがダスティンの計画には自然とソラが組み込まれているようだ。そもそも、まだ子供のソラに声をかけること自体が、不可思議なのだ。何か意味があったとすれば、ダスティンの行動にも理解が追いついた。


「嬢ちゃんはあいつのことをよく知ってるんだろ? 部屋の場所とか、その他いろいろな」


「まぁ、他の人よりかは」


 確信があるわけではない。記憶も曖昧だ。だが、想像力を働かせれば、その疑問に答えることは容易だった。


「ここにいる人たちで決行するつもりなの?」


 ソラはダスティン、獣人の兄弟、ロロに順番に目をやった。これでもかなりの大人数だ。脱走をするのなら、一人でするほうが楽だというのに――。


「嬢ちゃんは何を言ってるんだ?」

  

「?」


 ダスティンは立ち上がった。


「全員さ! 俺はここにいる全員を脱走させるつもりだ!」


「な?!」


 その言葉は予期していなかった。全員。その言葉に、ソラは膝から崩れ落ちそうになった。ここにいる全員となると、その数は数百から数千になる。老人、体に不自由のある者。

 ここには、そんな多種多様な人がいるのだ。全員で脱走など、到底成功するとは思えない。ダスティンは賢い人間だと思った。それは思い違いであったのかと、ソラは言葉を失った。


「もちろん、嬢ちゃんも一緒だ。俺は全員で脱走でなければ、動かねぇ。返事は今ここで聞く!」

  

 ダスティンが再び、腰を掛けた。ダスティンの瞳は真面目で、世迷い言を言っているというわけではないようだ。いっそのこと、世迷い言を言っているという方がマシであったかもしれない。


 獣人の兄弟が期待に満ちた瞳をソラに向けるのが見えて、ソラは自然と目を逸らしていた。ズルいとさえ思えた。


「ソラ!」


 ロロがソラの名前を呼び、希望に満ちた瞳で、ソラの手を握りしめた。ロロは多くの言葉を語らなかった。だが、名前を呼ぶその声だけでロロの言いたいことが分かった。


 その手は少し震えてすらいて、ロロも希望だけを抱えているわけではないのだと気付かされた。彼はこれがリスクがある行為だと分かっている。分かっていて、なおここから出ようとしている。


 そして、彼がどれほどここから出たがっているのかというのが、ソラには痛いほど分かった。その瞳はヘリオと全く一緒だった。ここで断るという選択肢はもうソラにはなかった。全てロロのためだ。


「いいよ、私も協力する」


「よしー!! よく言った、ソラ! 俺に全て任せておけ!!」


 ダスティンはソラの言葉を聞いて、誇らしげに胸を叩いた。


 その瞳は希望に満ちていた。

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