第20話 飛翔する吸血鬼と、たけるの勇気
美弥を横抱きにした俺――キリス・コーツウェルは、漆黒の翼を広げ洋館の薄暗い通路を凄まじい速度で飛翔していた。
目の前に立ちふさがる扉は、もはや障害物ですらない。
突き出した片手から小型の魔力弾を連続で発射し、爆音と共に木っ端微塵に粉砕していく。
気分はさながらシューティングゲームの主人公だ。
「きゃあああ! こ、怖い! 早い! キリスちゃあああん!!」
腕の中で、美弥が絶叫に近い悲鳴を上げながら必死で俺にしがみついている。
その柔らかい感触と甘い香りに、一瞬だけ意識が逸れそうになるが、今はそんな場合ではない。
俺は、頭の中に表示された3Dマップに映る、赤い点滅――たけるの居場所を目指し、最短距離を突き進む。
やがて、目的の部屋の前に到着。
ここでも遠慮なく扉を魔法で爆砕し、部屋の中へと突入する。
そこは、書斎のような部屋だった。壁一面に本棚が並び、中央には大きな机が置かれている。
だが、肝心のたけるの姿は見当たらない。
「おかしいですわね……。確かに、この部屋に反応があったはずなのですが……」
俺が首を傾げていると、部屋の隅にある大きなクローゼットから、ガタッと小さな物音がした。
……デジャヴ。
これはまた、たけるだな? しかも、またクローゼットかよ。学習能力ないのか、あいつ。
俺は、先ほど美弥と俺を置き去りにして一人だけ逃げ出した彼の情けない姿を思い出し、ちょっとしたイタズラ心で、少しだけ罰を与えてやることにした。
俺は美弥をそっと床に降ろし、音を立てずにクローゼットへと近づく。
そして、たけるが入っているであろうクローゼットを、いとも簡単に持ち上げた。
中からは「え? 何? 地震!?」という、たけるの間の抜けた声が聞こえてくる。
「ふふっ……少しだけ、お仕置きですわ」
俺はニヤリと笑い、持ち上げたクローゼットを、扉が下になるように勢いよく地面に叩きつけた。
ガッシャーン!!
「ぎゃあああああ! いでででででっ!? な、なんだよ今の!? あれ!? 扉が開かない! 開かないよぉぉぉ! 助けてええええ!!」
クローゼットの中で、たけるが転がり回り、パニックになった悲鳴を上げている。
その様子を見て、俺と美弥は思わず顔を見合わせてクスクスと笑ってしまった。
コメント欄も、このお仕置きに大いに盛り上がっている。
『キリス様、容赦ねえwww』
『たけるカワイソスwww でも、女の子二人置いて逃げたんだから自業自得だなwww』
『クローゼットごとシェイクされる男www』
『まあ、多少はね?』
「ふふふ……そろそろ許して差し上げますか」
俺は、もう一度クローゼットをひっくり返し、再び中でたけるがゴロゴロと転がる音を聞く。
そして、今度は扉が上向きになるように静かに置き、ゆっくりと扉を開けた。
そこには、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにした、見るも無惨なたけるの姿があった。
「お、お前たち……! ぶ、無事だったのか!?」
俺と美弥の顔を見て、たけるは驚いたように目を見開く。
すると、美弥がジト目でたけるを睨みつけながら言った。
「たけるくんと違って、キリスちゃんが助けてくれたんだからね!」
「うっ……わ、悪かったよ……。でも、キリスが? このチビスケが、どうやって……?」
たけるが、まだ状況を理解できていないのか、俺の強さを信じられないといった様子で、少し馬鹿にしたような口調で言った。
その言葉に、俺はムッとして反論しようとした――その瞬間だった。
バァン!!!
部屋のドアが勢いよく蹴破られ、新たな化け物が姿を現した!
その姿は……赤鬼だ。
だが、先ほど俺が倒した個体とは、外見が大きく異なっている。
まるで四角い壁のような、ゴツゴツとした岩肌のような体に、申し訳程度に手足が生えている。
そして、その壁のような体の中心には、丸くギョロリとした巨大な目が2つと、鋭い牙がびっしり生えた大きな口が見えた。
明らかに、先ほどの赤鬼よりも強そうだ。
「赤鬼は……一匹だけじゃなかったんですの!?」
驚愕する俺たち。
たけるは、またしても「ひぃぃぃぃ!」と悲鳴を上げ、一目散に逃げ出そうとした。
だが――。
「……くそっ!」
彼は、部屋の出口寸前でぐっと踏みとどまり、なんと俺と美弥の前に立ちはだかったのだ。
「こ、怖えよ……! めちゃくちゃ怖えけど……! でも……お前たちにまた見捨てられたって思われるのは……もっと嫌なんだよっ!!」
たけるは、ボロボロと涙をこぼしながらも、必死に両手を広げ、俺たちを庇うような体勢を取る。
その姿は、決して格好良くはないかもしれない。
だが、そこには確かな勇気があった。
(たける……お前……!)
俺は、彼のその勇気に、少しだけ彼を見直した。
さっきまでの情けない姿はどこへやら。
やはり、男の子は追い詰められると強くなるものなのだろうか。
新しい赤鬼は、そんなたけるの覚悟など意にも介さず、一直線にこちら目掛けて突進してきた!
先ほど倒した赤鬼よりも、明らかにスピードが速い!
「うわああああああああああああ!!」
たけるは、目をぎゅっと固く閉じ、死を覚悟した。
だが――。
「オラアアアアアアアアアアッ!!」
俺が一瞬でたけるの前に飛び出し、突進してきた赤鬼の顔面に、強烈なストレートを叩き込んだ!
ズドォォォン!!という轟音と共に、赤鬼は巨体ごと後方へ吹っ飛び、部屋の壁をぶち抜いて廊下へと転がり出る。
そして、ピクピクと痙攣している。
「えっ!? な……なんだこれ!? 今、何が起きたんだ!?」
たけるは、何が起きているのか全く理解できず、混乱している。
まあ、無理もないだろう。
俺は、廊下で痙攣している赤鬼に手をかざし、意識を集中する。
空中に、再び淡く光る魔法陣が展開された。
「凍てつく刃よ、敵を貫け! アイシクル・ランス!!」
俺がそう叫ぶと、魔法陣から無数の鋭い氷の矢が生成され、赤鬼めがけて一斉に射出される!
ヒュンヒュンヒュン!という音と共に、氷の矢は正確に赤鬼の全身に突き刺さり、その体を原型を留めないほどにズタズタに引き裂いた。
今度こそ、完全に絶命したようだ。
「な、ななな、なんだよこれぇ!? 全然わけわかんねえよぉぉぉ!?」
たけるは、あまりの超常現象の連続に、ついにキャパオーバーを起こし、その場にへたり込んでしまった。
「うん……わかる。その気持ち、痛いほどよくわかるよ」
美弥が優しい目でたけるを見ている。
「えっと……とりあえず、ご説明いたしますわね?」
俺は、先ほど美弥にしたように、たけるにも自分の正体が吸血鬼であることを明かした。
全てを聞き終えたたけるは、しばらく呆然としていたが、やがておそるおそるといった様子で口を開いた。
「じゃあ……キリスは……昔から、俺たちが知ってるキリスは、本当は人間じゃなくて、吸血鬼だったってことか……?」
その言葉には、どこか寂しさが滲んでいるように感じられた。
そう言われると、なんだか騙していたみたいで、申し訳ない気持ちになってしまう。
「……はい。その……今まで黙っていて、ごめんなさい……」
俺が素直に謝罪すると、たけるは意外な反応を見せた。
「かっけええええええええええええええっ!!!! 超かっこいいじゃん、それぇぇぇぇぇ!!」
え……?
思っていた反応と、全然違う。
たけるは、目をキラキラさせながら俺の両肩をガシッと掴み、興奮した様子でまくし立てる。
「え? カッコいい……ですの?」
「当たり前だろ! 吸血鬼の真祖で、化け物を凌駕するパワーを持ってて、おまけに魔法まで使えるとか! それ、完全に漫画とかゲームの世界の主人公じゃん! めちゃくちゃカッコいいって! あー! 羨ましいぜ、ちくしょう!」
……だよな!
超かっこいい設定だよな!
わかってくれるのか、お前!
やっぱり、男の子って、こういうのが好きなんだよな!
俺の中で、たけるの評価が、一気に急上昇した。
こいつ、いい奴じゃん!
コメント欄も、たけるのこの意外なリアクションに好意的だ。
『たける、お前もこっち側の人間だったかwww』
『まさかの「わかり手」登場www』
『これはキリスたんファンクラブ入会待ったなしだな!』
『男の子はみんな、こういうのに憧れるものよ……』
キリスたんファンクラブ……?
何だ、それ……?
俺は、コメント欄に流れたその言葉に小さく首を傾げるのだった。