134.馴れ合い
「いたっ……」
アーチェは頭の上に乗っかっていた瓦礫を退かすと、体を起こした。立ち上がろうとしたところで、足が少しだけ痛む。色々な個所を打撲しているのが分かった。
「みんなは……?」
辺りを見渡してみたが、他には誰もいなかった。真っ暗で、何も目にはいらない。ここは恐らく海の底なのだ。光が届かないぐらい深い場所だ。
だが、アーチェには周りのものをなんとなく認識することができた。見えるとまではいかないが、物の境界線がラインのように見えている。ここまで見えていれば、歩けないことはない。
「ソラー! ロロー! ラーフラ!」
三人の名前を呼んでみたが、誰からも応答がない。あるのは、反響する自身の声だけだった。
「……アーチェ?」
しばらくして、奥の方からソラの声が聞こえた。そのことにホッとしつつ、アーチェは声の位置を頼りに、前に進んでいく。少し進むと、岩陰の裏にソラの姿があるのが確認できた。
「ソラ? 大丈――」
大丈夫かと声をかけようとしたが、ソラから返事はなかった。どこか怪我をしているのかもしれないと、アーチェは気にかかり前に進みでた。
「……アーチェ?」
「ソラ……」
ソラは泣いていた。静かに、声を上げることなく。アーチェは戸惑いいつつも、その場からは動かなかった。
「ご、ごめん」
ソラは涙をぬぐったが、まだ感情が収まらないようだ。 アーチェはソラの手を取った。
「大丈夫だよ、大丈夫だから」
「アーチェ……」
アーチェは彼女の手を握った。ソラの手は震えてはいたが、少しだけ時間が経つと震えも収まってきた。
「ロロたちを探そう」
「うん……。ありがとう」
ソラは小さく頷くと、足を踏み出した。深海を歩いていくと、見知らぬ生き物がそこら中の地面にひしめいている。アーチェの足にまとわりついてきた奇怪な生き物がいた。
「踏みそう」
ソラが奇怪な生き物を踏まないように避けていたが、生き物たちはアーチェたちが避けなくても、自然とその進行をずらしているものが多かった。飛びついてくる生き物はごく僅かで、危害を加えることもなかった。持ち上げても、毒がある気配はなさそうだ。
「ほら、あっちにいってろって」
アーチェは懐に飛びついた虫とエビが合体したような生き物を手でつまみ上げた。その大きさ、三十センチほどで、腹の中からは何百本の足がうごめいている。
「なんか、気持ち悪いね」
医者として経験を積む中で、何度か奇怪な生き物を見てはいるが、ここまで不思議な造形の生き物は見たことがない。
「アーチェ、誰かつけてきてる」
ソラがアーチェの服の裾を掴んだ。その仕草に少しだけドキッとしてしまいつつ、後ろを振り返った。
「! 誰だ!」
アーチェの声に反応するように、岩陰から影が飛び出した。その影はかなり素早く、アーチェの後ろに忍び込んだ。そのまま地面に押さえつけられ、目を隠される。
「いた!」
アーチェはもがこうとしたが、上手く関節の辺りを押さえられているため、動くことができなかった。
「やめろよ、ラーフラ。こんなときにふざけるのは……」
押さえつけてある相手にアーチェは声をかけた。顔を見なくても、誰かは分かった。こんな深海にアーチェたち以外の人がいるとは思えない。ロロがこんなことをするとは思えないからこそ、ラーフラしか考えられなかった。
「よく俺だって分かったね」
ラーフラが手を離した。離された勢いで頭を地面にぶつけそうになるが、直前で手をつくことができた。
「ラーフラ、ロロを見なかった?」
「やけにあいつのことを気にするんだね」
ロロの居場所を聞かれたことが少し不快だったようで、ラーフラはおもむろに目を細めた。その表情は誰かに似ている気がしたが、思い出せなかった。
「まぁね」
「ふーん、ロロの場所なら知ってるよ。でも、教える条件がある」
ラーフラはソラの言葉を聞いて、指を立てた。ソラは不思議そうに首を傾げた。
「条件?」
「ロロの場所を教えたら、あの女の人の言っていたことを教えてね。あの反応だと、知ってるんでしょ?」
「いいよ」
ソラは頷いた。アーチェは先ほどのテレーナとの会話といい、何を話しているのか理解できずにいた。そして、ロロのあの怯えたような瞳を思い返し、自身の拳を握りしめた。何かアーチェには理解できないような事情があるのだ。そうでなくては、あのロロがあんな態度をとるはずがなかった。
「ロロはあっちの方にいたよ」
ラーフラがソラたちが歩いてきた方向と反対側を指さした。流石のアーチェでも、遠すぎたため何があるのかは見えなかった。
「声をかけなかったの?」
そんなことよりも、アーチェはラーフラの発言に信じられないという思いで口を挟んだ。しかし、ラーフラは聞いてもいないというようにその辺をフラフラとしている。
ラーフラはロロに興味がないのだろう。興味がない相手には、あえて関わらないのだ。放置したことを責める気にもなれない。
「ラーフラ、一つだけ聞きたいことがあるんだけど」
「なに?」
ソラの呼びかけにラーフラは顔を上げた。アーチェが呼びかけたときには、聞く素振りを見せなかったというのに、ソラの言葉には応答するようだ。その明らかな態度に呆れよりも関心が勝ってしまう。
「ラーフラっていくつ?」
「十六」
その言葉にアーチェは少しだけ驚いた。見た目は同い年だと思わせるが、今までの言動から少し年下なのではないかと勘ぐっていた。だが、たまに大人びた態度を見せることがあるため、複雑な気持ちだ。
「そう……」
それを聞いてソラは考え込むように視線を逸らした。アーチェは今の問いかけの意図を聞いてみたかったが、それを聞ける雰囲気ではなかった。
ソラが暗闇に向けて歩き始めると、アーチェはその後を追った。岩陰からは多くの視線を感じる。奇怪な生き物たちがアーチェたちを監視しているのだ。
このような見た目は、モンスターという方が正しいということに、遅れて気がついた。ここに生息している生き物は、アーチェたちが“モンスター”と呼ぶ存在なのだ。
深海には危害を加えるモンスターはいなかったが、油断は大敵だ。いつでも反応できるように、ブーメランを握りしめた。
そこでブーメランが少しだけ軋んだことに気が付いた。この武器はもう五年近く使っている。そろそろ、寿命がきているのだ。この武器を使えるのも時間の問題だろう。
「その武器、かっこいいね」
横に並ぶラーフラは、興味深げにアーチェのブーメランを見つめた。
「あぁ、うん。市場で買ったんだ」
「俺も武器を持ってるよ」
ラーフラは得意げに言ってみせた。しかし、ラーフラの懐には武器らしきものは見当たらない。
「どこに?」
「これだよ」
ラーフラが自身の赤い羽根を抜き取った。ラーフラが手の力を強めると、それは刃物のように鋭利な形となって、アーチェの頬を切った。
「そんなやり方、よくできるね」
アーチェは感心した。自身の体の一部を武器に使うなどとは、思いつかなかった。しかも羽根は消耗品だ。いずれ生え変わるとはいえ、そんなに躊躇いなく抜けるものではない。
「アーチェのも貸してほしい」
「嫌だよ、自分のを使ってくれ」
手を出そうとしてきたラーフラはアーチェは突っぱねた。大事な自身の羽根を武器に使われてはたまったものではない。しかしいいことを聞いた。
もし、武器が何もなかったらアーチェもそれを利用できる可能性がある。もちろん、できれば失いたくないものだが、覚えておけば何かの役に立つかもしれない。敵の裏をかくのに最適なものだろう。
「ロロ、あの辺にいそう」
ソラはサンゴの集合体を指さした。こんな深海にもサンゴがあることに驚きつつ、アーチェは足元の生き物に、足を取られないように気を配りながら近づいた。
前を進んでいくと、確かにサンゴを背にして座っている人影が確認できた。
「ロロ、大丈夫?」
アーチェは屈むと、手を差し伸べた。
「……」
その時の、ロロの表情はきっとこの先も忘れないだろうと思った。




