表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

16/34

第16話 『放課後Sweet Café Time』前編

【4月14日(火)16:30/Aroma Café ササクラ前・越智おち 隆之たかゆき


「この先だよ。もうすぐ見えるの〜♪」


笹倉の弾む声に導かれて、俺たちは商店街の細道を歩いていた。


先頭をゆくのは笹倉。そのすぐ後ろに、周囲をきょろきょろと見渡す河田。

少し離れて神田がいて、俺は最後尾からついていく。


やがて、白い外壁と緑の窓枠が視界に現れた。

木目調の白壁に、アンティークグリーンの窓。

つたがやさしく絡むレンガのアーチが、店の入口をふんわりと包み込んでいる。


……ディテールの多い外装設計だ。意匠と導線の調和に、どこか職人のこだわりを感じる。

通りがかるたびに、つい目を引かれていたのも頷ける。

だが、足を踏み入れるのはこれが初めてだ。


手描きの黒板には日替わりスイーツと香りの紹介が丸文字で添えられている。

その隣には、ラベンダー柄のパラソルと木のテーブルが並んでいた。

足元に並ぶ鉢植えからは、仄かに甘い香りが漂ってくる。


ふと視線の端で――河田が立ち止まり、瞳に小さな驚きの色が宿った。


「わあ……すごい……おしゃれ……」


息を呑んだその声には、憧れとわずかな緊張が混じる。

神田は無言でラベンダーの鉢をひと目見て、淡く鼻を鳴らした。


……これは、ただのカフェじゃない。

外観そのものが“香りの導線”として設計されている。

空間デザインの妙、ってやつかもしれない。


「それじゃあ、入ろっか。今日は特別に、試作のクッキーあるんだ〜♪」


嬉しそうに振り返る笹倉の笑顔に促されて、俺たちは扉へと歩を進めた――。


* * *


カラン。


真鍮のベルが短く鳴り、扉がゆっくりと開いた。

そのまま一歩、店内へ踏み込む。

ナチュラルウッドの質感が、掌にやわらかく残る。


空気の層が変わっていく。

ふわりと、甘やかな香りが肌を撫でてきた。

ラベンダー、紅茶、バニラ――

穏やかで奥行きのある香気が、静かに鼻腔をくすぐる。


「いらっしゃいませっ♪」


その声に目を向けると、小柄な少女がカウンターの奥から現れた。

制服風のエプロンを身にまとい、静かに頭を下げる。

明るいブロンドの髪は、左右に分けて耳のあたりで結んだ、リボン付きのサイドポニー。

見た感じ、小学高学年くらいか。


けれど、その仕草は妙に整っていて――

年齢不相応な“完成度”があった。


「わっ……」


隣の河田が、小さく目を見張る。


「えへへ、うちの妹なんだ〜♪ 一香いちかっていうの。まだ小学五年生だけど、ピアノも上手で、お菓子作りも得意なんだよ〜っ」


笹倉が満面の笑みで胸を張る。

その誇らしげな様子は、まるで自分が褒められたかのようだった。


……なるほど。よく見れば、確かに似てる。

目元の印象や、言葉の弾み方なんか特に。


その隣で、くだんの少女がエプロンの裾を強く握りしめ、慌てた様子で声を上げた。


「ちょ、ちょっと〜っ、お姉ちゃんっ……! いきなり紹介しないでよぉ〜……!」


こちらに視線を向けた瞬間、表情がこわばる。


「えっ……!? なにそれ、しかもイケメン2人も来てるしっ……!!」


小さな肩をビクッと震わせ、顔を真っ赤に染めたかと思うと、後ずさるように一歩下がった。


「うそでしょ……今日に限って……ちょっとは教えてってば……っ」


動揺しながらも、照れ隠しのように前髪を手で整えたり、なんとか取り繕おうとしているのが分かる。


耳まで赤く染まって頬を膨らませたり、目をそらしたり――その一つ一つの仕草が、“ちょっと大人ぶりたいお年頃”の戸惑いを、これ以上なく分かりやすく物語っていた。


そんな中、神田は変わらず無表情のまま、いつの間にか店内の焼き菓子棚に目を向けていた。

どうやら“試食はあるのか”という点が、今の関心ごとらしい。


……その微笑ましいやりとりに、自然と頬が緩んだ――そのとき。


「ニャア〜〜〜ン」


不意に、柔らかな鳴き声が耳に届いた。

視線を落とすと、店内の奥――“猫専用ブース”と書かれた木製パーテーションの小さな扉が、わずかに開いている。


そこから、短毛の毛並みに淡いオレンジの縞模様をまとった茶トラ猫が、静かに姿を現した。

すっきりとした体つきのその猫は、まっすぐこちらに歩み寄り――やがて足元に辿りつくと、すっ…と俺の靴に身体を擦りつけた。


「おっ、来た来た〜っ! うちのカフェの“看板猫”、トラちゃんだよ〜♪ メスの茶トラでね、ちょっぴり気まぐれだけど、人懐っこくてかわいいんだ〜っ!」


タイミングを読んだかのように、笹倉が声を弾ませて続ける。


「今日は猫エリアの自由時間なの〜♪ でもラベンダーのとこには行かないように、ちゃんと柵してあるよ〜」


猫は一声だけ短く鳴いた。


「ニャッ」


……なぜか妙に“自信”のある鳴き声だった。


「トラってば、気まぐれだけど……お気に入りの人には、ちゃんと“挨拶”するんだよね〜っ」


そう言って、笹倉がにっこり笑う。

その横で、トラは『ふんっ』と鼻を鳴らすように、ゆるりとカウンターの方へと歩き出した。

視線を横にそらしながら、悠然と歩いていくその背中には――妙な“貫禄”が滲んでいた。


――その時だった。

俺の脳内で、不意にログが走る。


《猫語翻訳ログ:越智システム起動完了。》

「ニャア〜〜〜ン(中音)=『はいはい、いつもの顔ね。どうせ撫でるだけ撫でて、手ぶらで帰るくせに。』」

「ニャッ(尻上がり)=『で? おやつは? なによ、ないの? 使えないわね、にんげん。』」

→ 翻訳結果:機嫌=ツン期/現在の優先度:おやつ > 昼寝 > 客人 > 梓。


視線を落とすと、トラは当然のようにカウンターへと戻りつつ、まるでこの空間を支配するかのような足取りで、悠々と歩いていた。

尻尾は高く掲げられ、歩幅はゆったりと。

その背中は、まぎれもなく“店の頂点に立つ女王の貫禄”に満ちていた。


「……えっと、歓迎というより、査定されてたな……完全に」


「え? なにか言った〜?」


「いや、なんでもない」


(……まさか、動物の鳴き声まで翻訳できるようになるとはな)


新機能の発動に、内心ではちょっと驚いていた。

けど、それを口にするのは――なんとなく、やめておいた。


店の奥、白い木枠の窓から陽が差し込むテーブル席へと案内される。

柔らかな光が室内の彩度と陰影を際立たせ、まるで撮影スタジオのような整った空間が広がっていた。

俺は窓側の椅子に腰を下ろすと、肩の力がふっと抜けていく。


(……数値化できない安堵が、静かに満ちてくる)


わずかに漂う甘い香り。

手に伝わる、磨かれた木のぬくもり。

視覚・嗅覚・触覚――そのすべてが、静かに心をほどいてくる。

きっと、設計された“癒し”なのだろう。けれどそれは、あざとさを感じさせない絶妙なバランスだった。


「……ここ、落ち着くね」


隣の河田がぽつりとつぶやく。

その声にも、少しだけ肩の力が抜けていた。


カウンターの奥から、ひとりの男性が歩いてくる。


白髪の混じった髪は、耳元が覗く程度の短さで、丁寧に後ろへ撫でつけられている。

シックなシャツに黒のエプロンを重ねたその姿は、無駄のない体躯とあいまって、まるで老舗の職人のような風格を漂わせていた。


鍛えられた身体つき。

なのに、この人から漂うのは――まるで、静かに香り立つ紅茶のような気配だった。


「梓の父、笹倉ささくら慎一しんいちです。ようこそお越しくださいました」


静かに響いた低音の声には、深い余韻があった。

筋肉と紅茶という、まさかの組み合わせに脳内が軽くバグる。


(……その腕でティーポット持つの、似合いすぎる)


そんな思いに浸っていたところで、笹倉がくるりと振り向き、カウンター奥へと声をかけた。


「ママ〜、こっち、うちの学校の後輩たちだよ〜っ♪」


奥からゆったりと姿を現したのは、

ナチュラル系のワンピースにエプロンを重ねた、落ち着いた雰囲気の女性だった。


肩にかかるハニーブロンドの髪は、やわらかくウェーブしながら揺れ、胸元ではドライフラワーのブローチがそっと揺れている。

その隣には、一香がぴたりと寄り添い、少し照れたように立っていた。


「梓の母、芽衣めいといいます。香りに関わる仕事をしていて……うちの子たちと仲良くしてくださって、ありがとうね」


そう言って、笹倉の母は一香の頭に、そっと手を添える。

一香はくすぐったそうに小さく笑った。


その空間全体が、ほのかに香るような静けさに包まれていた。

――香りを扱う人間ならではの、“気配の演出”だった。


俺たちも、それぞれ自然と立ち上がって、笹倉の家族に軽くお辞儀を返す。


「……越智隆之です。いつも笹倉先輩には、科学部でお世話になってます」


「神田優希です。……あ、よろしく」


「河田亜沙美です。すごく可愛いお店で……その、来られて嬉しいですっ」


三人三様の挨拶に、彼女は優しく目を細めて頷く。


「ふふ……ようこそいらっしゃいました。ごゆっくりなさってくださいね」


その穏やかな声に、俺たちは軽く会釈を返した。

落ち着いた話しぶりと、空気の纏い方――

笹倉とはまた違うタイプだが、どこか芯の部分に通じるものを感じた。


「じゃ、ボクちょっとだけ、着替えてくる〜っ♪」


そう言いながら、笹倉は椅子からすっと立ち上がると、テーブル前に立っていた父と母、それに一香の横を軽やかに通り過ぎていく。


制服のままスタッフ用の扉へ向かう途中、背中越しに声を投げた。


「ママー、ミルクティー甘めでお願いっ!」


「は〜い。準備しておくから、ゆっくりでいいわよ〜」


「ありがと〜♪」


笹倉の母の返事に、ぱっと返すその声は明るく、店内に心地よく響いた。

制服のスカートをふわりと揺らしながら、笹倉はそのまま扉の奥へと姿を消していく。


そのやり取りを横で見届けて、笹倉の父は「さて、私も厨房に戻るとしようか」とひと息つき、のれんをくぐっていった。


俺たちは椅子に腰を落ち着けたまま、

ふと、香り立つ紅茶とアンティーク調のインテリアに囲まれた穏やかな空気を吸い込んだ。


入れ替わるように、笹倉の母がテーブルに向き直る。

落ち着いた笑みを浮かべながら、こちらに声をかけた。


「お飲み物は何がよろしいかしら? コーヒー、紅茶、ハーブティーもおすすめですよ」


やさしく響くその声に、メニューを眺めていた河田が、小さく「うーん」と唸った。


「……あっ、えっと……」


普段より少し低めのトーン。

一香が小さく首を傾け、気になるように河田の様子を覗き込んでくる。


「……カフェイン強いのは、ちょっと苦手なんだけど……」


迷いをにじませながら、河田が顔を上げる。

そして、意を決したように口を開いた。


「……でも、せっかくだし。ブレンド、お願いしますっ!」


河田が選んだのは――まさかのブレンド。

つまり、コーヒーだ。

その意外性に反応するように、一香がぴたっと動きを止めた。


「……へぇ、コーヒー……なんだ」


驚いてるというより――何かを評価しているような目つきだった。


「……大人の女って感じ。そういうの、河田さん、似合うかも」


「えっ、う、うそ、そうかな……? ふふっ、ありがとっ♪」


ちょっと照れながらも、河田の顔にはどこか得意げな笑みが浮かんでいた。

……いや、“勝ち誇ってる”って言ったほうが近いか。


一香は腕を組み直して、今度はやや真面目な声で釘を刺すように言った。


「ま、でもカフェインって、体質で合わない人もいるから……」


「ん? ……あ、そうだった! わたし……」


不意に焦ったような目をして、ほんの一瞬だけ言葉に詰まる。

けれど、その空白を埋めるように、すぐ明るい声が響いた。


「――うんっ、きっと大丈夫。だよねっ」


(……今のは、なんだ?)


一瞬だけ覗いた“素”のようなもの。

それを覆い隠すように笑ってみせた――気のせいだろうか。


「ふふっ、ありがとう。一香ちゃん、詳しいんだね」


「……別に、普通だけど? そういうの、調べるの嫌いじゃないだけ」


ふたりのやりとりを見守っていた笹倉の母が、やさしく微笑んで言った。


「一香、いいアドバイスだったわね。ありがとう。

――おふたりも、何かお飲み物をお選びくださいね」


彼女が、静かに俺たちの方を見る。


「オレは……紅茶で」


神田が短く答えた。あいかわらず、迷いのないやつだ。


「俺は、アイスコーヒーで」


ごく普通に返したつもりだったが、ふと向かいの席で目が合った河田が、なぜかニコッと笑った。


……なんだ、あの笑顔。

“自分だけじゃない”って安心したのか、あるいは――ただの勢いの延長か。


いや、たぶん……後者だな。


笹倉の母は、やさしい笑みを浮かべながら、丁寧に告げた。


「では、ブレンドコーヒー、ストレートの紅茶、アイスコーヒーですね。

梓の分は、先ほど“ミルクティーを甘めに”とご希望がありましたので、そちらもご用意いたしますね。

それぞれに、カモミールのハーブクッキーを添えて、お持ちいたします」


彼女がそう告げると、一香と視線を交わし、ふたり並んでカウンターへと戻っていった。


その背を見送りながら――

ふいに、対面に座っていた神田の声が落ちる。


「……音が、いい」


ぽつりと、ただ、それだけ。


「音……? えっ、なにそれ。気になるかも」


首をかしげながら、河田がふっと微笑む。

神田は天井を一瞥いちべつし、わずかに息を整えるようにして言葉を紡いだ。


「静かすぎないし、うるさくもない。

……“耳が落ち着く”って、たぶん、こういうこと」


言葉を選ぶように、一拍置いて、さらに続く。


「……音の“数”じゃなくて、“溶け方”が大事。

車の走る音も、人の話し声も、この空間に――きれいになじんでる。

変な言い方だけど、“うるさくない騒音”って、ある」


「へぇ〜……なんか、それ、ちょっと好きかも♪」


河田の声は軽やかだったが、どこか納得したような響きも混ざっていた。

神田は早口になった自分に気づいたのか、そっと目を伏せ、テーブルの縁をなぞる。


「……ま、わからなくてもいい。……ちょっと、言ってみたくなっただけだ」


言葉の余韻を残すように、窓の外へ視線を移す。

神田はふっと小さく息を吐いた。


(……やっぱり、こいつの聴覚は普通じゃない)


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ