127.海の中で蠢く
「ねぇ、ロロ。なんか、変な音が聞こえない? ソラとラーフラもいないし、何か変だと思うんだ」
アーチェは下から聞こえてくる轟音に思わず立ち上がる。これは変な音というよりも、何かが流れ込んできている音だ。もしやと、不安になってしまう。ソラとラーフラは少しだけ席を外していると思っていたが、実際には船内で何かトラブルが起きているのかもしれない。
「スースー」
「もう、ロロってば起きてよ!」
アーチェは食べ終えて寝てしまったロロを起こすのに必死だった。他の乗客や船員は気が付いている様子がない。
「どうかなさいましたか? お客様」
アーチェの声が聞こえてしまったのだろう。一段と豪華な帽子を被った年配の男が、傍にやって来ていた。恐らく、この船の船長だろう。船に乗る前に、一瞥をした覚えがある。
「あ、船長さん。あの、何か水が流れ込んでくる音が聞こえるんですけど」
船長ともあろう人に、そんなことを言うのは失礼な気がしたが、そうは言っていられない。アーチェの言葉を聞いた船長は態度を悪くすることなく、豪快に笑い出した。それはまさしく、海の男の笑い声といった雰囲気だ。筋肉もかなりついており、歴戦の戦士と言われても、驚かない屈強な見た目だ。
「ハハ、そんなわけないでしょう? うちはあのポートランドの船ですよ。構造の丈夫さはこのワシがよく知っています。この船が沈むわけがない」
「それは、そうだと思いますけど」
実際にはアーチェはポートランドの船の丈夫さなど知る由もない。だが、船を設計する人が何人かいたので、きっと丈夫な船を造ることに長けているのだろう。だが、こうして水の音が聞こえている以上、悠長なことを行っている場合ではない。
「せ、船長! た、大変ですー!」
アーチェが次の言葉を発する前に、かなり焦った様子の船員が駆け出してきた。身なりからして、下っ端であることに間違いはなさそうだ。
「何の用だ? そんなに慌てて」
船長の方は少し不機嫌そうに応答した。
「み、水が下から流れ込んできています!」
「なに?!」
下っ端の報告を聞いた船長は流石に取り乱し、船員を突き飛ばすと、そのまま地下の方に駆け下がっていた。やはり、アーチェの勘違いではなかったのだ。
「ねぇ、ロロったら! 今の聞いた? 大変なことになってるって!」
先ほどより、強く揺さぶってもロロは全く起きる気配がない。こうなったら仕方がない。アーチェはロロの両肩に手を置くと、グッと力を入れた。
「起きろ!」
「いたた!!」
ロロの体に強力な電流を流し込むと、彼が痛みで悶絶し始めた。電気を解くと、すっかり目が覚めたロロと目が合った。
「何するんだよ! 死ぬところだっただろ!」
「それぐらいじゃ、死なないよ。それより、大変なんだって。船内に水が入り込んできてるんだ」
「アーチェ、流石の俺もそんなドッキリに騙されるわけがないだろ」
「もう! こんな嘘をつくわけがないでしょ?」
物分かりの悪いロロに苛立っていると、すぐそばから水の音が聞こえた。嫌な予感がして、地下へと繋がる扉に目をやった。船長が入っていた扉だ。
その瞬間、船内に大量の水が流れ込んできた。逃げる間もなく、アーチェたちは水の中に取り込まれてしまう。
◆
「ねぇ、おきて」
誰かの声が聞こえた。か細い声、そしてとても綺麗な声だ。その声に再び眠りにつきたくなってしまう。意識はまた眠りに落ちようとしていた。
「……」
「起きてったら!」
しかし声の主は呼びかけをやめない。乱暴に体を揺さぶってくる。もうほっといてくれ。寝たいんだ。
「……」
「死んじゃったのかな?」
起こす声とは別の声が耳に入り込んでくる。しかし、こちらもまた綺麗な声だ。もしかしたら、ここは天国で、天使に起こされている最中なのかと思ってしまう。しかし、こんな綺麗な声を聞くことができるのなら、それでもいいやと思ってしまう。
「そんなわけないよ。息してるもん」
問いかけに答えた呼び声の主が周りをウロウロとしているのが、なんとなく分かった。
「起きろーー!」
「うっ!」
かなり乱暴に何かで背中を叩かれた。その感触は柔らかく、体のどこの部位とも結びつかなかった。あまりの不思議な感覚に、そっと目を開いていく。
「あ、起きた!」
「だ、れ?」
目の前の赤い瞳と交錯する。その赤い瞳は、ルビーをそのまま埋め込んだのかと錯覚してしまうぐらいの、綺麗な色だった。
しかし、何より驚いたのは、その下半身に生えている魚の尾だ。鱗がビッシリと生えており、その幻とも呼ばれる姿に驚きを隠すことができなかった。
「私の名前は、アトア! こっちは、妹のイシリンダ! 貴方のお名前は?」
彼女がこちらに手を伸ばしてきた。そこで、自分自身がずっと地面に突っ伏した状態であることに気が付いた。
「僕の名前は、アーチェだよ」
彼女の手に引かれて立ち上がると、アーチェは自然とそう答えていた。
「アーチェ! 可愛らしい名前!」
アトアはアーチェの名前が気に入ったようだ。その辺をクルクルと回ると、嬉しそうにグルグルと水の中を回った。アーチェは辺りを見渡して、二度驚いた。
ここは海の中だ。周りに水があるのが確認できる。だというのに、アーチェは水に触れることができない。
まるで、薄い膜に包まれているように、水の中で自然と息をしているし、歩くことができた。その感覚がとても不思議で、何度か手を動かしたりしていた。
「それもしかして翼? 本物?」
イシリンダがアーチェの翼を奇異なものを見るように、眺めていた。彼女たちからすれば、翼の方が珍しいのだろう。
「そうだよ」
「わぁ!」
イシリンダが楽しそうにアーチェの翼を触り始めた。いつの間にか、腕に付けていた手袋が取れていたようだ。しかし今はそんなことを気にしている場合ではない。色々と気になることが連続しているが、今一番気になるのは――。
「ねぇ、僕と一緒にいた仲間を知らない? 銀髪の子と黒髪の子と、赤髪の子なんだけど」
「うーん、広場の方にも何人か人間がいた気がするよ」
イシリンダが考え込むように、サンゴで彩られた道の向こうを指さした。アーチェと同じように、みんなも倒れているかもしれない。早く行かなければならない。
「じゃあ、僕は行かなくちゃ」
「あ、待って。私も行く。海の泳ぎ方教えてあげる!」
イシリンダがアーチェの手を引っ張ると、アーチェの体がフワリと宙に浮かんだ。その頭の中がかき乱されているような不思議な感覚に、アーチェは目を回した。鳥人は泳ぐのが苦手なのだから、アーチェにとってそれは初めての経験だった。
「ほらほら、とばすよ!」
「ちょっと、待って!! 速いってば!」
彼女はアーチェの手を引っ張るなり、目にも留まらぬ速さで海の中を進み始めた。こうなると、泳ぐどころの騒ぎではない。
「アトアが置いてかれてるけど!」
「いいの! 姉様は本当にうるさいんだから!」
イシリンダは気にすることがないというように、首を振るとそのまま速度をグングンと上げ始める。
アーチェは水の中を流れに身を任せながら、進み始めた。




