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死期予見  作者: 本郷真人
第十章
64/69

(3)

 今井雄一、木下剛警部、菅原千尋巡査長の三人は蔵岡警察署に設置されている取調室の一つに入った。この取調室は六畳ほどの小さめの部屋であり、鉄格子が付いている小窓があるのだが、今回は締め切っていた。部屋の中心にはやや大きめの机が一つあり、椅子が二つ対面に置かれていた。部屋の隅には記録用のノートパソコンが置かれている小さな机がある。

 今井雄一は小窓をちらっと見て確認すると、心の中で笑った。まさに今の彼にとって絶好の環境であった。

「どうぞお掛けください。」

 木下警部が今井雄一に言った。今井雄一はその言葉に従い、示された部屋の中心にある机の椅子に腰を下ろした。そしてそれを確認した木下警部は今井と机を挟んで向かい合って座った。

「では記録は私が。」

 菅原刑事が言った。彼女は記録用の席に座るとノートパソコンの電源を入れた。木下警部はその様子を見ると、早速今井雄一への尋問を開始した。

「あなたが三人の警察官の遺体が湯野岬第二トンネルにあると本日の午前2時30分に蔵岡警察署に通報したのですね。」

「はい、そうです。私が通報しました。」

 今井雄一が落ち着いた様子で言った。彼の表情はまるで能面のような無そのものであり、多くの取り調べ経験がある木下警部でもその心情を読み取ることは難しかった。

 一方、取調室の隣の部屋ではマジックミラー越しに佐々木警部補と蔵岡署の刑事二人が取調室の様子を見ていた。

「始まりましたね。」

 蔵岡署の刑事の一人が言った。

「佐々木警部補、今井雄一は山口巡査部長達を殺害した犯人ですかね?」

「それはまだ分かりません。でも事件に関わりがあることだけは確かです。今井は山口さん達が殺されたこと、そして遺体の場所も知っていた。それは犯人かその仲間しか知り得ない情報です。」

 佐々木警部補は静かな声で答えた。

「しかし、今井は自ら通報し、そしてその数時間後には自ら出頭しています。これには何らかの意図があるはずです。今井が出頭したと聞いた時、初め、私はそれを罪の重さに耐えかねての行動だったのではないかと考えました。しかしこうして彼に会ってみると彼の考えが全く分からないのです。なぜ通報したのか、そして匿名で通報したにもかかわらず、なぜこのタイミングで出頭してきたのか。これからそれが彼の口から出れば良いのですが。」

 佐々木警部補は署内のロビーで待たせてしまっている岩松節子を申し訳なく思いながら、今は今井雄一の取り調べに集中することにした。

 取調室では今井雄一が無表情のまま、室内に入ってからずっと固く閉ざしていた口をようやく開いて話し始めた。

「今日、突然訪問してしまって申し訳ありませんでした。しかし本当にありがとうございます。私の願いを聞き入れてくださって。」

「礼には及びません。私たちは早くお話を伺いたいだけなので。大切な仲間に何があったのかを。」

 今井雄一が淡々と礼を述べると、木下警部は少し苛ついた様子でぶっきらぼうに言った。

「私は今日、この場で全てをお話します。しかし、それには一つ条件があります?」

「条件?」

 木下警部はさらに今井雄一に対する苛立ちを募らせた。

「私達は共に働いてきた大切な同僚を三人も殺されているんですよ。あなたはこれ以上何を望むのですか?」

「言っておきますけど、私も大切な一人娘を失いました。二年前に。他ならぬあなたたちの同僚によって。」

「それは・・・。」

 今井雄一の発言で木下警部は彼の娘の今井佳枝のことを思い浮かべた。

「既に御存知でしょうけれど、娘が殺された数ヶ月後には妻も亡くなりました。私には何も残っておりません。ですので、私はこれからどうなっても良いのです。このまま何もしゃべらず、そしてあらぬ疑いをあなたたちにかけられたところで別に構わないのですよ。」

 今井雄一は木下警部の目をまっすぐ見つめながら真剣な表情で言った。木下警部は彼の決意は本物だと考えた。今井雄一の要求を飲まなければ、彼はずっと黙秘し続けるだろうと警部は結論づけた。

「分かりました。」

 木下警部は折れることにした。今井雄一から真実を聞くために、彼を受け入れることにしたのである。

「それで今井さん。条件とは一体どのようなことなのですか?」

「はい。その条件とは、少し私に時間を与えて欲しいのです。15分ほどで構いませんから。見張りを付けずにね。」

「見張りを付けずになんてこの状況でできるはずがないでしょう?」

「それはそうですよね。ですので、私が逃走しないように署内の全ての出入り口に見張りを付けても構いません。もちろん私は逃走するつもりなんて微塵もありませんが。それに外部と連絡ができないように携帯電話も取り上げてもらって結構ですよ。」

「しかし、15分の間にあなたは何をするのですか?正直に言ってあなたのことは信用できません。」

「奇遇ですね。私も警察のことは全く信用していません。」

 今井雄一は木下警部を睨みながら落ち着いた声で言った。それを受けた木下警部も今井雄一を睨み返した。それから二人は20秒ほどお互いを睨み続けた。同室している菅原刑事も隣の部屋にいる佐々木警部補達もその様子を静かに見守った。

「何をするかと聞きましたね?」

 拮抗状態を破ったのは今井雄一だった。

「この部屋に入る前に私の所持品の検査をしましたよね。このリュックサックを開いて。」

 そう言うと、今井雄一は椅子の隣に置いていた紫色のリュックサックを持ち上げて机の上に置いた。

「これは私の最愛の娘、佳枝が学生時代に愛用していたものです。」

 今井雄一はゆっくりとリュックサックのジッパーを開いた。

「この通りバックの中は空です。このバックを背負うと娘のことを感じられるから身につけているだけなのでね。残りの私の持ち物は携帯とタバコ一箱、ライたーだけです。私は全てをお話しする前に、心を落ち着かせる時間が欲しいのです。それが15分という時間です。」

「バックの中身は知っています。しかしやはり無理です。あなたのことを監視も付けずに一人にできるわけがないでしょう。」

「ならば私は黙秘を続けるだけですね。犯人の名前も何も言わずにね。」

「それを続けていたらあなたは警察官殺しの犯人にされますよ。」

 この木下警部の脅しを聞くと、今井雄一は笑い出した。しかしその目は笑っていなかった。

「ほら出た!これが警察だ。妊婦を窃盗犯に仕立て上げた時から何も変わっていない。別に良いですよ、それでも。私がやったという証拠はどこにもない。私は死体がある場所を知っていただけ。私の罪は不法侵入ってとこですかね。警察にしっかりと通報もしましたからね。」

 この言葉を最後に、今井雄一は黙り込んだ。木下警部は当初、今井が自ら口を開くまでいつまでも待つ覚悟であったが、彼が黙秘を開始してから20分後、警部は佐々木警部補と話をするため、記録係の菅原刑事と供に取調室から佐々木警部補達が待つ隣室にひとまず移動することにした。

「どうしますか?彼の意思は相当強固です。これを折るのはなかなか難しいように思えます。それに、もしも今井の言うとおり彼以外に殺人犯がいるとしたら、今もそいつは野放しです。今井が殺人犯にしろそうでないにしろ、事件の早期解決のためには彼自身の証言が不可欠です。」

 佐々木警部補が木下警部に言った。

「つまりは、残忍な殺人鬼、もしくはその共犯者かもしれない人物をこの蔵岡警察署内で15分もの間一人きりにするということですか?佐々木警部補、自分が何を言っているのか理解しているのですか!確かに所持品はしっかり確認しました。身体検査も行って凶器になりそうなものは何一つ見つかりませんでした。ここが空港だったとしてもライターで引っかかるぐらいのものでした。しかし、出入り口を全て封鎖するとはいえ、あいつを一人にするというのは危険すぎます。あれだけ警察に対して恨みを抱いているのですよ。本当に何をしでかすか分からない。」

 菅原刑事は声を荒らげて佐々木警部補の意見に反対した。

「私も菅原刑事に賛成したいところです。正直に言って今井を監視も付けず一人にするというのはかなりのリスクがあると思います。しかし私は佐々木警部補の考えも分かります。」

「警部!」

 木下警部が発言すると、それに異を唱えるように菅原刑事が声を上げた。

「分かっているのですか?今井を短時間とはいえ署内で自由にすることの意味が。」

「菅原刑事、大いに分かっているつもりですよ。でも今は大切な仲間達の仇を取るためにも情報が、情報が必要なんだ!」

 木下警部も菅原刑事に負けないぐらいの声量を上げた。

「事件の手がかりは何一つない。明日には警察庁からの応援が来るとはいえ、おそらくは私たちは捜査の指揮権を後から来た者達によって必ず奪われてしまうだろう。それだけで済めばいい。しかしそうではない場合もある。捜査から私たち特別チームは外される可能性だってあるんだ。」

「それは分かっています。チームメンバーが殺害されたとなっては、別の捜査一課のグループが事件を引き継ぐことも。それが組織というものですから。しかしそれは当然の配慮のはずです。」

「大切な部下が残忍に殺されたというのに、自らの手で仇を討つことができない。それは私にとって許されることではないんだ。私の采配ミスによって皆殺されてしまった。私には彼らの無念を晴らす義務がある。」

「警部の所為ではないでしょう!仇討ちのためにこんな危険な賭に出るなんて馬鹿げています。」

 木下警部と菅原刑事の対立は続いた。どちらも互いの気持ちはよく分かっていた。分かっているからこそ対立するのである。対立とは相手のことが分かるからこそ起きるものなのだ。

 二人の刑事による争いを佐々木警部補は不安げな様子で見ていた。また、彼の後にいる二人の蔵岡警察署に所属する刑事たちも彼と同様であった。この仲間同士による不毛な争いはいつまでも続くかのように思われた。しかし、それを止めたものがいた。それは他ならない二人の対立の原因を作った男、今井雄一だった。

「まだですか?」

 取調室から声がした。その隣部屋にいた刑事達は一斉にマジックミラー越しに取調室を見た。

「私はもういい歳です。こんな狭いとこに閉じ込められ続けていい加減疲れました。これ以上待たせるのでしたら、取引は中止です。私は黙秘します。」

 今井雄一が座ったまま言った。彼の視線は真っ黒なマジックミラーに集中していた。

 この今井の様子を見て激しい怒りを覚えた刑事達であったが、しばらくの沈黙の後、木下警部は最終的な決断を下した。木下警部はゆっくりとした足取りで取調室に赴き、その部屋の扉を静かに開けた。部屋の中にいた今井雄一と木下警部の視線がぴったりと合った。

「今井さん、あなたの要求を全て呑みます。これから署内の出入り口全てに警察官を立たせます。資料室などの絶対に入っては行けない部屋の入り口全てにも警察官を配置します。その後、あなたのことを言われたとおり15分だけ一人にします。準備ができ次第伝えますので、それから15分間、あなたは署内で自由です。しかし15分経ってもこの部屋に帰ってこなかった場合はあなたのことを捜索します。そして逃亡の容疑で拘束します。それでいいですね?」

 木下警部のこの提案を聞き、今井雄一は心の中で笑った。すべてが計画通りに上手くいっている。あとは慎重に行動し、署内の警察官達の目をくぐり抜け、一五分という短時間で全ての作業を済ませることに集中するだけである。

「はい。木下警部でしたっけ?こんな私の願いを聞き入れてくれて本当にありがとうございます。15分間ゆっくり過ごしたら、私は全てお話しますよ。全て。」

 木下警部は最悪な決断を下してしまったのではないかと内心不安でいっぱいだった。そして彼の不安通り、それは的中する。人生の中で一番最悪な決断を彼はしてしまったのである。

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