第1話 吸血鬼Vtuber、爆誕……って、え?
「はぁ……」
俺、杉田智之、22歳。しがないフリーター。
深夜のコンビニバイトを終え、薄暗い四畳半のアパートに帰宅した俺は、ベッドに倒れ込みながら深いため息をついた。
夢も希望も、まるで夜明け前の空のように見通しが悪い。そんな俺にも、最近できたささやかな夢がある。
「Vチューバー、か……」
キラキラした可愛い女の子や、面白いトークで視聴者を沸かせるイケメンたちが、仮想の姿で活躍する世界。
俺も、あんな風に誰かを楽しませて、人気者になって、そして……まあ、ぶっちゃけ、お金持ちになりたい!
なんて、安直な夢だろうか。
我ながらそう思うが、今の俺にはそれくらいしか輝いて見えるものがないのだ。
しかし、現実は厳しい。
Vチューバーになるには、まず何が必要か。
キャラクターデザイン、モデリング、配信機材、それらを揃えるには……。
「うっわ、たっけぇ……」
ネットで調べた初期費用は、軽く数十万円コース。
バイト代をコツコツ貯めても、一体いつになることやら。
その前に、俺の情熱が燃え尽きてしまうかもしれない。
「もっとこう、手軽に始められる方法はないもんかねぇ……」
諦めきれずに検索エンジンに「Vチューバー 格安」などと打ち込んでみる。
すると、検索結果の片隅に、いかにも怪しげなバナー広告が表示された。
『アナタも今日から人気Vチューバー! 配信アプリ一式&オリジナルアバター作成、今なら驚きのセット価格!』
……胡散臭い。
あまりにも胡散臭すぎる。
だが、その「驚きのセット価格」とやらは、確かに破格だった。
通常ならありえないほどの低価格。
まるで、詐欺サイトの典型のような……。
「……まあ、騙されたと思って、買ってみるか」
どうせ失うものなんて、たかが知れている。
この停滞した日常に、少しでも変化が起きるなら、それも一興かもしれない。
俺は、半ばヤケクソな気持ちで、その怪しげな通販サイトの購入ボタンをクリックした。
数日後、簡素なダンボール箱が届いた。
中には、一枚のインストールディスクと、簡単な説明書だけ。
説明書通りにアプリをインストールし、起動すると、アバター作成画面が表示された。
「お、本当に作れるのか……?」
半信半疑ながらも、俺は自分の理想を詰め込んだアバターを作り始めた。
どうせなら、インパクトのあるキャラクターがいい。
男の俺だが、バ美肉に興味があったので美少女キャラ一択だろう。それも、ちょっと訳アリな感じの。
「髪は……青のロングヘア。目は……吸血鬼っぽく紅がいいな。服装はゴスロリ調で……」
年齢は、10代前半に見えるけど、実は長生きしている設定。
そうだ、吸血鬼にしよう。それも、200年くらい生きている古参の吸血鬼。
名前は……キリス・コーツウェル。うん、なんかそれっぽい。
数時間後、画面の中には俺の理想を具現化したかのような美少女が立っていた。
腰まで届く艶やかな青髪、血のように赤い瞳、白い肌に尖った犬歯。
黒を基調としたフリルたっぷりのドレスを身にまとい、どこかミステリアスな雰囲気を漂わせている。
「……我ながら、完璧じゃね?」
こいつが動いて喋るのか。
想像しただけで、少しワクワクしてきた。
配信用のマイクやウェブカメラは、以前少しだけゲーム実況をかじった時のものが残っている。
それらをPCに接続し、いよいよテスト配信の準備を整えた。
「さて、何のゲームで試そうか……」
棚に積まれたゲームソフトの中から、一本のホラーゲームを手に取る。
タイトルは『デッドマンズ・シティ』。
ゾンビが溢れかえる崩壊した都市で、生き残るために戦うサバイバルホラーだ。
これなら、リアクションも取りやすいだろう。
「よし、じゃあ、オフラインモードでテスト開始っと」
深呼吸1つ。
マウスをクリックし、ゲームを起動する。
キリス・コーツウェルのアバターが、画面の隅に可愛らしく表示されている。
「えー、皆様こんばんは。新人Vチューバーのキリス・コーツウェルです。今日は、この『デッドマンズ・シティ』を試しにプレイしていきたいと思いまーす」
自分で自分の声を聞くのは、何度やっても慣れない。
しかも、この美少女アバターから自分の野太い声が出ていると思うと、なんとも言えないシュールさがある。
まあ、ボイスチェンジャーもセットに含まれていたから、本番ではそれを使えばいいか。
ゲームが始まり、オープニングムービーが流れる。
平和な都市が一変し、ゾンビパンデミックが発生する様が、リアルなグラフィックで描かれていく。
「うわー、いきなりグロいな、これ……」
思わず顔をしかめた、その瞬間。
ぐにゃり。
視界が歪んだ。
いや、歪んだというよりは、何かに強く引っ張られるような感覚。
「え……? なんだ……!?」
強烈な浮遊感と共に、意識がブラックアウトした。
次に気がついた時、俺は硬いアスファルトの上に立っていた。
鼻をつくのは、焦げ臭い匂いと、鉄錆のような血の匂い。
周囲を見渡すと、そこは見覚えのある……いや、さっきまで画面越しに見ていた、燃え盛る廃墟の街だった。
「は……? なに、これ……?」
ゲームのオープニングムービーで見た光景と全く同じ。
黒煙を上げるビル群、ひっくり返った車、そして……遠くから聞こえてくる、不気味な呻き声。
「……夢?」
頬をつねってみる。痛い。
夢じゃない。
じゃあ、なんだっていうんだ、この状況は。
ふと、視界の端に映った、燃え盛るビルの窓ガラス。
そこに映る自分の姿を見て、俺は言葉を失った。
「……え?」
そこに立っていたのは、杉田智之ではない。
腰まで届く、艶やかな青いロングヘア。
白い肌に、血のように赤い瞳。
黒いフリルのドレス。
「キ、キリス……?」
そう、俺のアバターとして作ったはずの美少女吸血鬼、キリス・コーツウェルの姿が、そこにあった。
自分の手を見る。小さくて、華奢な、女の子の手。
信じられない思いで、もう一度窓ガラスを確認する。
何度見ても、そこにいるのはキリスだった。
「マジかよ……ゲームの世界に入り込んだ、とかそういうアレか!? しかも、自分のアバターの姿で!?」
パニックになりそうな頭を必死に抑え込む。
とにかく、状況を理解しなければ。
これは現実なのか? それとも、何かの高度なVR体験か?
しかし、肌を刺すような熱気も、鼻をつく異臭も、あまりにもリアルすぎる。
「グルルルル……」
背後から、低い呻き声が聞こえた。
嫌な予感がして、ゆっくりと振り返る。
そこには、腐りかけた皮膚を垂らし、焦点の合わない目でこちらへとにじり寄ってくる、一体のゾンビがいた。
「ひっ……!?」
ゲームで何度も見た敵。
だが、実際に目の前にすると、その迫力と恐怖は段違いだ。
逃げなければ。
そう思うのに、足がすくんで動けない。
「クソッ……!」
ゾンビが、ゆっくりと腕を伸ばしてくる。
その腐った指先が、俺の……いや、キリスの肩に触れようとした瞬間。
「うおおおおっ!」
俺は、ほとんど無我夢中で、右の拳を突き出していた。
華奢なキリスの腕から繰り出された、およそ不釣り合いな、しかし渾身の一撃。
ドゴォッ!
鈍い音が響いた。
次の瞬間、信じられない光景が目の前で繰り広げられた。
俺の拳が当たったゾンビは、まるで爆発したかのように数メートル後方へ吹っ飛び、壁に激突。
そして、グシャリという生々しい音と共に、文字通りグロテスクな肉片へと変わったのだ。
「…………は?」
何が起こったのか、理解できなかった。
今の、俺がやったのか?
この、小さな女の子の拳で?
呆然と自分の拳を見つめる。
先ほどゾンビを殴った感触は、確かにあった。
だが、こんな結果になるような威力ではなかったはずだ。
まるで、大型トラックにでも撥ねられたかのような……。
そこで、ふと脳裏にある設定がよぎった。
俺がキリス・コーツウェルに与えた設定。
『200年の時を生きる吸血鬼』。
吸血鬼……そういえば、吸血鬼って、人間離れした力を持っているんじゃなかったか?
「まさか……アバターの設定が、この世界で再現されてるのか……?」
そうだとしたら、この異常なパワーも説明がつく。
キリスは吸血鬼。だから、ゾンビなんてパンチ一発でミンチにできる。
にわかには信じがたいが、そうとしか考えられない。
「と、とにかく……! ここはヤバい!」
周囲を見渡せば、先ほどの物音を聞きつけたのか、他のゾンビたちが集まり始めていた。
一体や二体ならともかく、数が増えればいくら吸血鬼パワーがあってもどうなるか分からない。
「帰りたい……! 元の世界に帰りたい……!!」
俺は、心の底から強く願った。
こんな訳の分からない世界は嫌だ。
自分の部屋の、あの薄汚いけど安全な四畳半に帰りたい!
そう強く念じた、瞬間。
ぐにゃり。
再び、あの視界が歪む感覚。
そして、強烈な浮遊感。
次に目を開けた時、俺は自室のPCデスクの前に座っていた。
目の前のモニターには『デッドマンズ・シティ』のタイトル画面が表示されている。
ヘッドセットは外れて床に落ち、マウスを握っていた右手は、まだ微かに震えていた。
「…………」
頬を伝う、冷や汗。
ドクンドクンと鳴り響く心臓の音。
窓の外は、いつも通りの静かな夜。
「ゆ、夢……だったのか……?」
あまりにもリアルな体験。
あの焦げ臭い匂いも、ゾンビの腐臭も、拳で殴り潰した感触も、まだ鮮明に思い出せる。
だが、ここは紛れもなく俺の部屋だ。
混乱する頭で、ふとPCの画面に目をやる。
画面の隅には、先ほどまで俺自身だったはずの、青髪ロングの美少女吸血鬼、キリス・コーツウェルが、何食わぬ顔で佇んでいた。
「…………マジかよ」
俺は、ただ唖然とするしかなかった。
あれは、本当に現実だったのか?
それとも、あまりにもリアルな夢だったのか?
確かなことは1つ。
俺が手に入れたこの格安Vチューバーセットは、どうやらとんでもない代物らしいということだけだ。