第4話 空からの救助、そして小さな出会い
漆黒の翼を広げ、俺――キリス・コーツウェルは、主人公を抱えたまま夜空を滑空していた。
眼下に広がるのは、炎と黒煙に包まれた『デッドマンズ・シティ』の無残な姿。
そして、その街路を埋め尽くす、無数のゾンビの群れ。
うごめく影が、まるで蟻の大群のように見えた。
「うわぁ……」
思わず声が漏れる。
PCのモニター越しに見ていた時は、どこか他人事のように感じていた光景。
だが、こうして実際に自分の目で目の当たりにすると、その恐ろしさと絶望感は筆舌に尽くしがたい。
もし翼がなかったら、もし吸血鬼の力がなかったら、俺はとっくにあのゾンビたちの餌食になっていただろう。
『下ヤバすぎだろ……』
『映画みたいだな……』
『これ本当にゲームの世界なの?』
『キリス様、遠くにゾンビから逃げてるらしき人影が見えた気がする! 生存者いるかも!』
視界の端に流れるコメントの中に、気になるものを見つけた。
生存者?
「皆様、生存者らしき情報がありますの? どちらですの?」
俺は、自分の声が聞こえてるであろう視聴者に問いかける。
抱えられている主人公は、俺が突然虚空に向かって話し始めたのを見て、訝しげな表情を浮かべていた。
まあ、彼からすれば、俺が独り言を言っているようにしか見えないだろう。
「あ、あの……ごめんなさい。どうやら、助けを求めている方がいらっしゃるみたいですの。先にそちらへ向かってもよろしいかしら?」
主人公にそう伝えると、彼は少し驚いた顔をしたが、すぐに頷いた。
「もちろんだ。人命救助が最優先だ」
彼の了承を得て、俺はコメントで指示された方角へと翼を向けた。
数分ほど飛行すると、とある公園の近くで、小さな人影がゾンビに追われているのが見えた。
高度を下げて近づくと、それはまだ10代前半くらいの、金髪の女の子だった。
服はところどころ破れ、顔には煤がつき、必死の形相でゾンビから逃げ回っている。
「キャシー!!」
俺の腕の中で、主人公が突然叫んだ。
彼の視線は、地上で逃げ惑う少女に釘付けになっている。
「キャシー……?」
聞き覚えのある名前だ。
俺は記憶の糸を辿る。
そうだ、『デッドマンズ・シティ』の物語序盤、主人公が警察署へ向かう途中で出会い、行動を共にするNPC。
確か……彼の娘だったはずだ!
「しっかり掴まっていてくださいまし!」
俺は主人公に一声かけ、急降下する。
地面スレスレで翼を広げて着地すると同時に、主人公は俺の腕から飛び降り、ハンドガンを片手に少女の元へと走り出した。
少女を追いかけていた数体のゾンビは、突如現れた主人公に気づき、ターゲットを変更しようとする。
「俺の娘に触れるな、クソ野郎ども!」
主人公の怒声と共に、乾いた銃声が連続して響き渡る。
的確な射撃でゾンビたちの頭を次々と撃ち抜き、あっという間に脅威を排除した彼は、震える少女を強く抱きしめた。
「キャシー! 無事だったか!」
「パパ……! 怖かったよぉ……!」
少女――キャシーは、父親の胸の中でわんわんと泣きじゃくっている。
感動の再会だ。
コメント欄も、『よかった!』『親子だったのか!』といった安堵の声で溢れている。
「ママは……ママはどうしたんだ?」
少し落ち着きを取り戻したキャシーに、主人公が尋ねる。
すると、キャシーは俯きながら、か細い声で答えた。
「お家に……ゾンビがいっぱい来て……ママと逃げたんだけど……途中で、はぐれちゃったの……」
「そうか……」
主人公は唇を噛みしめる。
母親の安否は不明だが、今は娘が無事だったことを喜ぶべきだろう。
「パパに会いたくて……警察署なら、パパがいるかもしれないって……」
「ああ、よく頑張ったな、キャシー。警察署に行けば、ママもいるかもしれない。一緒に行こう」
主人公は優しくキャシーの頭を撫でる。
どうやら、彼女も警察署を目指していたようだ。これで、行動を共にする理由ができた。
ふと、キャシーの視線が俺に向けられていることに気づいた。
大きな青い瞳が、じっと俺の姿を見つめている。
その瞳には、恐怖と警戒の色が浮かんでいた。
まあ、無理もない。いきなり空から現れた、翼の生えた見慣れない格好の女なのだから。
「キャシー、この子は……キリスは、俺を助けてくれたんだ。彼女がいなかったら、パパはここにいなかったかもしれない」
主人公が、キャシーに俺のことを説明してくれる。
それを聞いたキャシーは、おずおずといった様子で俺に近づいてきた。
そして、小さな声で言った。
「……パパを助けてくれて……ありがとう、キリスさん」
その言葉と共に、深々と頭を下げるキャシー。
健気な姿に、胸がキュンとなる。
「どういたしまして。キャシーちゃん、でしたわね? わたくしはキリス・コーツウェルと申します。よかったら仲良くしてくださる?」
俺は微笑みかけ、そっと手を差し出した。
キャシーは一瞬ためらったが、小さな手で俺の手を握り返してくれた。
温かくて、柔らかい感触。
「さて、それでは警察署に向けて出発しようか!」
主人公が気を取り直したように声を上げる。
俺たち三人は、ゾンビが徘徊する危険な街を、警察署という1つの希望を目指して歩き始めた。
主人公が先頭に立ち、キャシーはそのすぐ後ろ、そして俺が殿を務める形だ。
だが、俺の足取りは、どこか重かった。
キャシーの無邪気な笑顔を見るたびに、胸の奥がチクリと痛む。
(この子に、この後……)
ゲームの記憶が、不吉な影のように俺の心にちらつく。
警察署。
そこは、決して安息の地ではなかったはずだ。
むしろ、さらなる悲劇が待ち受けている場所……。
俺は、これから起こるであろう出来事を知っている。
そして、それをどうすることもできないかもしれないという無力感に、静かに苛まれるのだった。