113.ラーデンの軌跡 前半
幼いラーデンは商人の子供であった。商人と言っても、普通の商売はしない。主に、女王に食物の提供をするのだ。だからこそ、街では一目を置かれていた。城に携わる重要な仕事だったのだ。
この日も幼いラーデンは家から追い出され、フラフラと外を歩いていた。両親は食材選びに忙しく、ラーデンに構っている暇がないのだ。ラーデンの両親は仕事に対して深い情熱を持っていた。
それをことなかれ主義の祖父はよく思っていないこともラーデンは知っていた。そのため、祖父とは別の家に住んでいる。
今日は日向ぼっこでもしようかと、ラーデンは広場の奥にある草むらに向かった。この街に唯一の緑の場所だ。ラーデンはこの場所が大好きだった。緑色というのは見ていて、とても癒されるのだ。いつかこんな緑に溢れる地を見ることが、ラーデンの夢だった。
だが、きっと両親は息子に後を継がせたいだろう。ラーデンの下に兄弟はいないため、自分が継がなければ家はつぶれてしまう。しかし、食材選びには興味がなかった。
「色々と面倒だなぁ」
「ラーデン!」
ラーデンが呟いた直後、子供の可愛らしい声が頭に響いた。顔を見なくても、誰が呼びかけたかは分かった。
「姫様」
目の前にいたのはやはり王女だった。女王の子であり、お忍びで来ている困ったお姫様でもあった。フードを頭に着けており、誰か分からないようにしている。その格好をしていれば、街に訪れた行商人の連れに見えるだろう。
「やっぱりここにいたの?! 私の遊び相手の仕事を反故にしないでくれる」
彼女は表情をムッとさせてみせた。しかし、顔が可愛らしいため、その表情はなんだかとても不格好になってしまう。ちっとも、怖さが伝わってこない。ラーデンの苦笑した態度はますます彼女を怒らせたらしかった。
「ほら、立つの!」
彼女は――ナラは無理矢理ラーデンを立たせてきた。砂漠には子供が少ない。生まれてもすぐに死んでしまうことが多いからだ。そのため、一個下のナラの遊び相手は当然のようにラーデンだった。嫌というわけではないが、ラーデンだって格闘ごっこや喧嘩がしたいのだ。
しかし、女王の子である彼女にそんなことは出来ない。そもそも、ナラはそんな遊びは好きではないのだ。いつだって彼女の言う遊びは――。
「かくれんぼしよ! ラーデン!」
かくれんぼだった。勘違いしないでもらいたい。ラーデンも鬼ごっこは好きだ。だが、毎日のようにかくれんぼをしていれば、当然飽きてくるし、隠れるところもなくなる。ラーデンにとっては、ぜひとも避けたい遊びの一つだった。
「ねぇ、ねぇ。ラーデン!」
そうは言っても、ナラはラーデンが首を縦に振るまでずっとつきまとう。結局は彼が彼女に付き合うしかなかった。
「分かったよ」
ラーデンが頷くと、彼女は黒い瞳を嬉しそうに細めた。この顔にいつもラーデンは負かされてしまうのだ。
◆
「ハァハァ、ナラ。もう、帰ろう」
「まだまだ! かくれんぼ! かくれんぼ!」
ナラは笑いながら、ラーデンの前を走っていた。彼女の足取りは軽く、とても年下の女の子とは思えない。ラーデンもそんなに足が遅い方ではないので、少しショックを受けていた。
「これじゃ、鬼ごっこだよ」
「鬼ごっこもかくれんぼみたいなもの!」
「なんだよ、それ……」
暴論だ。しかし、彼女がそうと言えばそうなのだ。ナラはこうして、家に帰るのを遅らせようと、いつも他の遊びを混ぜてくる。一向に捕まらない彼女を捕らえようと、ラーデンは無理をして速度を上げる。
「わぁ!」
曲がり角を曲がったところで、地面にひざまずいて絵を描いていたローベと目が合った。ラーデンはかわそうと、飛んだが、地面に滑り込んでしまう。腕を切ってしまった。砂が入り込んでズキズキとして痛い。
「大丈夫? ラーデン」
ローベが慌てて駆け寄ってきた。三つ年下の彼は、二人の遊びに入らなくては済んでいるのだ。
「ちょっと痛いけど、大丈夫」
かなり痛かったが、自分より小さなローベに見栄を張りたいという思いから、そんな嘘をついてしまった。ラーデンは涙を堪える。自分はもう九歳だ。まさか、歳下の前で涙を見せるわけにはいかない。
「もう、ラーデンたらおっちょこちょいなんだから!」
「冷た!」
いつの間にか傍に来ていたナラが、ラーデンの腕に水を思いっ切りかけた。彼女が持つ瓢箪から水がとめどなく流れて、ラーデンの真新しい傷を濡らしていく。
「何やってるんだよ。貴重な水がなくなっちゃうだろ
!」
ラーデンは慌ててナラを止めようとする。砂漠に水が貴重なのは言うまでもない。飲むこと以外に水を使うことなど、考えられなかった。しかし、ナラは全く気にした様子がない。それどころか、少し怒った顔をした。
「何言ってるの! 傷口には水をかけるといいの!
こうすると、砂が取れて楽になるんだから!」
「それ、ほんとのお話?」
ローベが首を傾げた。彼はすっかりと感心した顔をしている。ラーデンもその発言には驚いていた。いずれ一国の主ともなるナラに医療の知識があるなどとは、思えない。彼女が学ぶのは統治の仕方だ。目の前の彼女とは少しも結びつかないが――。
「多分そう! 大人から聞いたんだもの!」
ナラは自信満々に答えた。なぜだろう。少しだけ、真実なのか疑わしくなった。
「凄いなぁ。ナラは」
ローベはすっかりとナラに感心していた。羨望の眼差しを向けられ、自分より歳下の子が少ないナラは途端に上機嫌になった。呼び捨てにされたこともちっとも気にしていない。ローベもナラが王女だとは知ってはいたが、まだ権力とかはよく分からない年代なのかもしれない。
「はい、これで終わり!」
ナラは瓢箪に栓をし直した。中の水は殆ど無くなってしまっただろう。
「いいの? 俺に水を使っちゃって」
「何言ってるの? ラーデンが怪我をしたのに、そんなこと考えるわけないでしょ」
「……。ありがと」
ラーデンは顔を伏せた。彼女はラーデンよりもずっと大人だ。上の立場だから、水をありがたがらないのかと思った自分を殴りたい。それと同時に、どうしてナラがあの母親の子供なのだろうと不思議に思った。
「ローベ。こんなところにいたの?」
「あ、お母さん!」
いつまでも帰ってこないローベを探しに来たのだろう。不安そうにした母親が曲がり角から現れると、ローベが両手を挙上げて母親に抱きついた。
「あら、ラーデン君も一緒なのね」
彼女の目はラーデンに向けられていた。彼女は無意識にローベをラーデンから遠ざけた。何も分からないローベは母親に抱かれたままだ。
彼女が悪いのではない。この街の人々は、城に関わりたくないのだ。それは、城に仕える者の子供であるラーデンも同じことだった。彼女たちは恐れているのだ。自分たちに火の粉が振り注ぐことを――。
「はい、ここいらで失礼します」
ラーデンはナラの手を取ると、足早にその場を離れた。あのような目を向けられるのは耐え難い。ナラは何も言わずに、ラーデンについてきていた。




