126.魅せられる瞳
「に、人魚?!」
ソラはその姿に驚愕していた。人魚とは、上半身は人間。下半身は魚という、稀有な生き物だ。しかし、それは架空のものであるという考えがほとんどであった。
昔の文献には、魚人と呼ばれその存在が認知されていたというが、長い歴史の中でそれも創作であるという結論を持つものさえいたぐらいだ。
ソラも本で人魚の存在を知ってはいたが、まさか本当にこの目で見ることになるとは思わなかった。信じていないのかと聞かれれば、少しだけ頷かざるを得ないだろう。その存在には半信半疑であったため、こうして目の前にすると驚くどころの騒ぎではない。
彼女はとても美しい容姿をしていた。髪はロングで、透き通った水のような色。翡翠色の瞳もその髪色にとても似合っていた。尾は青い鱗で覆われており、アクアマリンのように綺麗な色を放っている。彼女はこちらを怯えたように、下から眺めている。
「僕、ラーフラ。よろしく」
そんなソラとは対照的に、ラーフラは特に驚く様子もなく彼女に手を伸ばした。
彼女は手を出された瞬間、ビクリと身を震わせたが、目の前の彼が手を伸ばしたままなのを見て、恐る恐る尾でラーフラの手を掴んだ。そこは手ではないらしい。そのせいで、彼の手はベトベトになってしまっている。
「貴方、全く私を物珍しがらない。不思議な人……。それに、腕についているの変なの」
彼女は首を傾げると、ラーフラの腕にある翼を不思議そうに観察していた。彼の態度から、すっかり恐怖が抜け落ちてしまったようだ。
彼女はまるで翼を見たことがないというように、物珍しそうにしていた。ソラからすれば、彼女の方がよほど珍しいものを持っているが、彼女にとってはラーフラの方が奇異に映るのだろう。
「これは翼だよ。鳥とかと同じ」
「あら、貴方鳥なんですの? 私、初めて見ましたわ。最近の鳥は、人の形をし、人の言葉を話すのですね。お祖母様に教わったこととは全く違いますわ」
どうやら、ラーフラの種族は何やら大きな勘違いを受けているようだ。しかし、鳥すら見たことないであろう彼女に説明をするのは、非常にまどろっこしいことだ。
「鳥ってことは空が飛べますの? 私、空を飛べるなんて、信じられなくて……」
「飛べるよ」
ラーフラは彼女の問いに頷くと、地面を蹴って空に浮いてみせた。天井が低いため、少しだけしか飛ぶことができなかったが、それを見た彼女は宝石でも見たかのように目を煌めかせた。
「まぁ、素敵!」
海を泳ぐ彼女たちにとって、空を飛ぶということは憧れに映るのだろうか。彼女の瞳には尊敬と憧れの色が浮かんでいた。
少しして、ラーフラは地面に戻ってきた。彼が着地をすると、彼女は両手を叩いて、拍手をした。
「ブラボー、ブラボーですわ。私、空を飛ぶところなんて、初めてお目にかかりました!」
「へへ」
ラーフラは嬉しそうに髪の毛をいじった。彼女からは嘘が感じ取れない。彼女が紡ぐ言葉は心からの言葉なのだ。少なくとも悪い人魚ではなさそうである。
「貴方は何ができますの?」
彼女の煌めいた瞳が今度はソラに向けられた。その瞳からソラにも何かを期待しているのが分かった。
海を自由自在に泳いで生きられることと、空を飛べるラーフラ。
これ以上のパフォーマンスのあとにソラができることはあるだろうか。しかし、彼女の期待に応えたいという気持ちもある。だからこそ、唯一思いついたことを口にしてみる。
「私はその……銀色の血が出せるよ」
「まぁ! それは凄いですわ! そんな話はお祖母様からも聞いたことがありません! ぜひ、見せてくださいませ!」
ソラの言葉に思いのほか食いついた彼女は、嬉々として少女のようにその場を跳ねてみせた。人魚の歳は分からない。不老だという噂もあるが、今確かめることではない。
「いいよ」
人魚の頼みに即決すると、ソラは持っていた剣で少しだけ腕を切った。新たにできた傷跡から、銀色の血が流れ出す、この血を綺麗だという人もいるが、ソラからしてみれば、ゾッとすることこの上ないことだ。
「まぁ、綺麗」
彼女はうっとりと目を潤ませた。彼女が満足するものを見せることができて、ソラは安堵していた。彼女の瞳を見ていると、何かをしてあげたくなる。こんな感情は初めてだ。
「私の名前は、フラワーといいます。どうぞ、よろしく」
フラワー。海に住んでいる者には似合わない名前だ。世界は広いので、海に咲く花もあるのかと発想が飛躍してしまう。
「私の名前はソラ。こっちは、ラーフラだよ」
「よろしく!」
示されたラーフラが手を挙げた。その屈託のない笑顔にフラワーは柔らかい笑みを浮かべた。人を安心させる笑顔だ。
「君はどうしてこんなところにいたの?」
ソラにはそれが不思議だった。なぜ、海に住んでいるはずの彼女が陸の――しかも船の木箱の中にいたのか。ソラの言葉を聞いたフラワーは少しだけ表情を暗くしたが、やがてポツポツと自身の境遇を話し始めた。
「私、外の世界に憧れていたのです。だから、決まりを破って、海の世界から顔を出してみたのですわ」
フラワーが言う海の世界から顔を出したというのは、水面から顔を出したのだろう。そんなことも、禁止だったのかと軽く驚いた。しかし、そうでもしなければ見つかってしまうのだろう。
いくら、海が広いとは言え長い間、人に見つからないのは無理がある話だ。深海に潜られてしまっては、人間は人魚の存在を感知しようがない。
「そのときは本当に感動しましたわ! どこまで広がる青い空! 大陸を渡る巨大な船! 好奇心を持った私はつい人が操る船に身を近づけてしまったのです」
「それは災難だったね」
ソラは人魚の境遇に同情した。それと同時に、この船の船員に不信感を抱いてしまう。
「じゃあ、俺たちが逃がしてあげようよ、ソラ」
「それはいいけど、ここからどうやって連れ出すの?」
人魚の持ち方など知らないし、階段を登って戻ると言っても、そこは食堂だ。あまりに人の目を引きすぎる。その言葉を聞いて、人魚は頭を垂れた。
「やはり、無理ですよね。分かっていたのですよ。地上は危険な場所だと……。けれど、私たち人魚にとっては憧れの池でしたから、ここで力尽きるとしたら本望だと言うものです」
「それは……」
掛ける言葉に迷っていると、人間の綺麗な翡翠色の瞳と目があった。その瞬間、とてつもなくこの人魚を逃したいという気持ちに駆られてしまう。
「ここから逃げるか……」
ラーフラが呟いたと同時に、窓を見据えた。円状の窓が一つ付いており、外には海が広がっているのが見える。地下というだけあって、ここは実際には海の中なのだ。
「簡単なことだよ。壊せばいいじゃない?」
ソラがラーフラを止めようとしたときにはもう遅かった。ラーフラの指先から飛び出した光が窓を突き破り、海への道を作り出した。
一瞬にして、船内に水が入り込んできてしまった。




