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死期予見  作者: 本郷真人
第十章
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(4)

「準備が終わりました。今井さん、ではあなたを今から15分だけ一人にします。タイマーが動き始めたら、この部屋を出てもよいので、15分したらこの部屋に必ず戻ってきてください。でなければあなたのことを正式に拘束します。」

 木下警部が静かな声で言った。また、彼の隣にいる菅原刑事はずっと今井雄一のことを睨み続けていた。今井雄一はポケットに入っていた自分の携帯を静かに机の上に置いた。

「分かりました。約束はきちんと守りますよ。私はね。」

 この今井の発言を聞いた直後、木下警部は持っていたストップウォッチを作動させた。それを見た今井雄一はゆっくりと椅子から立ち上がり、取調室の扉を開け、部屋を後にするのだった。


 まず、今井雄一は当初の計画通り署内のロビーに向かった。彼がロビーに到着すると、入り口にいた警察官達が彼のことを一斉に睨んだ。今井雄一は彼らに手を振ると、ロビーの壁に貼られていた署内の地図をしっかり見て覚えた。昔から自分は記憶力が良い方だと今井雄一は自覚していた。地図を覚えた彼は次にロビーから一番近くにあるトイレに向かった。トイレに向かうと、その出口付近に立っていた人物から狸のキーホルダーが付いた携帯電話を渡された。このトイレの入り口に続く道は曲がっており、ロビーから唯一死角になっている場所だった。

「遠藤さんからです。」

 その人物は今井雄一に届け物をするという自らの役割の一つを終えると、すぐにトイレの中に入っていった。今井雄一もトイレの出入り口は違ったが、同じくトイレに入った。そして彼は空いている一つの個室を見つけると、その中に入り渡された携帯電話のメール機能で遠藤明に定時連絡を入れた。『すべて順調』。今井が遠藤に送ったメールの文はそれだけだった。

「よし。」

 今井雄一は声を出して自らを鼓舞した。逃走手段も手に入った。全て予定通りである。しかし、携帯で時間を確認すると、ストップウォッチが押されてから三分経過していた。ここからは時間が全てである。急がなければならない。焦る今井がストラップに付けられている小さな切り傷などに気づくことは不可能であった。

残り時間約10分。

 今井雄一はトイレから出るともう一度ロビーに行き、署内の地図を二度見した。そしてある部屋に向かった。そこは霊安室だった。

 案の定、霊安室には見張りの警察官は誰もいなかった。普通はいるわけもないのだが、これによって今井雄一の不安がまた一つ消え、それは彼の背中を強く押した。

「久しぶり、刑事さん。」

 霊安室に入ると、そこには今井もよく知っている二人の刑事が横たわっていた。彼が予測していたとおり、もう一人の女刑事の遺体は身体の一部分しかなかったため、別の場所に既に移動されていた。

「さてと。」

 今井雄一は遺体にかけられていた大きな白い布を取り去った。

「馬鹿な奴らだ。」

 今井はそう言うと、乱雑に縫われている遺体の腹部にある大きな傷口に手をかけ、ゆっくりと腹の中を開いた。


 木下警部と菅原刑事は今井雄一が戻ってくるのを取調室で待っていた。

「20秒前。」

 木下警部がカウントダウンを開始した。もしも今井雄一が一秒でも部屋に入ってくるのが遅れたら、彼のことを正式にすぐに拘留しようと警部は考えてた。それ故、心の中では今井が遅れてくることを強く願っていた。

「10秒前。」 

 木下警部がカウントした直後だった。取調室のドアが開き、今井雄一が室内に入ってきた。

「お待たせしてしまいすみませんね。なんせ署内があまりにも広くって迷子になりかけてしまいましてね。」

 そう言うと、今井は自信の席に座った。それを見た木下警部はついつい舌打ちをしてしまった。しかし、今の今井雄一にそんなことは全く気分を害すようなものではなかった。それは彼が全てをやり遂げたからであった。そして、これから死ぬ人物に対して怒りを感じるなんて事は無駄なことだったからだ。

「では今井さん。私たちはあなたの要望を全て聞き、そして叶えました。今度はあなたの番です。約束通りあなたが知る全てのことを話してもらいますよ。」

「ええ、ええ。話しますとも。全て。」

 今井雄一は落ち着いた声で言った。そして背中に背負っていた愛娘が愛用していたリュックサックを膝の上に置くと、それを大事そうに両手で抱えた。

「今井さん、申し訳ないがリュックサックを床に置いてもらえませんか?」

 木下警部が言った。しかしそれを聞いた今井雄一は憤慨した。

「大切な娘のバックを手放せと?刑事さん、あんた本当に酷い人だ。これは私にとって大切なものであるって知っているくせに。私言いましたからね。なのになんでそんなこと言えるんだ。」

 今井雄一の態度が急変する。それに伴い取調室に緊張した空気が流れた。

「言い方が悪かったですね。すみません。しかし、これは取り調べです。それを置いてもらわなくては困ります。」

 木下警部は今井雄一が抱えているリュックサックに手をかけようとした。その瞬間、警部はあることに気が付いた。取調室から今井が出て行った時と比べてリュックサックが明らかに大きく膨らんでいた。

「中に何が入っている?」

 木下警部が強い声で言った。この警部の言葉を聞き、菅原刑事もノートパソコンから目を離し、今井雄一の方を見た。取調室の隣部屋にいる佐々木警部補らも今井雄一のことを注視した。

「もう一度聞く。中に何が入っている!」

 木下警部は立ち上がり、今井雄一からリュックサックをひったくろうとした。その瞬間、今井雄一はリュックサックのジッパーを開け、中に入っていたものを盛大に室内にぶちまけた。

「マグネシウム。」

 今井雄一は笑顔で木下警部の質問に答えた。

 室内に大量の銀色の粉が漂った。

「もっとあるぞ!ほら、ほら!」

 今井雄一はリュックサックの中に手を突っ込み、粉末状のマグネシウムを握るとそれを室内にまき散らした。

「貴様!」

 木下警部が声を荒らげた。菅原刑事も椅子から勢いよく立ち上がった。この取調室の様子をマジックミラー越しに見ていた佐々木英部補達も急いで取調室に入り込もうとした。しかし、今井雄一はそれを停止させた。

「動くな!動いたらこのライターに火を付ける!」

 今井雄一はポケットにしまっていたライターを取り出すと、それを掲げて大声で怒鳴った。

「全員動くな!」

 今井雄一がもう一度大声で言った。その様子を見た木下警部は恐怖した。今の状況がどれだけまずいことかを知っていたからであった。

「今井さん、落ち着いてください。そのライターをこちらに渡してください。」

 木下警部が緊張した声で言った。

「さすがに警察官なら分かりますか。そうです。今、非常に可燃性が高いマグネシウムの粉末が室内に漂っています。そして・・・。」

 今井雄一は一端、発言を中断し、取調室にある唯一の窓に手をかけ、そして開けた。

「新鮮な空気が入ってきました。この状況、どれだけ危険であるか分かりますよね?」

「粉塵爆発・・・。」

 菅原刑事が震える声で言った。

「その通り!ちょっとの火種でも瞬く間に大惨事!さあ、それでは私の質問に答えてもらいましょうか。」

 今井雄一が息を荒くしながら言った。そう、このマグネシウムの霧が漂うサバンナにおいて、彼は圧倒的捕食者となり、今まさに二匹の草食動物を追い詰めたのである。

「話せ。私の娘、今井佳枝の死の真相を。非道な警察が隠蔽したその全てを。」

「待ってください!あなたの娘さんである今井佳枝さんのことはとても気の毒に思っています。しかし、私たちは何も隠してはいません!蔵岡警察もそうです。必死に調べ上げてそれで結論に達したのです。」

「嘘だ!」

 木下警部が必死になって説得を試みようとするも、瞳孔が開いた今井雄一を止めることはできなかった。

「佳枝がどんな目に会ったのか分かっているのか?私はあの子の遺体を見たぞ!酷い、もはや炭だった。それに指もない!身体もぼろぼろだ。娘が残酷に殺されたというのに、警察は身内をかばい、一向に真実を語ろうとはしない。いつもそうだ。いつも!」

「私たちの元同僚が行った非道は知っています。二年前の事件は本当に酷いものでした。だから私たちは必死になって再捜査をしようと決めたんです!」

「再捜査?再捜査だと!」

 木下警部の発言を聞いて、今井雄一はさらに怒りを爆発させた。

「何が再捜査だ!ただの隠蔽だろう!お前達は二年前の全てを消し去ろうとしているんだ!」

「なぜそうなるのですか!」

 木下警部はもはや埒が明かないと思った。この今井雄一に何を言っても無駄であると悟ったのである。

(もうこの男には何を言っても通じない。やばい、今の状況は本当にやばいぞ!なんとかしてこの男からライターを取り上げなければ・・・!)

 今井雄一は左腕を前に突き出して、今井雄一のことをなだめながら彼にゆっくりと近づき始めた。

「今井さん、二年前の真相は私たちが絶対に突き止めます。だからもうこんな事は止めてください。あなたの娘さんの無念は必ず私たちが晴らしますから。」

「その手には乗らない。しかし、私ではやはりだめだったか。ならば・・・。」

 今井雄一はそう言うと、ライターを持っていない手を使って、ポケットから狸のキーホルダーが付いた携帯電話を取りだした。

「今から電話をかけます。その相手が警部を尋問します。私ではできなさそうなのでね。」

「ある人物?」

 木下警部はやはり今井雄一以外にも共犯者がいたかと心の中で悪態をつきながら今井雄一が持つ携帯電話を注視した。

“ピ、ピ、ピ、ピ。”

 今井雄一はダイヤルを押し、電話をかけた。

“リリリリリリリ。”

 電話が鳴り出した。その着信音は一般的にごくありふれたものだった。

「さあ、警部。答えてもらいますよ。二年前の全てを!」

 今井雄一は息を荒くしながらそう言うと、携帯電話を木下警部の目の前に突き出した。その直後だった。

“ピリッ。”

 今井雄一が持つ携帯電話に付いているキーホルダー。そのキーホルダーに付けられた切り傷が青く光った。そして次の瞬間。

“ボンッ!”

 大きな爆発音と共に取調室が大炎上した。取調室の窓からは炎が拭きだした。ドアも吹っ飛んだ。

“バンッ!”

 火柱はマジックミラーも突き破り、隣部屋にいた佐々木警部補達にも襲いかかった。

 これら全てが一瞬の出来事だった。一秒にも満たない刹那の時間で悪魔の炎は一匹の猛獣を殺し、二人の人間の命を奪い去り、そして三人の人間に重傷を負わせた。この瞬間において、悲鳴を上げた者は誰一人としていなかった。悲鳴を上げる時間もなかったのである。

 こうして、警察庁捜査一課再捜査特別チーム班長、木下剛警部45歳の人生最悪の決断は、それなりの歴史を持つ蔵岡警察署において最悪の事件を引き起こしてしまったのである。

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