9.翼で抱きしめて
砂の中を少しもがいたと思ったら、突然空中に放り出される。ソラは膝を曲げて着地するとアーチェを受け止めた。そこは洞窟のような場所で氷柱が天井から生えていた。
砂漠での暑さが嘘かと思えるほど、ここは寒い、肌に冷気が突き刺さる。
「うーん、さ、寒い?」
アーチェが腕の中で身を起こした。少しだけ翼がはためかせる音が聞こえる。
「アーチェ、よかった。目が覚めて」
「そ、ソラ。ここは?」
アーチェはよろける体で立ち上がった。目は虚ろだが、この気温に少し元気を取り戻しているようだ。どちらかというと、ソラはそれに反比例するかのように
元気がなくなっていくのを感じていた。断言できる。ソラはきっと寒いのが苦手なのだ。
「蟻地獄の中だよ。急に出現して巻き込まれちゃったんだ」
「ロロは?」
「置いてきちゃった」
ソラは絞り出すような声で呟く。実際には置いてきたと言う表現は正しくないのだろうか、今は動揺していて状況を分かりやすく伝える余裕がなかった。それに寒さのせいで上手く舌が回らない。
「早く合流しないと。ありがと、ソラ。医者なのに、自分が患者になっちゃうなんて本当にマヌケだよ」
アーチェは自身の頭を押さえた。それと似た言葉をロロが前に言っていた気がする。
「そ、そんな事ないよ。た、助け合っていこう!」
ソラがガッツポーズをすると、アーチェが戸惑いつつも頷いた。アーチェが鞄を下に下ろし、中身を全て出すと、大量の砂が鞄から飛び出してくる。
鞄の中身は水筒と小瓶と小さく纏められたテントと救急箱だけだった。蛇肉はもう無くなっている。
「うーん、火薬がないな」
「そんなの持ってたの?」
「何があるか分からないからね。鞄から落ちたのかも。この辺を探してみよう」
ソラは天井を眺めた。ここがどういう構造なのか全く理解できなかったが、火薬で何とかなるのだろうか。しかし、それ以外に道はなさそうだ。
「ソラ、何か役に立つもの持ってない?」
「うーん、何かあるかなぁ」
ソラは鞄に入っているものを全て取り出した。次々と中身が出てくるが、役に立つものはなにもなさそうだ。取り出した中身を見て、ソラは咄嗟にあっと声を上げた。
「なに、どうかしたの?」
ソラのその反応にアーチェの顔が深刻な顔になった。
「本がない……」
「本?」
そう。ソラが鞄にしまっていた本が無くなっていた。鞄は少し上に隙間が空いているので、そこから落ちてしまったのだ。
「この鞄に入ってたんだけど、無くなってる」
「じゃあ、それも探そう」
「う、うん! で、でもそんなに重要なものじゃないから、見つけたらラッキーぐらいの気持ちでいいかな」
ソラは鞄から砂を出すと、中身を全てしまって背負い直した。嘘だ。本当は一刻も早く本を回収したかった。あの本は確かに面白いが、探し出したいのはそれが理由ではなかった。
ただ、何となく持っていないと落ち着かなかった。前の自分にとって余程大事なものだったのかもしれない。アーチェはその事に対して気がついていた。
「ソラにとって大事なものなんでしょ? そんな顔するんだもん」
「え、私、そんなに顔に出てる?」
ソラは照れて、顔を腕で隠した。自分では精一杯、平静を装っているつもりだったが、アーチェにお見通しだったらしい。
「ソラは僕を助けてくれたんだ。それぐらいのことはしないと」
「ほ、本当に気にしないで。でも、ありがとう、アーチェ」
「別に……」
アーチェは顔を反らした。きっとアーチェは優しいのだ。そういった事を思われるのが恥ずかしいのだろう。
優しいからこそ、ソラに気を遣ってくれているのだ。味覚の事も言わないで正解だった。ソラは自身の選択が間違いではなかったことに安心して、胸を撫で下ろした。
しばらくの間、その場でソラとアーチェがお互いに無くしたものを探してはいたが、見つからなかった。段々と寒さが身に沁みてくる。
これ以上、捜索を尋ねるのは難しい気がした。ソラがあまりの寒さに無意識に腕を押さえていると、アーチェが作業を中断して、こちらに歩いて来る。
「ソラ、寒いの?」
「いや、大丈夫。その、こらぐらい」
思わず言葉を間違えてしまった。舌が回らないため、上手く発音が出来なかったのだ。恥ずかしい。アーチェは黙って自分の腕を袖越しに見つめていたが、ソラに対していきなり後ろから抱きついた。
彼の体重からは想像ができないほど、強い力でそのまま二人で尻もちをつく。
「えっと、アーチェ?」
「服越しで悪いけど、羽毛だから温かいはず」
恐る恐る彼の腕を触ると、ぬくもりを感じた。布越しでもフサフサとした羽毛の感触が分かる。アーチェは自身の翼は小さいと言っていたが、人を一人温めるには十分な大きさだった。飛べなくてもこれだけで十分ではないかと思う。
自然と頬が赤くなる。アーチェが十六歳と知ってしまうと、余計にそんな反応になってしまう。男の人にこんなことをされたのは初めてなはずだ。
長いことそうしていると、体がだいぶ温まってきた。アーチェはゆっくりと、体をソラから離した。
「どう? 温まった?」
「う、うん! ありがとう。アーチェ」
アーチェがこんなに寒い中、元気に動き回れるはずだ。こんなに温かい羽毛を生やしているのだから。それとは逆にアーチェが砂漠であんなにも、疲弊していた理由が分かった。
確かにこんなに温かい羽を身に着けていれば、暑さの中で体調を崩すのも無理はない。コートを着て砂漠を歩いているようなものだ。
「あの、アーチェ。ここにはもう無いんじゃないかな。他の所に落ちたのかもしれないし、ちょっと奥に行ってみない?」
「……。うん、そうしようか」
ソラの指差した先は暗い洞窟になっている。今いる場所は砂が落ちてきているため、地上の光が漏れて少し明るい。
こんな砂漠の下に氷の洞窟があるなど、気候からして想像できない。やはりこの大陸は不思議だ。砂も寒さの影響など全く受けずに流れ込んできている。
洞窟の奥に進むと、氷柱が揺れる。ソラ達の足の振動で揺れているのだ。落ちてこないかと不安になったが、それぐらいの振動では揺れるだけで落ちることはないらしい。
この状況で全ての氷柱が落ちてきたら、全ては避けることはできない。そうしたら多少なりとも怪我をする。ソラはホッとして胸を撫で下ろした。
地面には氷の水溜りが鎮座しており、底を踏むとピキッと音がする。出来れば避けて通りたいが、配置からして避けられないときもある。
「ねえ、アーチェ。何か近づいてきてない?」
アーチェが振り向いて、耳を澄ましたが、首を横に振った。
「うーん、何も聞こえないけど」
「いや何かこっちに来る。どんどん迫って来てる」
ソラは武器を構えた。アーチェも咄嗟に剣の柄に手を当てる。少し経つと、ようやくアーチェも相手を認識した。それは靴音だった。カンカンと高い音が洞窟に響き渡る。
「おやおや、落ち着いて下さい。旅の者」
洞窟の奥から現れたのはローブを被った男だった。ローブからは丸っこい耳を出しており、顔が尖っている。髭が生えていて、目は大きい。それは鼠の容姿によく似ていた。
「私はこのアデアの地に長いこと、住んでいるシュトラーゼと申します」
シュトラーゼと名乗った男は礼儀正しく、深々とお辞儀をした。年齢は見た目だとよく分からなかったが、声はかなりしわがれており、高齢であることが推測出来る。よく見れば、右手に歩行を補助する杖を持っている。
アデアに先住民がいるなど、聞いたこともない。しかし、シュトラーゼの容姿は……ソラの知識には当てはまらないものだった。獣人にしては獣の特徴を残し過ぎているし、人間族の特徴も薄い。紛れもなく、この地の種族だ。アーチェも驚いているようで、警戒を解かない。
「大変恐縮なのですが、心臓を貰ってもよろしいでしょうか?」
シュトラーゼは息を吸い込むと、淡々とそう述べた。
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