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10月8日午後5時。
私、遠藤明は今井雄一が宮本彰吾という刑事を殺したことを確認すると、すぐさま宮本の死体の血抜き作業を開始した。現在はだいたい半分くらいの工程が終わったといったところだった。宮本は山口という刑事よりも身体が大きく、それ故作業も時間がかかると思われたので、私は少し憂鬱な気持ちになった。
「遠藤さん、詰め終わりましたよ。」
宮本彰吾の死体の様子を眺めている私に、血で汚れたゴム手袋をはめている今井雄一が声を掛けてきた。彼は手袋が血で汚れているというのに、額に浮かんだ汗をそれでぬぐっていた。どうやら今井雄一は完璧におかしくなってしまったようだった。
「お疲れ様です。こっちはどうやらまだまだかかりそうです。」
「そうですか。ところで、なんで粉末状のマグネシウムなんか遺体に入れたんですか?わざわざ血抜き作業も入念に行って。」
「ああ、そのことですか。では、今から計画を全てはお話しますね。」
私は今井雄一に今後の計画を語り始めた。もっとも、彼に話すのは全てが終わった後に警察が推測で結論づけるだろう事だけであるが。
「まず、初めに言っておきますがターゲットの残りは三人です。そのうち、彼らのリーダー格である木下剛警部は全てを話してもらう尋問対象です。そうです、私たちは彼を尋問しなければならないのです。」
「そんなことただ誘拐してしまえば良いのではないですか?わざわざこんなことしなくたっていいのでは?」
「それについても全てお話しますので。まずこれからの日程なのですが、明日の早朝、そうですね。午前一時か二時くらいがいいですかね。蔵岡署にこの場所を通報します。遺体もそのままにしてね。」
「この場所を教えてしまうのですか?」
「はい。私たちはこの死体、いえ荷物入れを彼らに署内まで運んでもらう必要があるのです。」
私は粉末状のマグネシウムが大量に入れられ、ぱんぱんに膨らんだ山口龍平の死体の腹を軽くたたきながら説明する。
「これは脅し用具を運んでくれる鞄なんです。」
「脅し用具ですか?」
「はい。今井さんは粉塵爆発って聞いたことはありますかね。」
「はい。それぐらいは知っていますが・・・まさか!」
今井が気づいたようだったので、私は笑みを浮かべた。
「はい。そうです。狭い室内に彼らをおびき出し、そこでこのマグネシウムをばらまくのです。そして火を付けると言って彼らを脅すのです。」
私は山口龍平の腹を触りながら確認した。この量がもう一人分、いや宮本は山口よりも入りそうだからもう少しいけるか。これだけあれば六,七畳ほどの部屋であれば問題ないはずだ。昔、興味本位で矢木瞳に取調室について聞いておいて良かったと心の底から思った。
「今井さん、これを見てください。」
私はそう言うと自分のショルダーバックから一枚のチケットを取り出した。
「それは飛行機のチケットですか?」
「はい。行き先はカンボジアです。」
「カンボジア?」
今井雄一が首をひねった。こいつはもういくところまで行ってしまった。そんな人間を騙すことは容易であると私は知っていた。なんせもう私しか頼れる人間がこいつにはいないのだから。
「今井さん、おそらく警察はいずれ私たちにたどり着くでしょう。どれだけ私たちが証拠の隠滅に力を入れたって確実にね。これは予測できる未来です。」
「なんと!」
「だから、私たちはここで正体を現すのです。もちろん明日のうちにカンボジアに渡ってしまうので何の問題もありませんからね。逃走資金も用意してあります。」
私はそう言って自分の携帯を今井に差し出し、一つの画像を見せた。
「これは?」
「約二億あります。カンボジアであれば仕事をせずとも十分に生活可能な額です。」
見せたのは大量の札束の写真だった。大金を手にしたときに嬉しくてついつい撮ってしまった写真だった。
「今井さん、私と一緒にこんな街を捨てて新しい人生を始めませんか?私はこの街が大嫌いです。警察の汚職がはびこる腐ったこの街が嫌いです。今井さん、あなたはどうですか?娘さんが無残に殺され、それを隠蔽する警察が守るこの街が好きですか?娘さんが死んだ後、あなたとあなたの奥さんを助けてくれた人はいましたか?もちろん憂えてくれた人はいたでしょう。悲しんで泣いてくれた人もいたでしょう。でも本当の意味で助けてくれた人はいましたか?神様は?あなたが信じていたイエス・キリストは救いの手を差し伸べましたか?」
私がここまで言うと、今井雄一は遂に泣き出してしまった。その瞬間、私は今井の説得に成功したことを確信した。
「あなたはもう十分に苦しみました。そして戦いました。娘さん、そして奥様の無念を晴らすために巨悪と戦い抜いたのです。だから今井さん、今度はあなたが救われる番です。私と一緒に全く新しい人生を始めましょう?新しい場所、新しい人々。全てが新鮮で輝いている場所で。」
今井雄一は大量の涙を流しながら口を押さえてむせ込んだ。その様子を私は心の底から汚らしいと思った。
「そこは楽園です。あなたがたどり着くべき楽園ですよ。」
この私の言葉を最期に今井雄一は決断した。この国を捨てる覚悟を。この今井の様子を確認すると、私は計画の説明に戻った。
「いいですか、今井さん。あなたは蔵岡署に出頭するのです。通報したのは自分だと言ってね。そして蔵岡署で数分でいいですので一人にしてもらえるように要求するのです。そして一人になったら署内のロビーに向かってください。そこにいる私のもう一人の仲間から携帯電話を受け取ってください。」
「もう一人の仲間?私たちにはもう一人協力者がいたのですか?」
「はい。彼女も家族を凶悪犯によって傷つけられた私たちの同胞です。彼女から携帯電話を受け取りましたら、私に定時連絡をください。定時連絡をした後もその携帯電話はなくさないでくださいね。逃走経路や手段なんかも全部その携帯を通して連絡しますので。」
「分かりました。」
その後、私は細かなところまで今井雄一に説明した。彼の行動が私の運命を決めるのである。ミスは決して犯してはならなかった。そして、待ち望んでいたその瞬間は来た。ある程度まで説明したところで、今井雄一の死に際のビジョンが視えたのである。そして全て私の思い通りにいくようであった。焼け焦げ、身体の一部が欠けてしまっている今井雄一のそばには二人の人間の死体があった。酷い火傷で分かりにくくはあったが、その二人は間違いなく木下剛警部と菅原千尋刑事だった。もう一人は最初から問題なく終わっている。このビジョンを視たとき、私は今回も全てに勝ったことを確信したのである。
10月8日午後10時。
先ほどまで五月蠅く鳴り響いていたパトカーのサイレンの音がようやく止んだようだった。私は明日今井雄一に渡す予定の携帯電話に一つのキーホルダーを付けていた。それは可愛らしい狸のキーホルダーだった。
「痛!」
私が遠隔操作用の装置のボタンを押すと狸のキーホルダーを持っていた手に想像以上の痛みが走った。
「少し強くしすぎたかな?」
このキーホルダーは本来は単なるジョークグッズだった。遠隔操作用のボタンを押せばこのキーホルダーに微弱な電気が流れるというものである。本来はいたずら用のものであるが、これが今回の凶器の一つになるのである。私はこのキーホルダーに少しの改良を加え、流れる電流を強くしたのである。
“サク。”
私はこの狸のキーホルダーをカッターで切りつけた。そして小さな切り傷が付いたキーホルダーを机の上に置くと、もう一度遠隔装置のボタンを押した。するとキーホルダーから青い閃光が出たのが見えた。作業は終わったのである。
「今井さん、あなたはこれで楽園にいけるよ。本当の意味の楽園にね。」
私は有頂天になってついつい口笛でメロディーを刻んでしまった。私が口ずさむメロディーは一つだけ。それは私が大好きだったホラーゲームのメインテーマである。




