137.マイナス地点 中盤
「ロロ、寝ちゃった?」
ソラは、自身の肩に頭を預けているロロの体を揺さぶった。しかし、ロロからは応答がなくゆっくりとした寝息が聞こえてきた。手にはさっきまで読み聞かせてくれた本が握られていた。予想外に面白かったため、続きを聞くのを楽しみにしていたのだが、肝心のロロは眠気に耐えられなかったのだろう。朝も昼も体を動かしているのだから、当然と言えば当然だった。
「起きてるんじゃなかったの?」
脱走計画について話だけでも聞いてほしいと言われ、夜更かしに付き合わされているというのに、肝心の本人が寝てしまっては示しがつかない。だが、ロロの安心しきった顔を見ていると、そんな思いも吹き飛んでしまった。
「お、もう集合してるのか。遅くなって悪かったな、ガキ共」
ソラがしばらくロロに肩を貸していると、ダスティンが腕を回しながら、洞窟に足を踏み入れた。今、ソラたちは奴隷場の中にある洞窟にいる。ここには見張りも来ないので、比較的安全だ。だからといって、こんな大きな声を出していいというものでもない。
「うーん、ダスティンさん……?」
ダスティンの大声で起きてしまったのか、ロロがゆっくりと瞼を広げた。まだ眠そうだ。成長期なのでできれば多くの睡眠時間を取ってほしいものだ。
「おう! 俺の連れも何人か連れてきたんだ。ほら、自己紹介してやってくれ」
「オイラの名前はフリバーっす。それでこっちが弟のローンっす。よろしくっす!」
「よろしく!」
気さくなその兄弟はソラたちの顔を見るなり笑顔になった。何度か見たことがある気もするが、思い出せない。ソラが目の前の兄弟を観察していると、彼等の頭に獣人特有の耳があることに気が付いた。
尾が長く、地面にまで付いてしまっている。その尾を引きずるものだから、地面のすすで尾が汚れてしまっている。二人とも顔がよく似ていて、流石兄弟というだけある。
「ソラさん、ロロさん! よろしくっす!」
「なんで、さんづけ?」
ロロが首を傾げた。子供相手にさんづけをする相手はここでは初めて会った。大体は呼び捨てか、名前にちゃんとくんをつけられることが多い。
「お二人はここの古参だそうなんで!」
「ふーん」
ロロが少し得意げな顔になった。ソラにとってはこんな場所の古参など、嬉しくも何ともないがロロは先輩面ができて嬉しいのかもしれない。怯えたようにソラの服を掴んでいたが、緊張が解けたように手を離した。
「そうらしいな。お前ら、ここには何年ぐらいいるんだ?」
「……、八年とか九年ぐらい?」
ソラからしてみれば、物心ついたときからここにいるのだから正確な年数は分からなかった。数字の数え方も、ロロに教わってようやく理解できるようになったのだ。
「俺は四年ぐらいかな?」
ロロはここにいる日にちをいつも数えていたようだった。はっきり言って、そんなことは希望をすり減らすだけだと思うが、ロロにとっては大事な行為のようだった。ロロはいつかここから出ることを夢見ている。帰りたい場所があるのか、そのことについてソラはあえて聞かないでいた。
「そうか、大変だったな。嬢ちゃんはまだ、十歳か十一歳くらいだろ?」
ダスティンがしんみりとした顔で、ソラの頭を撫でた。その仕草は少し乱暴だったが、思いやりや優しさが伝わってきた。
「分からない」
ソラは頭を振った。本当は自身の年齢が十一歳だと知っていた。あの人は毎年ソラの誕生日になると現れて、頭を撫でてくれたのだった。しかし、ソラにとってそれは苦痛以外の何物でもない時間だった。あの人の愛情表現はいつだって歪んでいた。
ここに送られる前、ソラはあの人――リヴォルネに育てられていたが、その時の記憶は思い出したくもない。ある程度、自分の手でできるようになると、リヴォルネはここにソラは放り出した。しかし、彼女の元にいるよりかは、良かったのだと今になって毎日のように思う。ロロによると、自身を育てた女の人を母親と呼ぶらしい。しかし、そんな尊い存在であるとはソラは到底思えなかった。
「……、ダスティンさんはどうしてここから出たいの?」
「俺か? 俺はなー話すのも恥ずかしいんだが、もうすぐガキが生まれるんだよ」
「生まれる……?」
ソラはその言葉の意味がよく分からなかった。けれど、彼の目は優しさに満ちていて彼には帰る場所があるのだと理解できた。そしてその瞳は紛うことなき、本物だった。
「ダスティンさん、父親になるんだ!」
ロロがまるで自分のことのように、嬉しそうに立ち上がった。彼はいつだって、自分以外の幸せを本気で喜ぶことができるのだ。それはある意味、才能なのだと思う。ソラの場合はそうでもない。嬉しさを感じるわけでもなく、妬みや嫉妬を感じることもない。ソラにとっては、自分以外のことは全てどうでもいいことだった。
「へぇー、ダスティンさんが父親なんて似合わないっすね!」
「ほんと、ほんと」
ロロの言葉を基に、獣人の兄弟はここぞとばかりに頷いた。ダスティンはその言葉を聞いて、耳まで真っ赤になった。
「うるせいやい! もう名前だって決めてあるんだからな!」
「なんて名前っすか?」
兄の方が、ダスティンの顔を覗き込んだ。こんな状況だというのに、どうしてそんなに明るく振る舞えるのかソラには理解が及ばなかった。けれど、ロロが最終的に楽しそうな顔をしていたので、それでもいいかと思った。
「俺はな、優しくて朗らかな子に育ってほしいんだよ。そんな想いを込めて、名前はリハイムにするんだ」
「リハイム……? それどういう意味?」
弟が分かるかというように、兄の顔を覗き込んだ。しかし、兄の方も首を横に振った。彼等には名前の意味は分からないようだ。もちろん、ソラも分からなかった。だが、リハイムという響きはとても好きだった。
「俺、知ってるよ! リハイムっていうのは、温かさを表す名前なんだ!」
ロロが手を挙げて答えた。ロロはソラの知らないことを何でも知っている。それはロロが外から来たというのは関係がなく、かなり良い教育を受けてきたのだろうと察せられた。
ヘリオも貴族という偉い立場だったらしいが、ここまで博識ではなかった。ロロはあまり過去のことを話さないが、自分は王子なのだと打ち明けてくれたことがあった。
ソラは外の世界を知らない。けれど、それはきっと貴族より上の立場を示す言葉なのだろう。
「おおっ! 凄いなぁ、坊主! 俺もよぉ、柄にもなく命名するための本なんか見て決めたわけよ! きっと、名前通りに育つぞ!」
ダスティンはロロに関心した目を送ると、誇らしげに胸を張った。
「ダスティンさんの名前の由来を考えると、そうとは思えないすっけど」
兄の方が苦笑いをした。ダスティンはそんな彼に軽く肘を入れた。一瞬焦ったが、すぐに馴れ合いなのだと気付いた。
「あの……、ダスティンさんそろそろ……」
弟の方が、ダスティンに目線を送った。そろそろ本題に入ろうということなのだろう。ソラは協力しないと決めているのに、少しだけ心臓の鼓動が早くなった。
「あぁ……。そうだな」
ダスティンは真面目な表情になると、腰を掛けた。真っ向から、ソラたちの目を見つめる。
「俺たちはここから脱走するつもりだ。それには、あの女を――リヴォルネを殺める必要がある」




