10.心臓を求める者
「し、心臓?」
ソラは意表突かれて、戸惑う。心臓が欲しいとはどういうことだろう。いや、意味は分かるのだが、その意図が理解できない。
それに心臓は生命器官の重要器官だ。おいそれとあげることはできないし、そもそもあげたくもない。
「お二方の内、どちらか一人で結構です。心臓を下さい」
「そんな、丁寧な口調で言われて、素直にあげると思ってるの?」
アーチェは手からブーメランを飛ばしたが、シュトラーゼはその容姿から想像もできないほど、早く上に飛び上がると天井に張り付いた。
ローブが取れ、その全容が露わになる。顔は鼠の顔をしていたが、体はまさしく蜘蛛のそれだ。
「気持ち悪!」
ソラは咄嗟に声が出た。蜘蛛の体に鼠の顔がついているその姿は、キメラのようで不気味だった。
「頂けないのは残念。できれば平和な方法で頂きたかったものですが」
シュトラーゼが残念に呟くと、息を吸い込んで咆哮を上げた。その声は洞窟に鳴り響く。それは生き物が絶命する瞬間にあげるような身も凍るような、鳴き声だった。
その瞬間、地面から無数の蜘蛛が飛び出してきた。それはシュトラーゼより小さかったが、普通の蜘蛛より少し大きいだけで蜘蛛の頭をしていた。
蜘蛛達は体に生えた棘をその身で飛びかかることで刺してくる。致命傷には勿論、ならないが、血が出るためとても不快な感覚だった。
ソラは胸にまで迫ってきた蜘蛛達を力技で弾き飛ばすと、剣を引き抜きその場にいる蜘蛛を思いっ切り引き裂いた。切られた生き物たちは瞬時に絶命し、地面に仰向けに転がると足をピクピクと動かしている。
ソラは同じような状況になっているアーチェに向かって、剣技を放った。アーチェは遠距離戦闘員だ。敵である的が自身にくっついているとせっかくのブーメランも使えないだろう。
「ぼ、僕は切らないでね」
アーチェの言葉はもうソラの耳に入っていなかった。流れるまま、剣技に身を任せると、アーチェにくっついていた蜘蛛達を全て両断した。アーチェの体には剣技は一発も当たっていない。
地面からはまたもや蜘蛛達がしつこく群がってくる。ソラはその群れをただひたすらに切り続けた。やがて、意識がぼうっとしていく。周りの音が耳にあまり入らなくなり、ただ無心に蜘蛛を切り始めた。
切って切って切りまくる。無数に湧き出てくるので、手を休めることはない。徐々にそれを少し楽しんでいる自分がいた。
返り血で視界が赤く霞む。蜘蛛の地は赤ではなかったはずだが、この地では違うようだ。どれくらい時間が経ったか分からない。一瞬にも思われるし、もしかしたらそれよりも長い時間かもしれなかった。
いつの間にか切る対象が側にいなくなってしまった。ソラは他にも敵がいないかと目を凝らしたが、見当たらない。体を血に染め、獲物を探すその姿は周りから見たら、かなり異質なものだっただろう。
何かが肩に触れる。反射で、そちらに刃を向けるとアーチェだった。蜘蛛に少しやられたようで、少し赤い血が出ていた。アーチェは首元に刃が突きつけられた状態でも少しも怯むことがない。
「ソラ、もういいよ。あいつも降参してる」
「え」
天井を見るとシュトラーゼは前足を二本、こちらに向けていた。彼なりの白旗なのかもしれない。
「やれやれ、こんなに好戦的な人は初めて見ましたよ。降参です。我々も死にたくないのでね」
ソラは剣を柄に戻した。地面には数え切れないほどの蜘蛛達が転がっている。
辺り一面、血の海だ。地面の下からはほのかに気配を感じる気がしたが、出てくる気はないらしい。シュトラーゼがストップをかけているのだ。
「シュトラーゼ、僕たちはここから出たいんだ。そうすれば君たちに危害は加えないよ」
「ここから出るのございますか。私は長いこと地中で過ごしていますのでね……」
だから出る方法は分からないといいうことだろうか。シュトラーゼは顎に手を当てると考える仕草をした。
「あ、そうだ」
シュトラーゼは指をパシリと鳴らすと、地面に落りてきた。ローブを即座に被り、最初に会ったときの姿に戻る。この姿だと目がくりくりとしていて、よく見ると可愛らしいのだが、そのローブを取った姿を見てしまうと何も言えない。
「五十年程前にこの洞窟に足を踏み入れた男がいましてな。まぁ、踏み入れたというか、ここに勝手に住み込んでしまっているのですが、彼は定期的に外に出ているようなのです」
五十年程前。アデアが発見されたのは三年前のはずだが、それ以前に単独でこの地を見つけていた人がいたのかとソラは驚いた。
「そこに案内することってできる?」
ソラが聞くと、シュトラーゼはピクリと体を震わせた。どこか怯えているようにも見える。
「ふーむ、しかしそれは」
ソラは無言で剣を抜く仕草をした。勿論、演技だ。彼をここで殺すことはできない。シュトラーゼは俯いた。
「ここの洞窟はかなり入り組んでいますので、ご案内致しましょう」
「ありがとう。シュトラーゼ、親切だね」
「これは親切っていうより、脅迫に近いけど」
やり取りを見守っていたアーチェが苦笑いをした。彼の手はまだ出血しているようだった。アーチェはソラの視線を感じると、目を瞑った。
「大丈夫だよ。ソラの方こそ、大丈夫? 少し棘を刺されたようだけど。良ければ治療を――」
「私は大丈夫だから、心配しないで!」
ソラは腕をまくってみたが、銀色の血が少し流れているだけで大した傷ではなさそうだ。治療に時間を使う必要はない。アーチェこそ大丈夫なのかと思ったか、アーチェは自身の体を治療することはなさそうだ。
「ご案内致します」
シュトラーゼは渋々と洞窟の奥に進み始めた。シュトラーゼがかなり入り組んでいると言った理由が分かった。
今までは真っ直ぐ進むだけだったが、少し進むと道が二手に分かれている場所やそれ以上の分かれ道があった。
少しでも間違えたら目的の場所には辿り着けなかっただろう。シュトラーゼに襲われたことはある意味、幸運だったかもしれない。
三時間ほど、洞窟内を紆余曲折しただろうか。何度も右へ左へと進んでいる内に段々と方向が分からなくなってくる。このシュトラーゼという男に騙されていたら終わりだが、そんなことはしないだろう。
ソラならシュトラーゼが地面に潜り込んで逃げようとすれば、潜り込まれるより早く殺せる自信があった。彼もそれが分かっているから、逃げないのだ。
騙すことに意味など無い。歩いていると体が温まり、寒さが少しマシになってきた。それがソラにとっての救いだった。
「着いた着いた、ここでございます」
シュトラーゼは小さな空洞の前で足を止めた。洞窟の壁に人が入り込めるサイズの円状の穴があいており、そこからかすかに楽器の不思議な音が聞こえた。
「この中に入って大丈夫なの?」
アーチェは訝しげだ。先程の事もあれば、疑うのも無理はない。
「勿論でございます。あぁ、そんなに疑わないで下さい。これを差し上げますから」
シュトラーゼが懐からある物を取り出した。
「これは」
「何やら不思議な紙の束と変な匂いのする、赤い物です。先程、拾ったのです」
それは紛れもなくソラ達の探していた物だった。ソラは本をアーチェは火薬を受け取る。シュトラーゼにはこの二つがどういったものなのかは分からなかったようだ。彼は地面に潜り込むと、顔だけ出して警告した。
「お気をつけくださいませ。彼は非常に変わり者なため……」
誰だってシュトラーゼにだけは言われたくないと思うが――。
それだけを告げると、シュトラーゼは完全に地面に潜り込んでしまった。もう彼の気配は感じない。
「アーチェ、それ見つかってよかったね」
「うん、でもこれはあまり役に立たなさそうだ。今はその彼を訪ねる方がいいね」
アーチェは火薬を鞄にしまい込んだ。ソラは本の中に入った砂を取ろうと、本を逆さにした。それにより、本に挟み込まれていた写真がヒラヒラと地面に落ちる。
「何か落ちたよ、はい」
アーチェはかがみ込んで、写真を拾うとソラに渡してきた。
「ありがとう。無くなるかもって思って焦った」
ソラは写真を本に再度、挟み込むと鞄の奥にしまい込んだ。アーチェはそれを見て少しだけ目を細めた。
「それ、ソラとロロでしょ? 二人はやっぱり仲いいんだね」
「うーん、私は覚えてないから。なんとも言えないけど……」
「ロロは何を考えてるか、分からないからね。馬鹿だし、早く戻ってやらないと」
アーチェは空洞の中に体を持ち上げて入れ込ませた。なんだかんだ言って、アーチェもロロのことが心配なようだ。あんな砂漠の上だ。
確かに早く合流した方がいい。ソラもアーチェの後を追って空洞に身を入り込ませた。
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