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死期予見  作者: 本郷真人
第八章
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(7)

 午後1時。

 玉橋刑事は蔵岡市小田川町にあるコミュニティーセンターの駐車場にいた。

 小田川町は過疎化が進み、人口100人にも満たない田舎町である。広大な田畑が広がり、三つほどの集落が点在している。この街のコミュニティーセンターは、広大な田園の端に位置し、この日、10月6日は休日であったため、建物内は閑散としており、駐車場には一台の車もなかった。

 玉橋刑事がこのようなところに来た理由は一つ、遠藤明がこの場所を指定したからであった。玉橋刑事は遠藤から電話でこの小田川町コミュ二ティーセンターの駐車場に来て欲しいと言われ、すぐにタクシーを電話で予約した。遠藤が指定した時間にこの駐車場に到着した玉橋刑事であったが、そこにはまだ誰もいなかった。

 玉橋刑事はしばらくの間、周りを見渡したり、コミュニティーセンターの駐車場をうろうろと歩き回っていたが、やがて肩に掛けたショルダーバックからスマートフォンを取り出し、ネットニュースを見始めた。彼女がよく利用するネットニュースでは、昨日に都心で起きたひき逃げ事件について書かれた記事が大きく載っていた。玉橋刑事は五分ほどその記事を読んでいたが、コミュニティーセンターの駐車場に一台の軽自動車が入ってくるのが見えたため、彼女はスマートフォンの電源を切った。

 駐車場に入った軽自動車は、駐車場の白線を横切りながら、一直線に玉橋刑事の元に進み、そして停まった。そして軽自動車のエンジン音が止まると、助手席のドアが開き、中から女性が一人出てきた。遠藤明だった。

「玉橋刑事、お待たせしました。こちらから呼びつけておきながら待たせてしまい、大変申し訳ありませんでした。」

「いえ、大丈夫ですよ。待ち合わせの時間まであと2,3分ほどありましたし。それに私が早く来たのはタクシーのおかげですから。それと遠藤さんの頼み通り、今日のことは誰にもまだ言っていませんよ。」

「それは良かったです。本当にありがとうございます。」

「いえ、事情が事情ですから。しかし、もしもあなたから今日聞いたことが事件の解決に必要な場合は・・・。」

「ええ。以前お話したとおり、他の刑事の方に伝えてもいいですよ。仕方がないですからね。」

 そう言うと、遠藤は力なく笑った。玉橋刑事はそんな遠藤の様子を見て、胸の中がぐっとなったが、それを顔に出すことはなかった。

「遠藤さん、ありがとうございます。」

 玉橋刑事は自身の感情を顔には確かに出さなかった。しかし、彼女の声色が少し優しくなり、遠藤のことを気遣うような素振りを見せ始めたことに、遠藤明はすぐに気がついた。

「とりあえず場所を移動しませんか?玉橋刑事に来ていただきたいところがありまして。」

 遠藤明は自身の口角が上がりそうになるのを感じ、それを必死に抑えながら玉橋刑事に言った。

「その場所とはどこですか?」

「今は言えません。でも案内します。この車の後ろの席に乗ってもらえませんか?」

 遠藤は乗ってきた軽自動車の後部座席のドアを静かに開けた。玉橋刑事は遠藤に促されながら助手席側の席に座った。

“バタン。”

 軽自動車の後部座席のドアを遠藤はゆっくりと閉めた。この時、この車が人生最後に乗る車だとは、玉橋刑事が知るよしもなかった。

「それと今日、運転してくださる方を紹介したいのですが。おそらく玉橋刑事はどなたか知っていると思いますけど。」

 玉橋刑事を後部座席に座らせた後、遠藤はぶっきらぼうに彼女に言った。この遠藤の言葉を受けて、彼女たちが乗る軽自動車の運転手が玉橋刑事の方へと顔を向けた。

「もしかして、今井雄一さんですか?今井佳枝さんのお父様の。」

「はい。今井です。」

 それだけ言うと、今井雄一は前に向き直った。

(あれ?宮本さんと山口さんの話では優しそうなお父さんだったはずなのに。もしかして今井佳枝さんの名前を出したのがいけなかったのかもしれない。)

 玉橋刑事は自身の失言を反省した。自分の愛娘が、市民を守るはずの警察官の一人に弄ばれたのだ。警察官に良い印象を持っているはずがなかった。玉橋刑事は、前回、宮本と山口の両刑事が訪ねたとき、今井雄一はただ我慢していただけだったのだろうと推測した。

 この玉橋刑事の推測は正しかった。しかし、彼女は今井雄一が今現在、前回以上に我慢していることを知らなかった。今井雄一は、その内にある強大な殺意を我慢するのに必死だった。遠藤明という女に『人間を辞める』と宣言してから、それまでの人物像とは全く異なる思考回路を持つ生き物に変容してしまったのである。ストッパーが外れてしまい、同族であるはずの人間を害することに何のためらいもない生物になったのである。

 しかし、今井雄一は自身の身に起こったこの変化に対し、どこかが憑き物が落ちたようなすっきりとした爽やかさを感じていた。彼はこれに快感さえ覚えていた。今まで復讐という禁忌を犯したくてたまらなかった今井雄一であったが、自身がそれまで信じてきた宗教により、一線を越えることができなかった。娘の死により、ずっと自身の心の拠り所であった宗教に対して裏切られたという気持ちが生まれ、最愛の妻を失ったことによる喪失感が重なったことで、彼の精神は限界を迎えていたのである。遠藤明がいなければ彼の心は壊れてしまっていただろう。つまり、遠藤は図らずして今井雄一の心を救っていたのである。人間であれば死んでしまったはずの心も、人間でなくなれば生き続けることができるのである。

「さあ、行きましょうか。30分ほどで目的地には着くと思います。では、今井さん。運転お願いします。」

 遠藤は玉橋刑事には顔を向けないまま、今井雄一に言った。それに対し、今井雄一は殺意に震える手を必死に押さえつけながら、無言でハンドルを握り直すのであった。

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