(6)
午後1時。
宮本刑事は、公園の公衆トイレに向かったきり、戻らなかった山口刑事を探していた。彼は山口刑事の行方が分からなくなったことを木下警部にまだ報告していなかった。なぜなら、山口刑事が捜査中に一人でいなくなってしまったことは以前にも数回あったからだ。山口刑事の事を信頼している宮本刑事は、置いてきぼりにされたことに少し腹を立てたが、山口刑事が何かに気が付いたのかも知れないと考え、近所のコンビニエンスストアに行き、昼食を取り、そして彼のことを先ほどの公園で待つことにした。また、宮本刑事は二回ほど山口刑事に電話を掛けてはみたが、電源が切られているようだった。
“プルルルルル。プルルルルル。”
宮本刑事の携帯電話が鳴り出した。彼は連絡もなしにいなくなった相棒を思い浮かべながら、すぐに自身の携帯を見た。案の定、宮本刑事の携帯に表示されたのは、彼が想像していたとおり『山口龍平』という名前だった。
「もしもし、宮本です。山口さん、今どこにいるんですか?」
『残念ながら、私は山口刑事ではないのですよ。宮本彰吾刑事。彼は今、通話できない状態でしてね。』
宮本刑事に電話を掛けてきた相手は、彼の予想していた人物ではなかった。機械で声を変えた別の人物だった。
「お前は誰だ?山口さんをどこにやった?」
宮本刑事はすぐに通話相手に聞いた。彼の声色はそれまでとは一変したものだった。
『山口刑事も私が最初に電話した時、同じような質問をしたよ。安心していいよ、宮本刑事。彼はまだ生きているよ。今はね。けどそれは君の今後の行動によって変わってくる。今から私が言うとおりの行動を取って欲しいんだ』」
「わかった。何をすればいい?」
宮本刑事は長年の勤務経験から、人質を取られているときはまず、相手を刺激せずに要求にある程度応える必要があることを知っていた。
『君の携帯にあるアプリをダウンロードしてもらいたい。』
通話相手はそう言って、宮本刑事に一つのアプリを携帯で検索させた。それは一見してごく普通のカメラ機能のアプリケーションだった。
『ただのカメラアプリの一つに見えるでしょう?でもそれはウィルスアプリでね。それを入れれば君の携帯電話の情報はすぐに分かる。通話も位置情報も。さらに携帯の電源が入っていれば盗聴だってできる。』
通話相手のこの言葉を聞いたとき、宮本刑事はやられたと思った。
『そう、これで君は誰にも電話できないし、かといって公衆電話を使ったり、警察に行くことも出来ない。なんせ位置情報ですぐに分かるからね。』
「こんなアプリまで用意しているなんてな。お前は本当に何者だ?」
『私が何者かなんてことはどうだっていいでしょう?アプリを入れたら、これから言う場所に向かってほしい。今すぐにね。そこに山口龍平もいる。今は13時20分だから14時までには着くこと。そこから車で遅くても30分で着く場所だから。』
「それはどこだ?」
『湯野岬第二トンネル。』
「わかった。すぐに向かう。だから山口さんには・・・。」
『プッ。』
宮本刑事が話している最中に、彼の通話相手は電話を切った。
「くそ。なんでこんなことに。」
宮本刑事は悪態をつきながら、捕らわれの身であろう自身の相棒を心配した。
「会話からしておそらく犯人は女性の可能性が高い。男性のように振る舞ってはいたが、それは性別を分からなくさせるため。」
宮本刑事は自身の携帯電話を見た。そこには先ほどの通話相手が指名したアプリケーションのダウンロード画面が表示されていた。
「仕方がない。」
宮本刑事は自分の左腕に着けていた腕時計を見て、少しためらいはしたが例のアプリケーションをダウンロードした。ダウンロードは一分ほどで終わった。通話相手の『盗聴機能もついている』という台詞を思い出し、彼は一切声を出さないことにした。
(とにかく時間が無い。こんな短時間を指定してきたのもうまい。こちらに考える時間を与えないためだろう。このアプリがあいつの言っていた通りのものだったら、覆面パトカーの無線も使えない。でも全てのパトカーには車内カメラが付いている。もしかしたら山口刑事を誘拐した人物の情報を少しでも得られる可能性はある。)
宮本刑事は覆面パトカーに乗り込むと、車のエンジンを掛けた。
(それにしても湯野岬第二トンネルだと?二年前にバス放火事件があった場所だ。花村のぼるが八雲製作所の大勢の社員を焼き殺した場所。あそこは今、立ち入り禁止になっていたはずだ。数年前に落盤事故もあって、確かもうすぐ取り壊す予定だ。今回の山口さんの誘拐は二年前の事件に繋がっているのか?もしかして山口さんが考えていた通り、二年前の事件にはまだ捕まっていない指示役の犯人がいて、そいつがあの電話を掛けてきた人物だとしたら話が合う。)
宮本刑事はクラッチペダルに掛けている足の力を少し弱めながら、覆面パトカーのアクセルを強く踏んだ。車は大きな音を立てながら急発進した。
(上等だ。誰に手を出したのか思い知らせてやる。)
現在の宮本刑事の頭の中は二つのことで一杯だった。怒りと復讐心である。家族ぐるみの付き合いがあるほど仲がいい相棒を攫われ、そしてあろう事かその犯人は自分達が追っていた殺人犯である可能性が高い。屈辱である。これは宮本刑事にとって、ひどく屈辱的な事であった。憤怒の塊と化した一人の男は、自身の相棒を守るため、そしてこれほどの屈辱を自分に与えた相手への復讐のために車を走らせるのだった。