表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

10/33

第10話『私のこと、大好きって言った?』

――夜。越智隆之の部屋。


蛍光灯の明かりを落とし、デスクライトだけを点ける。

画面に浮かぶのは、無機質なログ表。


──感情ログ:202X/04/13(月)

・科学部:初日

・心拍数変化:詩織=+5、梓=+9、沙月=+2

・発言頻度:神田=4、俺=7

・行動メモ:入部届提出 → 受理確認済


(……会話の内容を数値で整理すれば、確かに“特異”だった。だが――)


マウスを握る指先が、一瞬だけ止まる。


(“あの場のノイズ”を、ただの記録で片付けることは……できなかった)


「……“青春とは違うジャンル”だと思ってくれていいわ」

神堂の声が、ふと脳裏をよぎる。


けれど、あの瞬間の俺は――

同じ空間で、似た熱量で反応しあえる存在に囲まれていた。

それだけで身体の負荷が、ほんの少しだけ軽くなった気がする。


Excelファイルを保存し、画面を閉じる。

そのとき――スマホがピッ、と通知音を鳴らした。


【クランチャット:CLANFIELD】


《C0c0r0n》

たかちゃ〜ん!入部おめでと〜!

科学部って……どんなとこだったの?笑


《たかちゃん》

……説明不能。記録できないレベル。

(※ファイル名:青春_カオス_白衣.xlsx)


《Lunaria》

ふふ、それは興味深いわね。

“論理では測れない何か”があった、ということでしょう?


《あまちゃん》

それ、ぜったい一回見てみたいヤツ〜。

今度こっそり忍び込もっかな?


《たかちゃん》

やめてくれ。

科学部には既に、“常時事故”みたいな先輩が存在してる。


《C0c0r0n》

っていうかさ!

今度の4人レイド、今週末に延期になったって〜!


《Lunaria》

問題ないわ。準備は整ってる。

むしろ、たかちゃん……あなた、感情の乱れには気をつけてね?


《たかちゃん》

感情は、制御下にある。

(※本日のピーク値:心拍+9)


《あまちゃん》

なにその“ピーク値”って!?笑


《C0c0r0n》

も〜〜っ!たかちゃんってば、すーぐデータで片付ける〜〜っ!

でも、そゆとこ……けっこー好きかもっ(←なでなでスタンプ)


《Lunaria》

さて、そろそろ落ちるわ。

……では、またね。ロジカルリンク。


《あまちゃん》

おつ〜!またロビーでね〜♪


《C0c0r0n》

たかちゃんも、ゆっくり休んでね♪


《たかちゃん》

ログ保存完了。離脱。



スマホの画面を伏せて、ベッドに横になる。

天井を見上げ、ひと呼吸。

思い出すのは、チャットの最後――

いつもより、少しだけ柔らかかった“あの一文”。


「ロジカルリンク」――あの言葉をLunariaルーナが最初に口にしたのは、初めてVCボイスチャットで連携したあの夜だった。

俺に向かって、当たり前のように。何度も、何気なく。


──たぶん、あれはただの知的ごっこじゃない。

あいつ……“俺を選んだ”ってことか。


画面越しの記憶が、ふと鮮明に甦る。


――あのバトル。

魔導士同士、1対1のPvP決勝。

支援と封殺の読み合い。

ミリ秒単位で繰り出されるバフとカウンター。

こちらが配置したデバフ・フィールドを、詩のような呪文で上書きされた瞬間――


たった0.4秒、反応が遅れた。

それだけで落とされた。


『次は、ちゃんと避けてね?』


……あの一言だけは、ヘッドホン越しの記憶ごと、“ログから削除”することができなかった。


(数値にはできなくても。

確かにあれは、“心に刻まれるデータ”だった)


静かな部屋、ベッドに沈んだまま、

ログにも残らない何かが、胸の奥で揺れていた。


(……余計なバグは、今はスリープでいい)


まぶたを閉じて、呼吸をひとつ。

次に目を開けるときは、きっと――

また、記録すべき一日が始まっている。


* * *


夜の静寂に包まれた一室。

ディスプレイに映るログはすでに暗転し、静かな余熱だけが画面に滲んでいた。

銀髪の少女が椅子にもたれ、ゆっくりとヘッドホンを外す。


Lunariaルーナ」―― クラフィの世界で、詩的な呪文を操る攻撃特化型の魔導士。その名は、幾度もの戦場を制した名でもある。


けれど今、その横顔にはチャットで見せるような冷淡さも、毒のある皮肉も浮かんでいなかった。

風呂上りの髪は、まだ少し湿っていて――タオルに軽く巻かれた頭から、銀の髪がすべるように覗いている。

一本が頬にかかると、彼女は指先でそれを耳にかけた。癖のような自然な仕草。無防備で、どこか儚い。

まるで、欠けた月が夜に漂うような――不完全で、美しい静けさを纏っていた。


着ているのは、白のビッグTシャツと、淡いグレーのスウェットパンツ。細い肩には少し大きすぎて、袖口がくしゅりとたるんでいた。

画面越しのLunariaからは想像もできないほど、ラフで静かな服装だ。


ふと、視線が逸れた先にある机の隅には、小さな白い犬のぬいぐるみがぽつんと座っていた。

誰にも見せたことのない“素の夜”を、静かなやさしさを宿して――そっと、見守るように。


彼女は、そっと手を伸ばし、それを抱き上げる。

そして静かに、ため息をひとつ。

胸に、ぎゅっと引き寄せた。


「……“ロジカルリンク”、ね」

ぼそりと、自分でも気づかぬような声でつぶやいた。


あたしが――“選んだ”、とか。

はは、なにそれ。ほんと、バカみたい。


思考の隙間に、ふと声がよみがえる。

ボイチャ(VC)越しの、静かで落ち着いたトーン。


たかちゃんかぁ……どんな人なんだろ。

声は、まあ……カッコよかったけど。


「……って、うわ、あたし何言ってんの。まじ寒いんだけど」


ぽすっ、とぬいぐるみに頬をあずける。

ぬくもりの代わりに伝わってくるのは、やわらかな手触りと、ちょっと甘めの柔軟剤の香り。


「……なにやってんの、あたし……」


誰に見られるわけでもない、閉じた世界。

けれどその夜、彼女の胸の奥には、小さな“熱”が確かに灯っていた。


* * *


【4月14日(火)午前10:20 日向高校 1A教室/河田かわだ亜沙美あさみ


中休み。

チャイムが鳴って、何人かの生徒が静かに席を立ち、教室をあとにする。

ノートを閉じ、私は静かに立ち上がった。

教室の空気が、さっきから――ほんのわずかに重たい。


(……トイレだけ行って、すぐ戻ろう)


教室の後ろを、そっと通り抜ける。

目線は上げないまま、張りつめたような静けさのなかを歩く。

やがて、ひと気のない廊下を進み、女子トイレの入り口へ――。


(別に、大丈夫……)


洗面台の前に立ち、鏡に映った自分をそっと見る。

昨日より、目元が少し赤い。

無理に笑うのは、今は違う気がして……そっと、目を伏せた。


そのとき――


「ねぇ、河田さん」


背後からかけられた声。聞き覚えのある、柔らかすぎる声色。


(……やっぱり)


鏡越しに、二人の女子が立っていた。同じ学年だけど、わたしとは別クラス。

中学時代に関わりのあった――“あの子たち”。


「朝さ〜、犬神さんと話してたよね? ……けっこう楽しそうだったし」

「へぇ〜……なんか、ちょっと意外だったなぁ」


その“意外”のひと言に、ぐさりと何かが刺さる。

声色は柔らかくても、言葉の輪郭だけは鋭かった。


「うちらのこと、避けてるわりには……ああいう子とは話すんだ?」

「別にいいけどね? ただ……そういうの、目立つから気をつけたほうがいいよ、いろんな意味で」


語尾は、軽やかに跳ねるように。まるで世間話の延長みたいな調子で。

嫌味でも、悪意でもないフリをして――それでも、ちゃんと届くように“刺してくる”。


「無視? 感じわる〜」

「ねぇ、また始まったんじゃない? “わたし可哀想”ってやつ〜」


一人が、ゆっくりと私に近づいてくる。

鏡越しに、その目が――私だけを見ていた。


「中学のときもそうだったよね。

誰かに守ってもらえるって、思い込んでたじゃん?」


(……やめて)


背中が固まる。言葉が出ない。


「聞いてんの?」


ドンッ――

すぐ横の壁に、勢いよく手が叩きつけられた。

乾いた音が反響して、胸の奥がびくりと跳ねる。


もう片方の手が、じわじわとわたしの肩に向かって伸びてくる。狭い空間に、相手の呼吸だけが近くて――

心臓の音ばかりが、大きくなる。


(……怖い。動けない)


声を出したいのに、唇がわずかに震えるだけで、言葉にならない。足がすくんで、膝がふるえた。


視界が、ぐらりと揺れる。

力が抜けて、そのまま膝から崩れ落ちた。

冷たいタイルの床に手をつきながら、必死に呼吸を整えようとするけれど――背後から、靴音が、ゆっくりと確かに近づいてくる。


背中に感じる、重たい気配。

振り向けない。鏡を見ることすら、怖かった。

ただ、じわりと背に張りついてくるような“何か”が、

じっと、わたしを見下ろしている気がした。


もう、どこにも――逃げ場なんてなかった。


(……ダメ、動けない……誰か、助けて)


その瞬間――

鋭い声が、静寂をぶち破った。


「――やめなよっ!!」


トイレの入り口に現れたのは――犬神いぬがみ千陽ちはるだった。

制服の袖をまくったまま、小柄な体でぐっと一歩前へ出る。


「河田さんに、手ぇ出そうとしてたでしょっ!?」


その瞳は真っすぐで、全身から怒りと――どこか、仲間を守ろうとする本能のような気迫が伝わってくる。


「やめなよ。そういうの、ほんっと最低っ!」


「……は? なに、いきなり」


「いきなりじゃないよっ! 河田さん、あんなに怯えてたじゃん! ちゃんと見てたよ、わたしはっ!」


「……ちょ、犬神……」


「わたしの大切な友達に、なにかしたら――“超”怒るからねっ!!」


あまりにも直球すぎて、言葉が返ってこない。

ふざけた空気が崩れ、女子たちは少し面倒くさそうに言い訳しながら退いていく。


「なに、マジなやつ……うける」

「行こ。めんど……」


ふたりの足音が、廊下の奥へ遠ざかっていった。


「……だいじょぶ?」


犬神さんが、私のほうに顔を向ける。

さっきまで怒っていたはずのその瞳は、今は――

涙をこらえているみたいに、やさしく揺れていた。


私は、ほんの少しだけ勇気を出して、問いかける。


「……どうして、わたしを……助けてくれたの?」


犬神さんは、胸の前でぎゅっと拳を握って、ひとつ、深く息を吸い込んだあと――まっすぐに言った。


「……助けようって考える前に……気づいたら、一歩、踏み出してたの。だって、あんなの見てられなかったから」


声が震える。それでも言葉は止まらない。


「河田さんが、ちゃんと笑ってくれてたのに……っ。

あんなふうに、傷つけられるの――悔しくて、苦しくて……もう、黙ってなんかいられなかったのっ」


そして、そっと微笑んで――


「……それに、わたし……河田さんのこと、大好きだから。だれかが悲しい思いしてるの、もう……見たくないよ」


「えっ」


「だって!ブロッコリー好きでしょ!? わたしと同じ“緑推し”なんだもん!!」


「……え、そっち……?」


「そっち“も”っ!!」


なにそれ……って思ったけど。でも――

口の端がふるふるって震えて、そのまま笑ってしまった。

誰かに「大好きだから」って言われたの、……たぶん、生まれて初めてかもしれない。

しかもそれが、犬神さんからだったなんて。

その言葉が、心の奥まで、じんわり沁みていく。


さっきまで動けなかった手が、ほんの少し震えながら、

犬神さんの袖を、そっとつかむ。

その瞬間、ふわっと手が伸びてきて――

彼女がしゃがみこみ、わたしの手をぎゅっと包み込んだ。


片手でメガネをずらし、そっと涙をぬぐう。

胸の奥に溜まっていたものが、少しだけ溶けていく気がした。


顔を上げると、そこには変わらない犬神さんの笑顔。

そのまま、にっこりと微笑んで――


「……教室、戻ろっか?」


その声は、あたたかくて、やわらかくて。

私は、小さくうなずいて――その手を、ぎゅっと握り返す。そして、ゆっくりと立ち上がった。


それから、ふたりで並んで洗面所をあとにする。

まわりの喧騒のなか、足音だけが小さく溶けていく。

それは、心にそっと灯る、小さな“はじまり”の音だった。


* * *


放課後。春の陽が、少しだけ傾いてきた。

昇降口のあたりで、私は少し立ち止まっていた。

靴を履き替える手が、ゆっくりと動く。


「河田さ〜〜んっ! 一緒に帰ろ〜〜っ!!」


……やっぱり、この声には敵わない。

顔を上げると、犬神さんがカバンを肩に引っかけて、うれしそうに手を振っていた。

そのすぐ後ろには、いつも通り無表情な神田くんと、「またか……」って顔で腕を組んでいる越智くんの姿。


「……うん、行こ」


自然と、足が動き出す。


「そういえばさ〜っ、今朝のチラシに載ってたんだよっ! ブロッコリー、今日の夕方だけ特売なんだってっ!!」


「お前、それ朝も言ってただろ……」

越智くんが、呆れ顔でツッコむ。


「それは“朝ブロ”っ!! 今のは“夕ブロ”なんだよっ!! 完全にべつもんっ!!」


「……違い、説明してみろ」


「“朝ブロ”は、“気合い入れて今日もいくぞっ!”って感じっ!!“夕ブロ”は、“おつかれ自分♡ これで栄養チャージっ!”っていう“ごほうび型”なのっ!」


「それ、気分の問題じゃねぇか……」


「気分こそすべてだよっ!?

だって朝は“戦うワンコモード”! 夕方は“まったり撫で待ちワンコモード”なんだもんっ!!」


「また犬の話かよ……」


「つまりねっ、朝は“走り出す柴犬”!! 夕方は“ブロッコリーくわえて帰ってくる柴犬”なのっ!!」


「……どんな柴犬だよ」


「わたし、ブロッコリー界の柴犬なんだもんっ!! しっぽふりふりでスーパー行くのっ!!」


「……ただの食いしん坊ワンコだな、それは」


「ちが〜〜〜うっ!! “ブロ柴”だよっ、“ブロ柴”っ!!」


神田くんが、いつの間にかスマホで検索しながら、ぽつり。


「……ブロ柴、検索しても出ないな」


「だって今、わたしが生み出したからっ!!世界初の柴犬種なんだよっ!!」


つい、ぷっと笑ってしまった。

この人は、ほんとうに――どうして、こんなにおもしろいんだろう。


(……こんな会話が、できるなんて)


交差点で、信号が変わるのを待つ時間。四人の足音が、コンクリートの上で軽く響く。その中で私は、ふと一歩だけ遅れて、後ろを歩いた。


(あったかいな……)


夕暮れの光に包まれて、犬神さんの笑顔がきらきらしていた。

神田くんと越智くんも、言葉少なめだけど、ちゃんと“ここにいる”。


(……わたし、ちゃんと、今……この中にいるんだ)


――


帰り道の途中で、みんなと別れる。


「また明日ね〜〜〜っ!!」


「気をつけて帰れよ」


「……うん。また、明日」


ひとりきりになった帰り道。

でも、それはもう――昨日までの“ひとり”とは、まるで違っていた。

風の匂いも、夕暮れの色も、街のざわめきさえも。

今日の私は、ちゃんと、自分の中に取りこめていた。


小さな交差点の前で、ふと足が止まる。

信号はまだ赤のままで、ぽつんと立ち尽くすその間に、

かばんの持ち手を、そっと、ぎゅっと握りしめた。

もう、誰にも届かないと思っていたこの手が――

今日、確かに“誰か”と繋がった。


胸の奥に、ぽっと火が灯るような感覚。

あの瞬間の言葉も、あの笑顔も全部、ちゃんと私の心に残ってる。


信号が、静かに青へと変わっていく。

その光に背中を押されるようにして、私は一歩、踏み出した。


(……今日のこと、ちょっとだけ――好きかも)


夕陽が、そっと頬を撫でる。

私は、少しだけうつむきながら――

それでも、確かに笑っていた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ