(6)
「じゃあまた来週!お疲れ様でした!」
「「「お疲れ様でした!」」」
時刻は午後9時35分。八雲製作所の宴会が終わった。社員達は二次会に行く者、帰宅する者とそれぞれ別れていった。
「安藤君、この後の二次会にはもちろん参加するだろう?」
「はい。もちろんですよ、高橋部長!望月くんも参加するかい?」
「参加はするんですが、今日はタクシーに乗るお金がないので、終電に乗らないといけないんですよ。だから申し訳ないのですがもしかしたら途中で帰宅するかもしれません。」
「ああ、気にしなくて良いよ。参加してくれるだけでも嬉しいから!」
安藤はどこかすっきりした気持ちになっており、お酒も入っているため気分は悪くなかった。おそらく遠藤に対して鬱憤晴らしをしたのが効いているのだろう。彼は普段感情を外に出すといった愚行をすることは滅多にないが、そのためかその反動は大きかったのだ。
「私はちょっと店の裏の喫煙所で一服してきますが、部長もどうでしょうか?」
「すまない、安藤君。この間の健康診断で引っかかってからしばらくは辞めているんだ。また今度誘ってくれよ。」
「そうゆうことでしたら仕方がないですね。」
高橋部長に誘いを断られたため、安藤は一人で一服することにした。
(高橋の奴、そのまま吸い続けて肺がんになってくれたらどんなに良いだろうか。)
そんなことを思いながらメビウス六ミリを吸っていた安藤だったが、気がつくと喫煙所には一人の女性がいた。経理部の遠藤明だった。
「どうしたのかな、遠藤君。もしかして私に言いたいことでもあるのかな。」
安藤はなぜこの女に自分が強気に出れるのか不思議だった。遠藤明というこの女には社内に友人がいるようにも思えず、悩みを打ち明ける事ができる人間がいるようにも思えなかったのがその一番の理由だと安藤は心の中で分析した。
「私のことは誰にも言うなよ。私はね、営業部の次期部長候補の筆頭なんだ。それを邪魔するってなら私にも考えがある。一応、私は社内では信頼されているからね。私が君の悪評とか言ったりしたら皆信じると思うよ。だからさ、おとなしくしておいた方が君のためにもなると思うよ。まあ、君が言うか言わないかのどっちを選ぶかは知らないけど、それなりの覚悟をしてから行動することだね。」
安藤は酒も入っているせいか饒舌に語った。しかし遠藤はずっと黙ったままだった。
「さっきから何にも喋らないけどちゃんと聞いてる?何か言ったらどう・・・。」
安藤の言葉が途切れる。何かがおかしい。安藤は何か嫌なものを感じ取っていた。
「遠藤・・・君?」
遠藤の濁ったような目が、真っ黒な目が不気味にぶれた。その直後、彼女の口は三日月を作り、何かに歓喜しているような表情になった。
(正気じゃない・・・!)
安藤はとても嫌な感じがした。まるで心臓を直接手で撫でられているような気味の悪さを感じていた。
しばらくの沈黙の後、遠藤明は口を開いた。
「いえ、安藤課長。何でもありませんよ。」
遠藤の笑みはいつの間にか消え、普段の彼女に戻っていた。
「私はあなたのことを誰かに言いふらしたりなんてしませんし、あなたの昇進を邪魔したりはしないのでお気になさらず。」
「そうか・・・。ならいいんだ。そろそろ私は失礼するよ。」
安藤は逃げるようにその場を去った。ここにいたら何かまずいことになるような気がすると彼の直感が訴えていたからであった。
「ええ、本当に邪魔したりなんかしませんよ。」
その場に一人残された遠藤がつぶやく。
「だってその必要はないですから。」
遠藤明は笑っていた。彼女の表情はどこかすっきりしたような穏やかなものだった。