第30話 のどかな村と勇者の卵、そして忍び寄る影
クロウウッド村は、人口50人にも満たない、森の奥深くにひっそりと佇む小さな村だ。
古くからの木造家屋が肩を寄せ合うように建ち並び、そのほとんどの住人が、人生の黄昏時を迎えた高齢者たちで占められている。
若い世代といえば、この物語の主人公であるファリンと、ほんの数人の幼馴染くらいなものだ。
村の周囲は深い針葉樹の森に囲まれ、外部との交流もほとんどない。
まるで、時が止まったかのような、静かで、そして少し寂しげな場所だった。
土の道をゆっくりと進むと、朝の柔らかな日差しの中、村人たちがそれぞれの畑仕事に精を出す姿が見えてきた。
腰を深く曲げ、慣れた手つきで土を耕し、作物の世話をする老人たち。
その額には汗が光り、長年土と共に生きてきた証である深い皺が刻まれている。
ファリンは、そんな村の大人たち一人一人を見かける度に、太陽のような満面の笑顔を向け、元気いっぱいの声で挨拶をして回る。
「おはようございまーす! 今日も良いお天気だね!」
道端の畑でカブの世話をしていた老婆が、ファリンの声に顔を上げた。
「おお、ファリンじゃないか。おはようさん。朝早くから元気だねぇ」
老婆は、皺くちゃの顔に優しい笑みを浮かべ、ファリンに声をかける。
「うん! 今日もこれから森で剣の稽古なんだ!」
「そうかいそうかい。感心だねぇ。ファリンがいてくれるから、この村も安心だよ」
「えへへ、任せて!」
ファリンは得意げに胸を張る。
別の畑では、鍬を振るっていた老爺が、汗を拭いながらファリンに声をかけた。
「ファリン、おはよう。あんまり無理するんじゃないぞ。お前さんはこの村の宝なんだからな」
「大丈夫だよ、おじいちゃん! 私、すっごく強いんだから!」
「はっはっは、頼もしいこった。だが、油断だけは禁物だぞ」
村人たちは、ファリンのその明るく屈託のない挨拶に、まるで自分の孫娘に接するかのように親しげに、そして温かく応える。
彼女の存在は、この静かで高齢化が進む村にとって、まさに希望の光であり、未来へのささやかな期待そのものなのだろう。
そんなファリンの姿を、俺――キリス・コーツウェルは、少し離れた物陰からこっそりと後をつけていた。
蒼いロングヘアに、黒を基調としたゴシックドレス。
この素朴で長閑な村の風景の中で、俺の姿はあまりにも異質で、浮きまくっていた。
そもそもの世界観がちがうというか……。
当然、村人たちは、そんな怪しげな俺の存在にすぐに気づく。
「……ん? なんだい、あの子は……?」
「見たことない顔だねぇ。どこの子かねぇ……?」
「あんな派手な格好して……。何かの見世物の一座の子かい?」
「ファリンの後をこっそりつけているようだけど……まさか、人さらいじゃ……」
村人たちは、農作業の手を止め、俺の方をジロジロと見ながら、ひそひそと囁き合っている。
その視線は、好奇心と、それ以上の警戒心に満ちていた。
そりゃそうだよな。こんな小さな村に見慣れない、しかもこんな奇抜な格好の子供がいきなり現れたら、誰だって警戒する。
俺は、できるだけ彼らの視線を気にしないようにしながらも、ファリンとの距離を保ちつつ、慎重に後を追った。
ファリンは、そんな村人たちの視線や俺の存在には全く気づく様子もなく、村の外へと続く道を軽快な足取りで進んでいく。
口ずさんでいるのは、明るく希望に満ちたメロディ。
その無邪気な歌声は、まるで森の妖精のようだ。
やがて村を抜け、道は草木が生い茂る、鬱蒼とした森へと続いていた。
陽光が、木々の隙間からキラキラと差し込み、地面にまだら模様を描いている。
天気は快晴。吹き抜ける風も心地よく、絶好のピクニック日和といったところだろう。
だが、吸血鬼である俺にとっては、この強すぎる日差しはあまり歓迎できるものではない。
肌がジリジリと焼けるような感覚に、少しだけ体力を奪われるのを感じる。
ファリンは、森の中ほどにある少し開けた場所を見つけると、背負っていたリュックから一本の古びたショートソードを取り出した。
そして、その剣を構え、近くの木の太い枝を仮想の敵に見立てて、ただひたすらに素振りを始めたのだ。
俺は、少し離れた場所にある大きな木の陰に身を隠し、彼女の様子をじっと観察することにした。
「えいっ! やぁっ! とぉっ!」
ファリンは、時折、可愛らしいながらも気合の入った掛け声を上げながら、一心不乱に剣を振るい続ける。
その剣筋は、正直言って、お世辞にも洗練されたものとは言えない。
誰かに師事したわけでもなく、見よう見まねで自己流に編み出した、癖の強い、粗削りな剣術だ。
それでも、彼女は真剣な表情で、額に汗を浮かべながら、ひたすら剣を振るっている。
その姿からは、彼女の「強くなりたい」という純粋な想いがひしひしと伝わってくるようだった。
俺は、ゲームで見たファリンの過去の出来事を思い出す。
彼女は、幼い頃から剣の腕を磨き、村の大人の男たちに交じって、生活のための猪狩りにも積極的に参加していた。
そのおかげで、同年代の村の若者たちの中では、頭1つ抜けた実力を持っていると自負している。
だが、それはあくまで「戦わない人間」や「普通の獣」相手の話。
異形の姿を持ち、人知を超えた力を持つ「モンスター」と本格的に対峙した経験は、彼女には一度もないのだ。
それなのに、村の高齢者たちから「ファリンなら、きっと村を守れる」「お前は強い子だよ」と、まるで期待を込めるように褒められるたびに、彼女の心には「自分は強いのだ」という過信という名の小さな芽が、少しずつ、しかし確実に育っていってしまったのだ。
「いつか……わたしが勇者になって、この村のみんなを、そして困っている人たちを助けるんだ……! 父ちゃんみたいに……!」
一通り素振りを終えたファリンは、ぜえぜえと息を切らしながらも、ポツリとそう呟いた。
そして、汗を拭うこともせず、握りしめた剣の柄を胸に抱き、きらめく木漏れ日を浴びながら、青空を見上げる。
彼女の若草色にも似た緑がかった瞳は、未来への希望に満ち溢れ、ダイヤモンドのようにキラキラと輝いていた。
俺は、ゲームの中で断片的に語られた、ファリンと彼女の父親との幼い頃の回想を思い出す。
ファリンの父親は、かつてこの辺境の地で「英雄」とまで呼ばれた、熟練の冒険者だった。
幼いファリンは、そんな父親から、彼が若い頃に体験した様々な冒険の物語や、人々を助ける「勇者」の物語を聞かされるのが、何よりも大好きだった。
しかし、彼女がまだほんの小さな子供だった頃、父親はこのクロウウッド村を襲った強力なモンスターとの戦いで、村人たちを守るために命を落としてしまう。
その時、父が最後にファリンに語った「真の勇者とは、どんな困難にも屈せず、人々の希望となる者だ」という言葉こそがファリンの夢の、そして彼女の生きる意味の、全ての原点となっていたのだ。
「彼女の父親は、10年前に村を襲ったモンスターとの戦いで亡くなったんですよね。その時、父が最後に語った勇者の物語と、その生き様が、ファリンにとっての絶対的な道標になっているんです……」
俺は、視聴者に向けてそう呟きながら、ファリンの横顔を見つめる。
独学で剣を学び、高齢者しかいないこの村では、まともな稽古相手すら見つけられない。
彼女が強さを比較する対象は、村の老人たちか、森の猪くらいなものだ。
だから、彼女は自分が日々強くなっていると信じ込んでいる。
だが、悲しいかな、今のファリンの実力は、広大な世界の冒険者たちの中では、最底辺と言っても過言ではないレベルでしかない。
その埋めようのない実力差への無知と「自分は強い」という根拠のない過信こそが、皮肉にも、彼女をあの悲惨な運命へと導いてしまう最大の要因なのだ。
さて……これから、どうするべきか。
俺は、木陰でジリジリと照りつける日差しを避けながら、額の汗を拭い真剣な表情で剣の素振りをするファリンの姿を見つめ、これからの具体的な行動計画を、じっくりと練り始めるのだった。
まずは、何よりも先に、彼女のその甘い認識を打ち砕き、厳しい現実を直視させてやる必要があるだろう。
そして、彼女が持つ「勇者」への憧れを、本物の「強さ」へと昇華させる事ができれば。
そのためには……。
(……そうですね。まずは、彼女との間に、揺るぎない信頼関係を築くことが、何よりも重要ですわね……)
俺は、ファリンを絶望の未来から救い出すための第一歩を、静かに踏み出そうとしていた。




