表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

4/32

第4話『これが――最適解だ』

(判断するまでもない。対象外だ)


そう結論づけた俺に、生徒会長は一度だけ視線を向けると、微かに笑って化学室を出ていった。


扉が閉まり、部屋には俺と犬神だけが残された。

一瞬だけ静寂が戻ったが――


「ふぅ〜〜〜……なんか、緊張しちゃったぁ〜」


棚の前で伸びをした犬神が、俺の方を見て笑う。


「でも、越智くんがいてくれて、なんか助かっちゃった。ありがとねっ!」


礼を言われるようなことをした覚えはなかった。

俺は「……別に」とだけ返す。


「じゃあ、帰ろっか!」

犬神がそう言って、先に出口へと歩き出した。



そのまま教室棟を出て、正門のほうへ向かう途中、犬神がぽつりとつぶやいた。


「ねえ……帰り道、ちょっと寄りたい場所あるんだけど……一緒に行ってもいい?」


「……どこだ」


「犬神神社って知ってる? 

このへんにある小さな神社なんだけど――」


犬神は少し息を弾ませながら続けた。


「前にイベントでお参りしたことがあってね。

今日も、なんか行きたくなっちゃって」


「お参り?」


「うんっ! ほら、高校生活、これからうまくいきますようにって……なんか、げんかつぎ? みたいなやつ〜っ!」


そう言って笑う彼女の顔には、さっき科学部の棚を覗いていたときの無邪気さとは違う、ほんの少しの“緊張”と“期待”が混じっているように見えた。


――そういう感情の読み取りは、本来、俺の得意分野ではないはずなのに。


「……構わない。時間はある」


「ほんと!? やった〜っ!」


自分でも、なぜ即答したのか分からなかった。

そんな柔軟さは、俺のプログラムにはなかったはずだ。


隣で跳ねるように弾む声。

その足音が、いつの間にか“俺の日常”のすぐ隣まで踏み込んでいる気がした。



神社は思っていたよりも小規模だった。

けれど、境内の空気は妙に澄んでいる。

苔むした石段、風に揺れる白いのぼり。

静かで、やさしくて――どこか“守られている”ような気がした。


……俺がこんなふうに、場所の印象を言語化するなんて、珍しい。


「ここが、犬神神社っ!」


そう言って、犬神は先に鳥居をくぐっていった。

軽い足取りで、どこか懐かしそうに境内へ進んでいく。


「わたし、先に行ってくるね〜っ!」


犬神は軽い足取りで鳥居をくぐり、手水舎の方へ駆けていった。

その姿を見ながら、俺は石段の途中で立ち止まった。


(……やけに慣れてるな)


普段から通っている場所――いや、それ以上に、“心を置いている”場所のように思えた。


犬神は拝殿の前に進み、こちらを振り向く。


「越智くん、こっちこっち〜っ!」


呼びかけたその瞬間――彼女の表情がふっと変わった。

拝殿の脇に目を向け、何かを思い出したように動きを止める。

そして、犬神はそのまま建物の裏手へと回っていった。


「……裏?」


参拝の途中で方向を変えた。

裏手に誰かいるのか――あるいは、何かを取りに行ったのか。

そんな動機を考える間もなく、犬神の姿は拝殿の陰に消えた。


境内には他に誰の気配もない。だが――空気が、わずかに変化した。


(……風が、途絶えた?)


鳥の鳴き声も、葉の揺れる音も消えた。

環境音が一瞬で途切れる。

まるで、音そのものが遮断されたようだった。


そして――


「っ……な、に……?」


犬神の声。

どこか緊張した、それでいて怯えの混じったトーン。


(……嫌な予感がする)


思考より先に、身体が動いていた。

俺は石段を駆け上がる。

靴底が石を叩くたび、空気が震えた。


拝殿の裏手に回り込んだ瞬間――息が詰まる。


そこにいたのは――犬神と見知らぬ中年の男だった。

四十代後半か五十前後。痩せた体に焦点の定まらない目。

その手には鈍く光る金属――包丁が握られていた。


「誰にも言うな。誰にも……っ」


「……え、あの、違……っ」


「ッらあっ!!」


バシッ!――ッ


「きゃんっ!!」


その声と同時に、犬神の身体が崩れるように倒れた。

膝から、肩から、地面へ――そのまま、動かない。


(……まずい。倒れ方が……普通じゃない)


空気の震え。地面を打つ音。肌を刺す緊張――体が反射的に危険を察知していた。


包丁を構えた男が一歩踏み込む――

その瞬間、俺の身体は迷うことなく犬神の前に出ていた。


「やめろ……!」


喉の奥で、押しつぶされたような声が震えた。

言葉じゃない。恐怖でも、正義感でもない。

ただ、*“もう見たくない”*という、叫びに近い衝動。


……俺は、かつて“引いた”ことがある。

理由をつけて――責任からも、人との距離からも。

自分を守ることで、誰かを守れなかった過去がある。


でも、今は違う。


俺がここにいる理由を、この手で証明する。

もう、“守れなかった”なんて――言わせない。


胸の奥で、何かが音を立てて弾けた、その瞬間。

――境内を裂くように、まばゆい閃光が降り注いだ。


「っ――!」


俺は咄嗟に、崩れ落ちた犬神の前へ身を投げ出す。

理由を探す余裕なんてない。思考より先に体が動いていた。


光は祝福のようにあたたかく、守護のように凛としていた。けれど同時に、何かを削り取っていく気配がある。


視界を覆う閃光。

網膜を焼くような白が、一瞬で世界を奪った。

情報処理が追いつかない。

視界の端に、ノイズのような黒が走る。


胸の奥をひとすじの風が抜けた――いや、“風のような何か”が背後を通り抜けた。


鳥居の方へ向かうその気配に、世界が一瞬凍りつく。

静寂が満ち、“その声”を待った。


――『我が加護のもとにある』


声が響いた。耳じゃない。

胸の奥、心の中心に直接届いた。

低く、静かで凛としていて――けれどその奥に、どこか切なさを秘めたような深い響き。


(……誰だ)


見回しても誰もいない。だが、“存在”だけが、確かにそこにあった。


次の瞬間――視界に、数値が浮かぶ。


【自身の心拍数:97】

【呼吸数:15】

【体温:36.6℃】


【対象:男性/心拍数:143/動揺強/逃走傾向:高】


(……なんだ、これは? 俺のデータ? 違う――俺と相手の情報が同時に出ている……)


脳内に直接“表示”されているかのような鮮明さで、自分と他人の“状態”が瞬時に流れ込んできた。


「ぐっ……目が……!」


包丁を握った男が、光に目をやられたように顔をしかめ、よろめく。

震える足でなんとか立ち上がり、後ずさるように退路を探している。


(……逃げる気だ)


この場から。すべてから。そして――犬神を傷つけたことからも。

俺の手が、無意識に動いた。

落ちていたロープ。境内の地面に散らばった木の枝と破れた垂れ幕の支柱。

まるで誰かが、「これを使え」と言わんばかりに散らばせていたかのようだった。


(……これは偶然じゃない。まさか……)


全ての“構造”が、目に入った瞬間に組み立て順として“完成図”になる。


[環境構築ログ:#0025_地形利用_封鎖ルート]

─ 対象位置:北寄り/退路=鳥居方向

─ 可動オブジェクト:枝(細2)・支柱(折損)・ロープ(長さ:約2.4m)

─ 空間干渉率:73.8%/回避動作予測精度:92.1%

─ 最適反応パターン:【干渉→転倒→静止】


足場の位置、動線、腕の軌道、重心の崩し方――全情報がリアルタイムで演算され、“視界の中で”解として自動描画される。


(……この処理速度、俺の範疇を超えてる――だが、利用しない手はない)


男が動いた――その瞬間。

俺は正面から一歩踏み出し、男の視線を捉えたまま、足元の枝を“蹴ってずらす”。

枝が転がり、支柱が倒れる。狙いどおり、男の進行方向を塞ぐように。

ロープを握ったまま構えた俺を見て、男が一瞬、視線を切る。

次の瞬間、踏み込んだ足が支柱に絡まり、重心が崩れた。


(――決まった)


[転倒トリガー反応確認:成功]


男は、無様に地面に崩れ落ちた。

カラン――転げた包丁が、男の手元に止まった。

俺はすぐに蹴り飛ばした。

カシャン――刃は玉砂利を滑り、境内の外側へと転がっていった。


「……お前を、逃がすつもりはない」


ロープで手足を固定。動かないことを視認し、[状態ログ:被転倒→無力化]の生体ログを確認。


【最適解、確定】


もう、ここに留まる理由はない。

俺は、犬神のもとへと向かった。



静寂。

風が止まり、時間までも凍りついたようだった。


俺は静かに犬神のもとへ歩み寄り、その身体をそっと抱き起こす。


その瞬間――止まっていた風が戻る。

枝葉が揺れ、遅れて、カラン……と鈴の音が響いた。


世界が、呼吸を取り戻したようだった。


「犬神……大丈夫か」


その問いに、返事はない。けれど、瞼がふるりと震えた。


「……ん……うぅ……」


わずかに開いた瞳が、ぼんやりと俺を映す。


「……越智……くん……?」


「ああ。ここにいる」


少し掠れた声で、だけど確かに届くように。

彼女が無事であること――それを確認した瞬間、乱れていた心拍リズムがゆっくりと安定値へと収束していった。


(……これが、“守る”ってことか)


数値じゃない。グラフでもない。

この感覚だけは、Excelログには残せない。

――俺だけの、“答え”だ。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ