11.半折れの角と不味いクッキー
空洞は真っ直ぐに続いていて、先程の洞窟での紆余曲折を思えば、それはかなり楽な道のりだった。進めばいいだけというのは体に負担をかけない。
何より、段々と近づいてくる楽器の音が虚無感を打ち消している。
しばらくすると光が見えてきた。アーチェがそこから飛び降りると、ソラも後に続いて飛び降りる。少し高さがあったようで、骨に響いた。
楽器の演奏者はただ静かに椅子の上に座っていた。弾いている楽器はアコーディオンだろうか。右手でそれを奏でている。綺麗な音色だ。
彼はかなり変わった格好をしていた。変わっているというのは適切ではないのかもしれない。それは一昔前の服装に見えた。ベルトをあんなに体に巻きつけるのは前時代的だ。
青色の髪に藍色の目をしたその青年はアコーディオンを弾く手を止めない。前髪の部分だけは水色に染まっており、額に角が一本生えていることから鬼だろう。角は半分だけ折れていた。
鬼は長命種だ。五十年以上生きている彼がまだ若い姿なのも納得できる。この大陸には似合わないタキシードとネクタイを身に纏っており、上品な格好をしていた。
彼はソラ達に気が付いていないのだろうか。アーチェと目が合う。少ししてアーチェが勇気を出して彼に声をかけた。
「あの……」
アーチェが彼の元に一歩、踏み出すと彼は片手をこちらに向ける。待ったの姿勢だ。直ぐに手を戻し、再びアコーディオンを弾き始める。彼は目を開けることもなく口を開いた。
「待て待て、君達。今は演奏の最中だ。黙ってそこに座っていなさい。お菓子を食べていいから」
彼は足で近くに設置された丸い机を指した。机の上にはガラス瓶が置いてあり、白い薔薇と赤い薔薇が差し込んである。机の上には皿に乗ったクッキーが置かれていた。
こんな未開の地でクッキーなどどうやって作ったのだろうかという疑問が湧き上がるが、彼の気を悪くしては元も子もないので黙って二人でそこに座る。
ソラはクッキーを食べる気分にはならなかったが、仕方がなく口にした。何となく話してはいけない雰囲気があったので、黙って二人で演奏を聴く。
中々にいい音をしているが、状況が状況なだけに楽しんで聴く気にはなれなかった。
アーチェは少しだけクッキーを摘んだが、すぐに顔を机の下に向けると、吐く仕草をした。どうやらかなり不味いらしい。見た目はこの上なく美味しそうなのだが残念だ。アーチェはその後、クッキーに手を付けることはなかった。
やがて演奏が終わる。彼はゆっくりとその場に立ち上がると、目を開けた。藍色の目がこちらを捉える。その目にはどこか神秘的なものを感じた。彼はアコーディオンを片手に持つと、両手を天に掲げる仕草をした。何かを求められている。
ソラは控えめに少しだけ拍手をした。アーチェも空気を読んで真似する。彼はかすかな拍手に文字通り、舞い上がるとアコーディオンを椅子の上に置いた。
「あぁ、民衆が我の曲に甘美の声をあげている。何て、我は幸せなのだ」
彼はステップを踏むようにこちらに近づいてくる。足音が全くしない。気配もだ。彼はかなりの手練だとソラの中の本能が訴えている。
「アンコールはないのかな? 君達……」
彼の目が淋しげに光った。
「す、すみません。あんなにきれいな演奏を私達どもが二度も聴いていいのかと、戸惑ってしまって……」
ソラの言葉に彼は体の動きを止めて固まった。瞳孔が動かない。気を逆なでてしまったのか、それとも逆か、どちらなのか感情が読めなかった。
彼は少し硬直すると、上へと片足を上げて飛び上がった。
「そうであったか! いや、そう思うのも無理はない。私の美しい演奏を一度でも聴けるだけでこの世で最も幸福な者になれるのだからな。二度目をせがむなど、愚かな行為だと躊躇してしまうのも仕方のないことだ。そういえば、君達はどうやってここに来たのかな?」
「シュトラーゼという人……に案内してもらったんですけれど」
「おぉ、心臓が好物のあいつか。奴が気に入るとはやるな」
彼はどうやら気をよくしたようだ。クルクルと目の前で回っている。実際には、気に入られたという表現は正しくないが、訂正はしない。
彼はいきなり立ち止まると皿の上のあまり減っていないクッキーに目を留めた。
「おや、我のお手製クッキーが全く食べられていないな。そうか、食べることを忘れるほど我の演奏が素晴らしかったか」
「これ、貴方が作ったんですか?」
アーチェは信じられないというように、首を振った。どうやら、想像を絶する不味さのようだ。一体、どうやったらそんなに不味いクッキーが出来上がるのか、不思議だ。
「そうだとも! さてさて、今紅茶を持ってこよう。砂糖は要るかな?」
紅茶に砂糖は必要だっただろうかと、一瞬だけ考えたが、もうどうでもいい気がした。
「あ、結構で――」
「遠慮するでない! さぁさぁ」
ソラが断ろうとしたものの、彼は身を乗り出してきた。彼の動きの一つ一つに音がなく、ゾッとする。
「じゃあ、私は砂糖無しで」
「僕はありで」
「了解した。演奏には紅茶はつきものだ」
彼はクネクネとした変な動きで部屋の角に備えられていたキッチンへと歩んでいく。
彼が離れたのを確認して、アーチェが身を乗り出してきた。声を潜める。
「紅茶だって、きっと不味いよ。最悪だ」
「大丈夫、クッキーは私が全部食べるから」
「ほんとに? 滅茶苦茶不味いよ。腐った泥水の味だ」
「大丈夫だよ。心配しないで」
ソラがそう返すと、青年はポッドと二つのカップを持ってきた。アーチェは即座に椅子に座る。ポッドにはお湯とお茶の葉が入っているようで、いい匂いが漂っている。
一体どこからお湯を用意したのだろうか。彼は紅茶をカップに注ぐとソラ達の目の前にカップを置いた。茶色い液体だ。匂いや見た目に問題はない。
「じゃ、じゃあいただきます」
ソラはカップを手に取ると、それをゆっくり飲み込んだ。やはり味は感じない。当然だが、飲み物も味を感じないようだ。
不味いのかどうかよく分からない。そもそも紅茶が不味いなどあるだろうか。
アーチェはその様子を見て勇気付けられたのか、角砂糖を一つだけ紅茶に入れると、ゆっくりと口にした。その瞬間、アーチェはむせた。やはり、味には期待できないらしい。
「ゲホ、ゲホ。これ……なんのお茶?」
アーチェは敬語が取れていた。彼に敬意を払う必要は無いようだ。
「この地で生える不思議な薬草をすり潰して、作ったんだよ。どうだい? 美味しいだろう? 我はこれが大好きなんだ」
「あ、はい! とっても美味しいです。彼もあまりの美味しさに感動していて」
まだむせていて返事ができないアーチェに代わり、ソラは代わりに発言した。ソラの言葉を聞いて、彼は目に手を当てた。泣いているようだ。
「そうかい、そうかい。本当に嬉しいよ。長いこと一人だったからね。さあさぁ、クッキーもお食べ」
「あ、ありがとうございます。あの、彼はお腹が弱いので、私が食べます」
ソラはクッキーを手に取ると、丸ごと一つ食べた。未だに悶えてるアーチェを見て、今ほど味覚がないことをありがたいと思ったときはない。
ソラの食べっぷりを見て、彼はうんうんと満足気に頷いた。
「いっぱい食べるといいよ。そのクッキーにも紅茶にも毒が入っているからね。シルバーブラッドと鳥人のハーフ君にはまだ試したことがなくてね。嬉しいよ」
ソラは動揺して紅茶をこぼしてしまった。アーチェも彼を睨みつけた。彼はニコニコと屈託のない笑みを浮かべている。
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