133.親と子、そして亀裂
「俺は君なんて知らないけど」
「あぁ……。一人にしてごめんなさいね。あの嵐の中無事だったなんて……」
リヴォルネにラーフラの言葉は届いていないようだった。ただ、目の前の存在に感動しているのだ。ラーフラはリヴォルネを無理矢理、突き飛ばすとそのまま後ろに下がった。
彼の瞳からは、普段は見られない嫌悪の感情があった。人間関係をいつも詰めるようにして近づいてくるラーフラも、流石にいきなりのハグは嫌だったようだ。
「私のことが分からないのね。可哀想に」
「俺の母親は一人だけだよ。おかしなことを言うな」
ラーフラはおもむろに距離を取ると、アーチェの背後に隠れた。
「話がよく飲み込めないんだけど……」
アーチェだけが、訳が分からないというように首を傾げた。
ソラはリヴォルネの言葉を思い返していた。リヴォルネは昔、一人息子が嵐の中にさらわれてしまったと言っていた。しかし、アーチェはリヴォルネの息子のはずだ。
つまり二人は兄弟ということになる。歪んだ彼女のことだから、翼の小さなアーチェを息子として認めなかったのは納得がいく。
「アーチェ、この人から距離をとったほうがいいよ」
「ソラ」
ソラはアーチェとラーフラの前に進み出た。リヴォルネをこの二人に近づけてはいけない気がしたのだ。
それは気の所為ではないだろう。進行を邪魔されたリヴォルネは少し苛立った表情を見せた。その表情は先ほどのラーフラととても良く似ていた。
「あら、邪魔をするのね。アーチェもそんなところにいて。弟を庇っているつもりなの?」
「……弟?」
「この人の言葉は聞かなくていいよ」
ソラは間髪入れずに言葉を挟んだ。リヴォルネのことだから、アーチェにとって傷つく言葉を投げかけるかもしれない。一番恐ろしいのは、彼女は人を傷つけようとして言葉を発することはないということだ。悪気なく、相手の心に深い傷をつける。
「ソラ、そこを動くな!」
ロロが剣を構えたのが視界に入った。リヴォルネの首を刈り取ろうとしたのだ。だが、そんな動きでは素早さでリヴォルネに負けていることは明らかだった。
想像していた通り、リヴォルネは素早く向かってくる剣を交わすと、そのままロロの義手を掴んだ。
「義手をつけているのね。可哀想に」
「あ、哀れむのもいい加減にしろよ!」
リヴォルネの言葉にロロは反発したが、その言葉には普段の威勢がこもっていない。ロロは彼女を恐れている。だからこそこうして、剣を交えようとしたこと自体が驚くべきことだった。リヴォルネもまさか剣を向けられるとは思っていなかったようで、驚いた目をしていた。
「おい、リヴォルネ。それぐらいでいいだろ? 化けダコを始末したり、一体どういうつもりだ?」
「シルヴァ……」
リヴォルネが突如として降りかかった声の先を見あげた。崩れかかる神殿から一人の少年が降りてくる。
銀髪に銀色の瞳。人々から魔王として恐れられている少年だった。その名前を初めて聞いたが、彼の髪と目の色にはよく合っていた。
「これ以上の違反は俺への反抗とみなすぞ」
シルヴァは銀色の瞳を細めると、その切れ長の目でリヴォルネを睨みつけた。しばらく二人は睨み合っていたが、リヴォルネが折れる形となった。
「……、なら仕方ないわね。じゃあね、ラーフラ。また話しましょう」
彼女は名残惜しそうにラーフラに手を振った。ラーフラはまだ警戒するように、リヴォルネをジロジロと眺めていた。
「またね」
リヴォルネが手を振ると、シルヴァが彼女の腕を掴んだ。その瞬間、二人の姿は泡のように消えてしまう。何かの魔法を使ったのだろうか――。
シルヴァが消える間際、何かのサインをソラに送ったのが印象に残った。そのサインには見覚えがある。どこで見たのか思い出そうとしたが、思い出すことはできなかった。
「消えちゃったね」
「くそ!」
ラーフラの言葉を基に、ロロが壁を腕で殴りつけた。ソラも悔しい気持ちを堪えた。またいつでもチャンスはあるはずだ。焦る必要はない。
「二人ともどうしたの? 僕にはさっぱり事情が分からないよ」
「……!」
感情が乱れているロロに近づこうとしたアーチェだったが、ロロは寸のところで彼の手を避けた。ロロの目に嫌悪と怯えが入り混じった感情が浮かんだ。
「ロロ……?」
アーチェが避けられたことに対して、不思議な表情を浮かべた。恐れていたことが起きてしまったと思った。ロロはあの話を聞いて事情を察しつつある。それが確信になってしまったら、アーチェのことを今まで通りに見ることができないだろう。
そしてそれは、ロロとアーチェの仲に著しい亀裂が走ることを意味する。
「ろ――」
ソラはロロの名前を呼びかけたが、その声は地面の激しい亀裂によって打ち消された。
足元で、不吉な音が鳴り続けている。乾いた石がきしむような、低く鈍い。それでいて、終わりを告げる音だった。
刹那、神殿の地面に走った亀裂が、一気に広がった。石畳が蜘蛛の巣状に割れ、支えを失った床が、悲鳴のような轟音を立てて崩れ落ちていく。
「――っ!」
踏みしめていたはずの感触が消え、体が宙に投げ出された。
視界が反転し、天井に刻まれた神像の顔が、遠ざかりながら歪んで見える。砕けた石片や柱の破片が、雨のように降り注ぎ、空気を切り裂く音が耳元をかすめた。
ソラたちの体が落ちていく。
「ソラ!」
ラーフラがソラの片手を掴んだが、彼の力では持ち上げることは不可能だった。泳ごうとするが、落ちてくる瓦礫のせいで、上手く身を動かすことができない。
崩壊する神殿の壁が、かつての荘厳さを失い、無惨に砕け散っていく。石に刻まれた紋様や古代文字が、意味を失ったまま宙を舞い、やがて闇に飲み込まれた。
底には何も見えない。しかし、何もないということがどれほど恐ろしいことか、ソラは先のことを見据えていた。




