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『Excel《ログ》で恋が攻略できると信じていた俺は、全感情ヒロインたちに今日もデータを破壊される』〜“記録”が全ての理系男子が、初めて“恋”を知るまでの青春物語〜  作者: 犬神 匠
── 第二章 Lunaria ──

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第47話『ログの向こう側へ』

【5月2日(土)夕方/越智家リビング・朝比奈あさひなこころ】


夕方の光が、ぼんやりと床に広がっている。


ソファに深く沈み込み、背もたれに体を預ける。

片足をだらしなく前に投げ出して――うん、姿勢はだいぶ終わってる。


テーブルの上には、しあわせバター味のポテチ。

今日の気分は、うすしおじゃない。

あまじょっぱいのが正解。


手にはコーラ。今日はペプシにしてみた。

たまにはいいよねぇ。


ふふっ……満喫、満喫♪


ポテチを一枚。甘さのあとにじわっと塩気。

すぐペプシで流し込むと、炭酸が喉を弾いた。


「っはぁ〜……しあわせ♪」


これこれっ!これが休日。


目の前のテレビでは、落語が流れている。

なんか、やたら長い名前を繰り返してるやつ。


……あー、はいはい。寿限無ね。

ちゃんと聞けば面白いんだろうけど、今はもうBGM扱い。平和。どうでもいいのが最高。


そのとき。


――カチャ。

玄関の鍵が回る。


……たかちゃんだ。


さっきまで沈んでいた体が、すっと起きる。


この時間に帰ってくる足音のリズムは、もう体が覚えてる。


――ガチャ。


「ただいま」


「たかちゃん、おかえりー」


テレビを見たまま返事をして、またコーラを含む。

足音が近づき、隣にどさっと腰が下りた。


「……またコーラとポテチか。体に悪いぞ」


隣から、いつもの理屈。


(うるさ……)


むっとして横を見ると――


目の前に、細いフレーム。


……ふぇ?


レンズ越しに目が合う。


「――ぶぅッ!!」


炭酸が一直線に弾け、レンズにびしゃあっと直撃。


「ごほっ、げほっ……!」


盛大にむせる私の前で、たかちゃんは静かにメガネを外す。


「……ご、ごめんね。わざとじゃないから」


ソファ前のティッシュを一枚引き抜いて差し出す。

たかちゃんは無言でそれを受け取り、レンズを拭った。


「……想定外の挙動だな」


「た、たかちゃん……」


「なんだ」


「……たかちゃんが、メガネ属性になってるー!!」


たかちゃんの顔をびしっと指さし、推しの限定SSRを自引きした瞬間みたいな声が出た。


「メガネは装備だ。属性ではない」


「いやいやいやいや!!

なんで普通に座ってんの!? いつ!? どこで!? 何があった!?」


「特に事件性はない」


「どうして……お姉ちゃんに相談してくれなかったのよ……」


わざとらしく泣き真似してみせる。

我ながら迫真の演技。


「報告義務はなかった」


たかちゃんは拭き終えたメガネをかけ直す。

細めのスクエアフレームが光を拾い、視線がまっすぐ通る。


……やば。

ちょっと、やばい。


「……似合ってる」


思わず、ぽつり。


「そうか」


反応、薄っ。


「いやもっと何かあるでしょ!?

“ありがとう”とか“照れる”とか!」


「事実確認だろ」


「確認じゃなくて、感想でしょ!!」


私は、まじまじと顔を覗き込む。

前より視線が強い。輪郭が締まって見える。

なんか……大人っぽくなってる。


「いつ買ったの?」


「今日」


「今日!?」


「必要だったからな」


「必要だったからって……急にイメチェンしすぎなんだよ!」


「そのつもりはない」


「こっちは心の準備がいるの!!」


レンズ越しの視線が、わずかに揺れる。


「そんなに変か」


「変じゃない!!

変じゃないけど……その……」


言葉が詰まる。


「……ちょっとズルい」


「何がだ」


「なんか急に、賢そう」


「“急に”は余計だ」


「前も賢いけど!

でも今はなんかこう……強化版って感じ!」


たかちゃんの目が、わずかに細まった。


「視界は確実に強化された」


その一言で火がついた。

私は身を乗り出して、にやっと笑う。


「あーあ、これで学校ではお姉ちゃんと同じカテゴリー入りだねっ」


「お前のは伊達メガネだろ」


「そこは合わせてくれてもいいじゃん!」


たかちゃんは無言でフレームを指先で押し上げた。

レンズ越しの視線が、いつもより少しだけ鋭い。


――その視線を受け止めたまま、私はさらっと続ける。


「じゃあ明日、ルナちゃんと共闘だね」


「問題ない。既に対策済みだ」


即答。


「よし。メガネたかちゃん、初陣だね」


「戦場は自室だがな」


「それでもデビュー戦でしょ」


「大げさだ」


レンズが光を弾いてキラリと跳ねる。

その奥の視線には――

ほんのわずかな余裕がにじんでいた。


……これなら、安心かな。


* * *


【5月3日(日)夜/Lunaria】


部屋の明かりはいらない。

モニターの光だけで十分。


カーテンは閉め切り。昼の名残なんて、もう関係ない。

ここは夜側の世界――あたしの時間だ。


ヘッドセットをかけると、指先は自然にキーボードへ落ちた。


……違和感。


Enterの戻りが、わずかに鈍い。

Shiftが浅い。

押したはずのキーが、時々抜ける。


昨日から気づいていたけど、

今、その違和感が形となった。


打鍵が噛み合わない。


「……最悪」


今夜のログイン、見送るか?


……いや、撤退条件には満たない。

今日の共闘は検証だ。

本番は明日。


とはいえ、このままじゃ明日のイベント戦はきつい。

ネット注文は間に合わない。


なら――実店舗。朝一で押さえる。

行き先は、もう決まっている。


……そういえば。


明日から、あそこで――

クラフィ精霊獣チェーンマスコットが発売開始だ。


クランフィールド公式、ゲーム内精霊獣のアクリルグッズ化。

ブラインド封入、全六種+シークレット一種。内容は非公開。


……排出率は読めない。あれは、期待値から除外。


あたしが狙うのは――

闇の“もふラビ”一点のみ。


白を基調とした、もふもふの月光精霊獣。

青く澄んだ瞳。先へすっと伸びる、少し長めの耳。

内側に滲む淡い星屑色。背中には、小さな三日月紋。


それが透明縁つきの小型アクリルチャームで、裏面まで抜かりない両面仕様。

本体中央を軽く押すと――きゅっ、と鳴く。


それだけでいい。


一人二個制限、六分の一。

……いや、二回引ける。闇一点狙いの実質三分の一。


いける。


理屈は通る。たぶん通る、きっと通る。


……でも二個で足りる保証、どこにある?


箱の並びに偏りがあったら?

初期ロットが別属性寄りだったら?

棚の奥に闇が眠っていたら?


三個? ……無理や。制限あるけん。


朝イチで開店前に並ぶ。動線もレジ位置も把握済み。

あたしが二個確保して、時間差でもう一回並ぶ?

店員に覚えられる? でもそんなの関係ある?


“もふラビ”。


丸くて、白くて、押せば鳴く、あの一音。


……いかんて。

想像しただけで、心拍上がっとる。


一点狙いの抽選。

これは買い物じゃない。確定演出の回収。


――絶対、行く。



CLANFIELD――ログイン完了。


IYAKISHI《癒し騎士団》:オンライン。


たかちゃん:接続済み

C0c0r0n:接続済み


あまちゃんとカンダはオフ。

VCが、静かに繋がる。


「ルナちゃん、聞こえる〜?」


ヘッドセット越しに、こころんの少しだけ過保護な姉モードの声が落ちてくる。


「……聞こえているわ」


少しだけ呼吸を整えてから返す。

声は平常。問題なし。


「さ、共闘いくよ〜。たかちゃん、視界強化完了!」


キーの上に置いた指先が、わずかに止まる。


「……視界強化?」


「昨日からメガネなの。似合ってるよ〜?」


メガネ。

画面の向こうの彼の顔を、思い出そうとする。

うまく像が結ばない。


「必要だった。それだけだ」


たかちゃんの声は、いつも通り平坦。

それでも、どこか芯が通っている。


「それに――本番前に慣れておく必要がある。

 月末のオフ大会もあるしな」


月末。

画面越しじゃない距離。

喉の奥が、わずかに熱を持つ。


「そういえば――たかちゃん。明日、常盤町のPCショップでクラフィ限定グッズ販売だよ〜?」


「精霊獣チェーンマスコット、初日解禁だって」


――その単語。

指先が、ぴたりと止まる。


精霊獣チェーンマスコット、初日解禁。


それは知ってる。

問題は、そこじゃない。


常盤町?

……なんで今、その地名が出るんよ。


「知っている。明日行く予定だ。

 科学部備品の下見も兼ねてな」


――行く?


鼓動が、一拍遅れる。

そこ、あたしの動線なんやけど。


「……いま常盤町、って言ったん?」


――しまった。


Lunariaの声で返した、はずだった。

なのに思考より先に口が動いている。

語尾が、素のまま。


「……ちょっと待って。ルナちゃん、もしかして近いの?」


こころんの声が、思ったより弾む。


一瞬、息が詰まる。


あの二人が常盤町に来る。

“もふラビ”を同じ空間で引く可能性。


その二つが、頭の中で同時に爆発する。


……処理が追いつかない。


「……別に。どうでもいいわ」


嘘。

どうでもよくない。

地元バレも、クラフィ限定も。


けれど――

強制的に、切り替える。


「……ほら。始めるわよ」


――戦闘開始。


敵の詠唱に合わせて、深淵の詩を重ねる。

指はいつもの軌道をなぞり、完璧なタイミングで発動する――はずだった。


反応が、遅い。


ログに表示されない。

押したはずのキーが、沈黙する。


……もう一度。


今度は反応した。

指先が、わずかに遅れる。


その半拍で、敵の範囲攻撃が展開する。

いつもなら回避可能な角度。

それでも――あたしのHPが削られていく。


……ありえない。


HP低下のアラートが、鋭く鳴った。


「ルナちゃん、被弾してるよ〜!」


こころんの声が跳ねる。


「これは操作ミスじゃない」


それでも、あたしの声は平坦だ。

呼吸も乱れない。


「チャタリングかな?」


「キーが死にかけてる。EnterとShiftの反応が鈍い」


一瞬の沈黙。


「それは危ないな」


たかちゃんの低い声が、間を置かずに続く。


「高難度でそれは事故る。入力遅延は致命的だ」


「わかっているわ。対処する」


遅延を見越し、被弾覚悟で前へ。

最後の詠唱を――強引にねじ込む。


――撃破。


勝利ログが表示される。


けれど、指先の感触が信用できない。

半拍のズレは、いつか致命傷になる。

戦場でも、現実でも。


ヘッドセット越しに、わずかな沈黙。


「明日の夜、イベント戦だよね」


こころんが現実を持ち出す。

限定ボス解放。高難度。失敗は許されない。


「この状態で本番は、ちょっと怖いかな。

 ……買い替え、考えたほうがいいんじゃない?」


分かっている。だから言われたくない。


「ネット注文は不確定だ。

 明日の夜に間に合う保証はない」


たかちゃんの声は、淡々としている。


「じゃあ実店舗かなぁ。

 あ、そういえばさ――ルナちゃん、常盤町って近かったりするの?」


こころんの声が、少しだけ弾んだ。


喉の奥までこみ上げた肯定を、無理やり飲み込む。


……落ち着け、あたし。

声だけは、崩すな。


「……行こうと思えば、行ける距離よ」


一瞬の沈黙。


「だったらさ、私たち明日の朝に行く予定だし……一緒にどうかな?」


……。


キーの上の指先が、かすかに震えた。


「……どうせならさ」


こころんの声から、いつもの軽さが抜ける。


「キーボードだけじゃなくて――もふラビ、回収しに行こ?」


「ルナちゃん、あれ逃す気ないでしょ?」


――ずるい。

その一言で、空気の温度が変わった。


「……もちろん、逃すつもりはないわ」


「機材の確認が目的。ついでに——在庫状況を把握するのも、合理的でしょう?」


Lunariaの声は、冷静に整えられている。


「……どうせ行くなら、効率は上げた方がいいわよね」


VCの向こうで、軽い笑い声が漏れた。


「もふラビも効率ってことにしちゃうんだ?」


「限定品は回収が基本よ」


冷静。完璧に整えた――はずだった。


「じゃあさ、一緒に回収しに行こっか」


ほんのわずかに、間を置いて。


「……迷惑でなければ」


ヘッドセット越しに、こころんが笑う。


「迷惑なわけないでしょ。

ルナちゃんとなら早起きも悪くないし。九時半で、どうかな?」


「……問題ないわ。時間は合わせる」


明日は、画面越しじゃない距離になる。


「……まあ、機材優先よね」


声は、きれいに整っていた。

VC越しのLunariaは、いつも通り冷静で、余裕がある。判断も速い。


――そのくせ、頭の隅では白い耳がふわりと揺れている。


「九時半で問題ない。備品確認も兼ねている」


えっ、嘘やろ――たかちゃんも来るん?


「じゃあ明日、九時半。常盤町のPCショップ前で待ち合わせね」


こころんの一言で、決まった。

――決まってしまった。


通話は続いているのに、あたしの時間だけが半拍ずれている。


頷くふりをしながら、指先でキーボードの角をなぞる。

欠けかけたキーのざらつきが、妙に生々しい。


明日の九時半。常盤町のPCショップ前。

開店前の静けさの中で、モニター越しじゃない距離に立つ。

その現実を思うだけで、喉の奥がひりつく。


たかちゃんの“メガネ”の実物。

こころんの、あの姉モードじゃない顔。


(ちょ、ちょっと待って)


イベント戦は明日の夜。

機材は必要。それは分かってる。


分かってるのに。


でも。

胸の奥が、妙に騒がしい。


もふラビ……限定品だ。

あの店なら、整理券が出るかもしれない。

朝から並ぶ人もいる。


……え、なに着ていくん?


思考が、急に現実へ引き戻される。


制服じゃない。休日。

私服。朝の光。開店前の列。


たかちゃんは、どんな服なんだろう。

こころんは、きっと余裕の顔で来る。


(いやいやいや、落ち着け)


画面にはキャラクターが立っている。

深淵の魔法使い、Lunaria。


冷静で、強くて、迷いがない。


なのに。

ヘッドセット越しに冷静を装いながら、心拍だけが速い。


「……じゃ、また明日」

たかちゃんの声が、静かに落ちる。


「遅れるなよ」


(なんでそんな普通に言えるんよ)


通話が切れたあと、部屋が急に静かになる。

モニターの光だけが、淡く揺れている。


あたしは椅子に沈み込んで、両手で顔を覆った。


「……うそでしょ」


笑いそうになる。


怖い。

でも、ちょっと楽しみ。

いや、ちょっとじゃない。かなり。


壊れかけのキーボードを見下ろす。


「……あんたのせいだからね」


文句を言いながら、ふと視線がモニターの黒い縁に映った。


――自分の顔。


銀髪、少し跳ねてる。……いや、少しじゃない。

毛先が一方向にまとまらず、外へ逃げている。

統制不能。


前髪浮いてるやん。これで外に出るってマジ?


「……ちょっと待って」


椅子を引いて立ち上がる。机の横の姿見の前へ。

真正面に映る、あたし。


「こ、これで行くの?」


寝ぐせに近いボリューム。

光に当たれば、確実に広がる。


明日の九時半。開店前のシャッター前で待ち合わせ。

朝の太陽の下で、あの二人と顔を合わせる。


(イベント戦より難易度高くない?)


美容院は今さら予約できない。

ツインテの位置を下げて、帽子を被れば……たぶん誤魔化せる。


鏡の前の自分が、やけに頼りない。


(どうするんよ……これ)


ドライヤー?アイロン?ワックス?持ってたっけ。

鼓動が、さらに一段跳ねる。

キーボードが壊れてるだけのはずなのに、なんで髪型まで戦闘準備に入ってくるの?


「落ち着け……」


鏡の中の自分に、Lunariaの声で言い聞かせる。


「合理的判断。機材優先。目的はキーボード」


でも。

限定グッズもあるし。

たかちゃんの“視界強化”も確認したいし。

こころんの素の顔も、ちょっと気になる。

画面越しじゃない距離。

……なんだか、頬が少し熱い。


「こんなん、無理やけん……」


でも行く。だって行きたい。

たかちゃんにも、こころんにも会ってみたいもん。


その事実に気づいた瞬間、胸がきゅんと鳴った。


鏡の前で、前髪をつまむ。


「……な、なんとかするしかないわね」


ドライヤーを引っ張り出す。

引き出しを漁る。

どこかにヘアアイロンがあったはず。


――絶対、負けない。


イベント戦にも。明日の朝にも。

……このぼさ髪にも。


嬉しさと緊張が、胸を叩く。


画面の中のLunariaは、冷静で完璧。


だけど今、ドライヤーを握りしめているのは、

どうしようもなく期待している“あたし”だった。

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