129.貝に潜む
食卓には、陸とはまた違った料理が並べられていた。
人魚たちは火を使わない。海の中なので、それは当たり前のことだ。手を加えすぎない。生きていたものを、生きていたまま大切にする。
中央にある魚は、切られているのに不思議と冷たくなくて、まだ海の中にいるみたいに静かに光っている。身は透き通っていて、火は通されていないというのに、しっかりと食欲が湧く形となっている。
貝は殻を閉じたまま、食べられるのを呼吸を止めて待っているみたいだ。エビやカニも、赤くもならず、海の色そのままだ。
海藻は摘んだばかりで、しっとり濡れていて、皿の上でもユラユラとその身を揺らしている。味付けはほとんどなくて、海水のしょっぱさ、貝から滲む汁など、自然そのものという感じがする。
湯気も音もない食卓なのに、なぜかすごく満たされている感じがするのだ。
人魚たちは「食べる」というより、「海から少し分けてもらう」という考えを持っているらしかった。
「先に食べてろとは言われたけど、肝心の女王様はいつ来るんだ? もうかなり待ってないか?」
魚を、チビチビと口に運んでいるソラの横でロロが呆れたように言い放った。城に案内され、豪勢な料理を出されたのはいいが、女王は一向に現れる気配がなかった。
人魚の国の女王の住まいと聞くと、かなり豪華なものを想像してしまったが、実際には普通よりか少し大きいサンゴの家だった。
これでは、女王というよりも、村長や町長の家といった方が正しい。しかし、出てくる料理は豪勢で、天井にも綺麗な装飾が施されている。だが、女王様の住まいというには、いささか質素な家だった。
「ロロ様ったら、何を言っているの? 母上ならそこにいらっしゃるわ」
ロロの発言を聞いたフラワーは不思議そうに、首をかしげて真ん中の席を指さした。ロロはそれにつられるように、席を見たがそこには誰もいない。
「え……どこ?」
「ここじゃ! ここ! なんと、失礼な奴等か!」
すると驚くことに椅子から声がした。ソラがその場を覗き込むと、そこにはある物体が置かれていた。
「なにこれ? 貝?」
ソラはそれを持ち上げた。あまり見た経験はないが、これは貝に間違いはないかと思われる。不思議な形をしており、よくこれを地上の人間は食べようとしたと思ってしまう。見た感じは全く美味しそうに見えない。
しかし、どうやら声はこの貝の奥から聞こえているらしかった。
「貸してくれ」
ロロが貝をソラから受け取ると、無理やりそれを割ろうとした。
「いたたた!!」
途端に貝から絶叫が聞こえる。痛みに悶絶しているような苦しそうな声だ。
「まぁ! やめてくださいまし! 私のお母様ですわ!」
貝の声を聞いたフラワーが水中に飛び上がった。目を丸くさせ、目の前で起きている状況を信じられないというように見ている。しかし、ロロは手の力を緩める気配がない。いきなり、それが母親だと言われても信じる方がおかしいだろう。
「お母様? どう見たって、貝だろ。茹でて食べるやつ」
「なんと残酷なことをおっしゃるのです! その方は紛うことなき、女王様であられますわ!」
「フラワーの言う通りじゃ!」
貝から触手が飛び出し、ロロの手を乱暴に振り払った。そのまま水中に舞い上がった貝の中からどんどんと何かが溢れ出している。
静かな海底に、光が漏れ始めた。その中には確かにひときわ大きな真珠色の貝が横たわっている。
ことりと、かすかな音とともに、貝殻がゆっくりと開いた。その光の中に、ゆらりと影が浮かび上がる。
長い青髪が水にほどけ、星屑のような鱗をまとった尾びれが、静かに揺れていた。それが人魚の女王であるということに、ソラは言われなくても気が付くことができた。
その容姿はとても浮世離れしていて、この世で最も美しく、気高いものだと本能的に理解できるのだ。間違いなく頂点に立つものだという確信がある。
人魚の女王は、まるで海そのものが形を持ったかのように、そして優雅だった。フラワーの母親という話だが、見た目は娘とそう変わらない。その見た目は若々しいままだ。彼女の昔の外見は知らないが、恐らく今とそう変わらないのではないかと思われる。
降り立った人魚はそっと身を起こすと、周囲の水が彼女の呼吸に合わせて波打った。波がまるで彼女を避けているようだった。
水ですら、女王に触れることは恐れ多いと言わんばかりだった。ソラはその気迫に少しだけ足を引いた。いつでも逃げられるようにするためだ。その翡翠色の瞳は何を考えているのか、ちっとも伝わってこなかった。
彼女の片目は深海のように青い瞳だった。オッドアイだとソラはすぐに分かった。ロロと同じだ。魔眼というものだろう。●●●●●●がそのことを教えてくれた。
その瞳の奥には、千年の記憶と、まだ語られぬ物語が宿っている。
女王が一歩、海へと進み出ると、家の床に生えた珊瑚たちは花のように開き、魚たちは祝福するように円を描いて舞った。これが世界に愛されているということだろう。
「はぁ、人間というものは本当に無礼な奴らだ。だから、私は小奴らを国に入れるのには反対だったのだ」
「お母様ったらまたそんなことをおっしゃって」
見た目は確かに人魚の女王なのだが、その振る舞いはそんなに威圧感を与えるものではなかった。そもそも、なぜ貝の中に入っていたのか分からないことだらけだ。
フラワーの嗜めるような声に女王は気分を害したように、鼻を鳴らした。
「ふん、フラワー。貴様が、招いたことなのだからワシはいつもその尻ぬぐいをされているだけだ。ともかく、お前らは三日以内にはこの国を出ていってもらう」
「もう!」
娘であるフラワーはもう話すことを諦めたらしく、そのまま椅子に座り込んだ。人魚であっても、常時泳いでいるのは疲れるものらしい。なので、こうして食事中のときは、座り込んだりするのだ。それは当たり前に思えるが、種族が違うというだけあってソラは不思議な気持ちがしていた。
「あの、どうやって貝の中に入ってたんですか?」
アーチェが恐る恐る手を挙げた。やはり、彼もそれが気になっていたのだ。女王は名を名乗っていない。ソラたちに気を許していないのだ。娘を救ったと言えど、女王にとっては苦痛の時間なのだろう。だからこそ、聞かないと気になることは教えてくれない。
女王は怪訝な顔をしたが、やがて口を開いた。その言葉を聞くのに、五分ほど待った。
「そなたら人間がワシを狩ろうとするのだから、貝の中に身を隠していたに決まってるだろう? 本当に人間は阿呆だな」
「そうだったんですね。不思議な技術だなぁ」
アーチェはまだ気になるという様子だったが、詳しく問い詰めることはしなかった。まだ、何が女王の怒りに触れるのか分からないからだ。
「俺はどうでもいいよ。人魚とか」
話に加わらずに、そもそも最初から寝ていたラーフラは退屈そうにフォークをグルグルと回した。
「ラーフラ、起きてたんだ」
アーチェは少し驚いたように身を引いた。いつ、飛びつかれるか分かったものではないといった様子だ。
「ほぉ、そなたは見どころがあるな。人魚に興味がないとは」
「当たり前じゃん! 俺が興味があるのは、人間を殺すことだけだよ」
女王の言葉を聞いたラーフラは、何のためらいもなくその言葉を口にした。ある意味、自分の思っていることを何でも言ってしまうラーフラは凄い。
「それ、大丈夫?」
しかし、アーチェは引いているらしかった。ロロでさえ、眉を顰めている。普通はそういう反応をするのだろう。
「ほぉ! それは真か?」
「うん!」
「鳥人か。言い伝えは本当かもしれないな。お主に見せたいものがある。他の者もついて参れ」
「なんか、面白そう!」
ラーフラが嬉々として、椅子から降りて女王の後を追った。泳ぎ方を完全にマスターしている。
ソラはさっぱり話についていけず、フラワーに視線を送ったが、フラワーも分からないと言いたげに首を横に振った。




