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第1話『始業式と、春の心拍バグ』

【4月7日(火)08:45 入学式/日向高校 正門前】


高校一年の春――入学式。

俺は日向ひなた高校に入学した。


まだ着慣れない制服、少し固い革靴。

校門をくぐった瞬間から、周囲のテンションの高さにやや疲労を覚えていた。


俺――越智おち隆之たかゆきは、そういう空気には慣れていない。


……ちなみに俺には、昔からひとつだけ“変わった体質”がある。

自分の《心拍数》や《体温》《呼吸数》が、常に“数値”としてわかるのだ。

医者に言っても信じてもらえず、誰かの役に立ったこともない。要するに、ただの“無意味な体内モニター”。


例えば、入学式当日の朝のログはこうだ。

心拍数72、体温36.6℃、呼吸数14。

平常範囲内。つまり“何の感動もない日常”だった。


* * *


入学式は、体育館で静かに始まった。

体育館特有の反響音と、きっちりと並べられた椅子の列。

新しい制服に身を包んだ新入生たちが、緊張と期待に満ちた空気の中で規定通りに席に着いていく。

俺もその一人として座り、名前を呼ばれて立ち上がる入学生や拍手の音を、ただ静観していた。


やがて、場内にアナウンスが響く――


「続きまして――生徒会長より新入生への歓迎の挨拶です」


ざわり、と周囲の空気が少し変わる。

ステージの壇上に一人の女子生徒が上がる。

肩まで整えられた黒髪、制服の襟元に揺れるエンブレム、そしてメガネ。

すっと立つ姿勢に、教員よりも安定した貫禄がある。


「ご入学、おめでとうございます。

日向ひなた高校生徒会長、朝比奈あさひなこころです」


壇上のマイクを通した声が響く。

澄んでいて抑揚は規定値通り、発音も誤差ゼロ。

――完璧すぎて、人間味よりも機械的な演算結果に近い。


前列の女子たちが、予想通りの賛美をささやき合う。


「生徒会長って、ほんと綺麗……」

「話し方も落ち着いてて、憧れるよね〜」

「しかも成績トップなんでしょ?やば〜……」


(ありがちな賛辞。特筆なし)


スピーチの内容も、耳に入ってはいるが、

俺の思考はすでに別のことに向いていた。 


「皆さんがこれから始める高校生活には、きっと期待と不安が入り混じっていると思います。けれどそれは、どちらも“未知の可能性”の証です。

日向高校は、皆さんが“自分らしくいられる場所”を見つけられるよう、私たち生徒会も全力でサポートします。どうか安心して、一歩を踏み出してください」


文面・構成・抑揚――完璧な模範回答。


(予想通り。以上)


拍手が起こる。

だが俺の心拍は変動しなかった。


(予測範囲内。74から1も動かない)


もう少し効率的な進行はあるだろうに……

テンプレの段取りと形式美に、一通りの意味しか見出せず、思考はすでに分析モードだった。


朝比奈こころ。

それがどんな人物か、知っていようといまいと――

ここは“学校”。

テンプレの式典には、テンプレのリアクションで充分だ。


* * *


式が終わり、教室へと案内される。

番号順に机が並べられた教室に入り、自分の名前のある席を探して椅子を引いた。

俺の席は、一番後ろの――窓際だった。


(……悪くない)


視界に余計なものが入らず、後方から教室全体を俯瞰できる。周囲に干渉されにくいこの位置は、観察と記録に最適だ。緊張はない。

いつも通り、ただ“新しい空間に適応する”だけ。

今日という日は、俺にとって“環境初期化”の一工程にすぎない。


カバンを横にかけ、ペンケースの中身をチェックする。

ノートの角度、消しゴムの配置、筆圧テスト――

いつもの通りに、自分の“観測環境”を整えていく。


──そのときだった。


「わわっ、ここかな……あった!犬神いぬがみ千陽ちはるって、ここで合ってるよね〜っ!」


勢いのある声と同時に、隣の机がわずかに揺れたその瞬間――鞄が机に置かれた音と椅子の軋む音が、ざわつく教室の空気を切り裂いた。


わずかに崩れた赤いリボンが、制服の襟元でひときわ目を引く。

髪型はセミロング。明るめの茶髪が揺れるたびに、毛先が落ち着きなく小さく跳ねる。


鞄を乱雑に置いたかと思えば、すぐに中から筆箱を取り出して――きっちり机の右端に揃える。

一見大雑把で、部分的に妙に几帳面。


(……粗雑と几帳面が併存している。パターン化が難しいタイプか)


頭の中で分類がうまくいかず、わずかなストレスが生じる。

そのとき、陽気な声とともにぐいっと距離を詰められ、顔をのぞき込まれた。


「あっ、隣、よろしくね〜! えっと……越智くん?」


机の名札を見て、自然に呼ぶ。


「……ああ。よろしく」


それだけで十分だった。

ふいに目が合ったその瞬間――心拍が、わずかに跳ねた。


(……なんだ、今のは)


外的要因も心理的トリガーも思い当たらない。

ただ、視線が交わった。それだけのことで。


(平常との差――約4〜5拍/分。

明確な動揺……だとすれば、要因は?)


思考が勝手に要因分析を始める。だが、答えは出なかった。

ただのクラスメイトのはずのその存在が、俺の脈拍のリズムを乱す。


(……観測ログ、要継続)


ほんの数秒のやりとりに、“想定外の変数”がはっきり刻まれた。


(……なんなんだ、こいつ)


測定不能な笑顔、規格外の接近距離。

教室に入ってきたばかりの新入生とは思えない。


犬神いぬがみ千陽ちはる

初日から俺の“観測ログ”にノイズを走らせる存在――どうやら予測不能な変数が、すでに隣に配置されてしまったらしい。


まだ誰がどこに座るか完全に把握できてはいなかったが、前方から椅子の背もたれに軽く体重を預ける気配がした。


「……あの、えっと……越智くん、よろしくね。

 その……同じクラスになったから、一応……」


振り返った女子が、小さな声で話しかけてきた。

細い銀縁のメガネ越しに、少しだけ伏し目がちの視線が覗く。

語尾に曖昧さが残り、どこか探るような目線。

表情は笑顔のつもりらしいが、目元の動きが追いついていない。


「ああ。よろしく」


そう返しながら、俺は視線をほんの少しだけ上げた。

彼女の挨拶に、こちらも最低限の言葉を添える。

それだけのこと――のはずだった。

でも、なぜか耳に残る声の高さと視線の揺れが、思ったより強く記憶に刻まれた。


(……河田かわだ亜沙美あさみ、か)


席は、俺のすぐ前。

地毛だろうか、落ち着いたブラウンの髪は細い三つ編みにまとめられていた。

耳元で揺れる後れ毛――整えようとした跡はあるが、どこかぎこちない。

ノーメイク。制服も、教科書通りの“正解”そのもの。

ネクタイの締め方、ブレザーの合わせ方、どれも真面目すぎるほど真面目だ。

視線の泳ぎ方や、肩の小さな動き、ペンを持つ手の硬さまで……どの仕草にも、「目立たずにいたい」という意思が滲んでいた。


(他者との関係構築に慎重なタイプ……でも、会話に混ざりたいとは思ってる)


データ的に言えば、“内向型の対人欲求持ち”。

……つまり、“変わる余地がある”人間だ。


前席にいる彼女の静かな気配を観測しながらも、隣席から放たれる明るさはまるで逆方向のベクトルだ。


高校一年の春――


まさか、この二人が俺の″平常ログを根底から覆す存在″になるとは――入学初日の俺には到底予測のつかない始まりだった。

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― 新着の感想 ―
理系男子・越智くんが、心拍数で“ときめき”を記録するっていう発想がまず面白いです (^^♪ 淡々とした彼の視点だからこそ、感情がほんの少し揺れるだけで特別に感じられて… これはじわじわ来る青春の始まり…
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