第3話 吸血鬼パワー、フルスロットル!
「……」
唖然とした表情のまま、床に座り込んだ主人公を見下ろすキリス――いや、俺。
さっきのサッカーボールキックの衝撃が、まだ自分でも信じられない。
まるで漫画みたいな威力だった。
「あ、あの……大丈夫ですの?」
我に返り、俺は主人公に手を差し伸べた。
華奢で、白い、女の子の手。
主人公は一瞬ためらった後、その手をしっかりと握り、ゆっくりと立ち上がった。
「ああ……ありがとう。助かったよ」
ぶっきらぼうながらも、彼の声には確かな感謝の色が滲んでいた。
少しは警戒を解いてくれただろうか。
だが、安堵するのも束の間。
階下から、複数のゾンビの呻き声と、階段をのろのろと上がってくる足音が聞こえてきた。
先ほど窓を突き破って侵入してきたゾンビの仲間たちが、追ってきたのだ。
「チッ、奴らが来るぞ!」
主人公は再びハンドガンを構え、階段の方を睨みつける。
状況は依然として危機的だ。
視界の端のコメント欄が、また騒がしくなる。
『うわー、ゾンビいっぱい来た!』
『早く逃げてー!』
『主人公、弾大丈夫か?』
『つーか、さっきのキック凄すぎだろwww』
『あれ見ると、ゾンビよりキリスたんの方が強いんじゃね?www』
最後のコメントに、俺の目が釘付けになった。
確かに、さっきの威力は尋常じゃなかった。
吸血鬼の設定が反映されているなら、俺は人間離れした力を持っているはずだ。
「……怖いけど、試してみる価値は……あるかも?」
もし本当にそうなら、この状況を打開できるかもしれない。
俺は意を決して、近くにあった大きな木製のタンスに目をやった。
ゆうに100キロは超えていそうな、年代物の頑丈なタンスだ。
普通の人間なら、びくともしないだろう。
「ふんっ……!」
気合を入れて、タンスの側面に手をかけ、持ち上げようと力を込める。
すると――。
「え……?」
信じられないことに、あれほど重厚に見えたタンスが、まるで発泡スチロールでできているかのように、驚くほど軽々と持ち上がったのだ。
両腕で軽々と抱え上げても、まだ余裕がある。
「なっ!?」
隣で見ていた主人公が、信じられないものを見るような目で俺を……いや、俺が持ち上げたタンスを見ている。
その驚愕の表情を横目に、俺はタンスを抱えたまま階段の前まで歩いていく。
階段からは、ちょうどゾンビたちが数体、のそのそと姿を現そうとしていた。
「いっけえええええええ!!」
俺は雄叫びを上げながら、抱えていたタンスを、階段めがけて思いっきり投げつけた。
放物線を描いて飛んでいくタンス。
そして――。
ゴゴゴゴゴォォォォン!!! バキバキバキッ!!!
凄まじい破壊音と共に、タンスは階段を転がり落ち、そこにいたゾンビたちをまとめて薙ぎ倒し、ミンチにしながら階下へと消えていった。
まるで巨大な鉄球でもぶつけたかのような威力だ。
「……お、おお……」
さすがに、自分でもちょっと引くレベルのパワーだ。
だが、効果はてきめん。
階段からは、ゾンビの気配が消え失せていた。
「これなら……!」
俺はニヤリと笑い、手近にあった他の家具――壊れた机、鉄製のキャビネット、果ては古いブラウン管テレビまで――次々と階段に向かって投げ込み始めた。
その度に、建物が揺れるほどの轟音が響き渡る。
数分後、階段は完全に家具の山で埋め尽くされ、重機でも使わない限り撤去不可能な、完璧なバリケードと化していた。
コメント欄は、まさに祭り状態だ。
『うおおおおおお! キリスたん最強!!』
『タンスキャノンwwwww』
『もう全部あいつ一人でいいんじゃないかな』
『主人公、完全に空気www』
『これが200歳吸血鬼の力……ゴクリ』
「ふぅ……これで、しばらくは大丈夫でしょう」
息一つ切らさずに、俺は満足げに頷いた。
主人公は、開いた口が塞がらないといった様子で、俺と家具の山を交互に見ている。
「さて……」と俺は主人公に向き直った。「次は、警察署に向かわれるんですよね?」
ゲームのストーリー通りなら、彼は次に警察署へ向かい、そこで他の生存者と合流し、武器や情報を得るはずだ。
「な、なんでそれを知ってるんだ!?」
主人公が、再び警戒の色を浮かべて俺を見る。
しまった、また口を滑らせた。
彼が警察署を目指していることは、ゲームをプレイしていれば分かることだが、この世界の彼にとっては知る由もない情報だ。
「え、えへへ……なんとなく、ですわ?」
俺は、キリス・コーツウェルの顔で、満面の笑みを浮かべて誤魔化した。
我ながら、あざとい。
『あざと可愛いwww』
『これは騙される(確信)』
『ちょろイン主人公爆誕の予感』
『その笑顔、守りたい』
コメント欄には「可愛い」の弾幕が流れている。よし、上手く誤魔化せたか?
主人公はまだ訝しげな表情を崩さないが、とりあえず追及はしてこないようだ。
「自分の設定が反映されているということは……もしかして……」
俺の脳裏に、もう1つの可能性がひらめいた。
キリス・コーツウェルの設定には、吸血鬼としての身体能力だけでなく、もう1つ、特徴的なものがあったはずだ。
「翼よ……いでよ!」
俺は心の中で強く念じた。
すると、背中に何かがうごめく感覚。
そして――バサッ!という音と共に、俺の背中から巨大なコウモリのような翼が勢いよく飛び出したのだ!
漆黒の、美しい光沢を放つ、悪魔的なまでに魅力的な翼。
その翼は、まるで俺の体の一部であるかのように、自由に動かすことができた。
「う、嘘だろ!? 翼だと!?」
主人公が、今度こそ腰を抜かさんばかりに驚愕し、震える指で俺の背中の翼を指さしている。
無理もない。目の前で美少女の背中からいきなり巨大な翼が生えてきたら、誰だってそうなるだろう。
「さあ、行きますわよ!」
俺は、そんな主人公の驚きを気にも留めず、彼の腕を掴んで軽々と抱きかかえた。
所謂、お姫様だっこである。
男にこんなことをするのは初めてだが、今の俺は非力な美少女(ただし中身は男)ではなく、怪力吸血鬼なのだから問題ない。
「え、ちょ、何を……!?」
戸惑う主人公を抱えたまま、俺は先ほどゾンビを蹴り飛ばした際に割れた窓際まで歩み寄る。
そして、躊躇うことなく、そこから空へと飛び立った!
「うわああああああああ!?」
主人公の悲鳴が、夜空に響き渡る。
眼下には、燃え盛る廃墟の街が広がっている。
風を切って進む感覚は、想像以上に爽快だ。
「目指すは、警察署ですわ!」
漆黒の翼を大きく羽ばたかせ、俺はキリス・コーツウェルとして、夜空を駆ける。
コメント欄は、もはやカオスと化しているだろう。
だが、今はそんなことを気にしている場合ではない。
この異世界配信、まだまだ始まったばかりなのだから!