第6話 死闘、そして絶望の第二形態
「私は……バッドエンドは、大嫌いなんだよっ!!」
啖呵を切ったはいいものの……。
目の前に立ちはだかる、全高3メートルの筋骨隆々とした化け物。
その威圧感は半端じゃない。
正直、めちゃくちゃ怖い。
オシッコちびってしまいそう……いや、待てよ。
男女で膀胱の構造が違うとは聞いていた。実はちょっとだけ手遅れだ。
……って、今はそんなこと考えてる場合じゃない!
とにかく、今は目の前の化け物を倒すことに集中だ!
「グルオオオオオオ!!」
俺の決意を嘲笑うかのように、化け物が咆哮した。
そして、次の瞬間、その巨体からは想像もつかないほどの俊敏さで、床を蹴って俺へと飛びかかってきた!
まるで巨大な肉食獣が獲物に襲いかかるような、圧倒的なスピードと迫力。
「うわっ!?」
咄嗟にバックステップで回避する。
ほんのコンマ数秒遅れていたら、あの鋭い爪の餌食になっていただろう。
俺が元いた場所の床は、化け物の着地の衝撃で、まるで爆弾でも爆発したかのようにコンクリートが砕け散っていた。
掠めただけでも致命傷になりかねない威力だ。
「クソッ、速すぎる……!」
化け物は休む間もなく、左右の鋭利な爪を嵐のように振るい、俺に襲いかかってくる。
ブンッ、ブンッ、と空気を切り裂く音が連続し、その度に俺のすぐ側を凶悪な爪が通り過ぎていく。
正直、喧嘩なんてしたことないし、格闘技の経験もゼロだ。
普通の俺なら、とっくにミンチにされているだろう。
だが――。
(見える……!)
不思議なことに、化け物の攻撃がどこから来るのか、まるでスローモーションのように事前に予測できるのだ。
そして、俺の体は……いや、キリス・コーツウェルの体は、その予測通りに、驚くほど軽やかに、そして素早く動いてくれる。
まるで、長年鍛え上げられた武術の達人のように。
これが『200年の時を生きる真祖の吸血鬼』という設定の恩恵か。
脳が危険を察知し、体が最適解を導き出す。
まさに、チート級の身体能力だ。
「シャアアアアッ!」
化け物が甲高い奇声を発し、横薙ぎに爪を振るう。
俺はそれを紙一重で潜り抜け、逆に懐に飛び込む。
そして、がら空きになった化け物の脇腹に、渾身の肘鉄を叩き込んだ。
ドンッ!
鈍い手応え。
化け物が「グォッ!?」と苦悶の声を漏らし、数歩よろめく。
いける! ダメージは通っている!
コメント欄は、俺と化け物の激しい攻防に、かつてないほどの盛り上がりを見せていた。
『キリスたん凄えええええええ!』
『なんだこの動き!? プロの格闘家かよ!』
『ちびっ子が3メートルの化け物と互角に戦ってるとか胸熱!』
『特撮とかCGじゃないんだよな……? ガチの戦闘じゃん……』
『もうVチューバーの域超えてるだろwww』
視聴者の興奮が、俺にも伝わってくるようだ。
だが、油断は禁物。
相手は、ゲームのボスモンスター。
一瞬の隙が命取りになる。
化け物は、再び体勢を立て直し、さらに凶暴性を増して襲いかかってきた。
その爪は壁を砕き、床を抉り、駐車場の柱を破壊する。
もはや、地下駐車場は俺と化け物の戦いで半壊状態だ。
火花が散り、コンクリートの破片が飛び交う中、俺はひたすら攻撃を避け、カウンターを叩き込む。
キリスの小さな拳が、蹴りが、的確に化け物の急所を捉える。
だが、化け物のタフネスも尋常ではない。
何度殴っても、蹴っても、怯む様子は見せるが、決定打には至らない。
「はぁ……はぁ……っ!」
さすがに息が上がってきた。
吸血鬼とはいえ、これだけの激闘を続ければ疲労もする。
一方、化け物はまるでスタミナが無限であるかのように、攻撃の手を緩めない。
(どこか……弱点はないのか!?)
ゲームでは、確か特定の部位を攻撃すると大ダメージを与えられたはずだが……。
思い出そうとするが、激しい戦闘の中で思考がまとまらない。
その時、化け物が大きく振りかぶって、渾身の一撃を放ってきた。
あまりにも大振りな攻撃。
チャンスだ!
俺はその攻撃を最小限の動きで避け、がら空きになった化け物の顔面めがけて、空中で1回転し全体重を乗せた跳び蹴りを叩き込んだ!
「これで……終わりだあああああっ!!」
ドゴォォォォン!!!
今までのどの攻撃よりも強烈な手応え。
俺の蹴りがクリーンヒットした化け物の頭部が、まるで熟れたトマトのように弾け飛んだ!
夥しい量の体液を撒き散らしながら、首なしの巨体が膝から崩れ落ちる。
そして、完全に動きを止めた。
「ゼェ……ゼェ……やった……か!?」
肩で息をしながら、俺は勝利を確信した。
さすがに頭が吹っ飛べば、もう大丈夫だろう。
だが、コメント欄に不吉な言葉が流れ始めた。
『それ、死亡フラグってやつやで……』
『え、こいつ第二形態とかあった気がするんだが……』
『油断するなキリスたん! まだ終わってないぞ!』
『ゲームだと、ここからが本番……』
「……まさか」
嫌な予感が、背筋を駆け上る。
そして、その予感は最悪の形で現実のものとなった。
ピクッ……。
首を失ったはずの化け物の体が、不気味に蠢き始めたのだ。
傷口から、新たな肉が盛り上がり、骨が軋む音が響き渡る。
そして、みるみるうちにその姿を変貌させていく。
筋骨隆々だった二足歩行の体躯は縮み、代わりに四本の足が地面をしっかりと捉える。
背中は大きく盛り上がり、鋭い牙が並ぶ巨大な顎が形成されていく。
それは、もはや人型ではなく、獰猛な獣のような姿だった。
「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!」
先ほどとは比べ物にならないほどの、おぞましい絶叫。
変貌を遂げた化け物は、爛々と光る4つの目で、俺を射殺さんばかりに睨みつけていた。
「負けイベントを……そう簡単には覆させない、ってワケか……?」
俺の頬を、一筋の冷や汗が流れ落ちた。
絶望的なまでのプレッシャー。
本来この場面では変身する展開はなかった。第一形態で必ず負ける負けイベントなのだ。
変身はラストバトルで起こる展開だというのに、俺は物語を書き換えてしまった。
そして、俺は……この絶望に、打ち勝つことができるのだろうか。