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7月28日。
(今日もあまり良い成果がない。うちの課、先月も先々月も営業成績あまり良くないんだよなあ。なんでみんな俺みたいに仕事ができねえんだよ。)
安藤興介は出勤しながらそう思った。彼は世間でよく言う仕事ができる男だった。そのため自分の部署の他のメンバー達の営業成績があまり芳しくないことに対して、常にいらだちを覚えていた。
「おはようございます、安藤課長。今日も早いですね。」
安藤が自分のオフィスに到着すると、すでに出勤していた今井佳枝が彼に声をかけてきた。
「いやあ、いつも君には負けるけどね。始業まであと十五分ぐらいあるからちょっとお茶でもどうだい?」
「いいですね。是非ご一緒させてください。」
今井は笑顔で安藤に賛同したが、安藤は今井に対してあまりいい印象を持ってはいなかった。
(お前はうちの部署の中ではいつも一番に出勤するが、営業成績は下から数えた方が早いじゃねえか。営業成績もいつも一番になれよ。)
安藤は心の底からそう思った。彼の部署の数少ない女性社員の今井佳枝はいつも一番に会社に来て、そして外回りでも結構な時間まで粘っている。彼もその事についてはよく知っているが、仕事は結果が全てだ。『頑張っているんだけど』は通用しない。それが通用するのは小学生までだ。
「おはようございます。お二人とも今日も早いですね。」
「おはよう、望月君。今日は珍しく結構早く来たね。どうしたんだい?」
安藤の次に出勤してきた望月薫が、彼に声を掛けてきた。
望月は黒髪に黒縁眼鏡の『まじめ』という言葉をそのまま人間にしたような人物だが、彼の営業成績は平均よりちょっと上ぐらいであるため、安藤は『その外見ならもっとできる奴だと思っていたのに』と勝手にいつも彼にがっかりしていた。
「どうしてって、今日は会社の飲み会じゃないですか。だから残業をしないように準備を早く済ませ、少しでも早く業務に取りかかろうと思っていたんです。もしかして課長忘れちゃったんですか?」
「ああ、そうだった。さっきまで忘れていた。危なかったよ。ありがとね。」
「もう、しっかりしてくださいよ。もしかして課長、最近ちょっと疲れているんじゃないですか?明日からは休日ですので、今日の飲み会が終わったらゆっくり休んでくださいね。」
望月は安藤に笑顔でそう言ったが、安藤は心の中で望月に対して悪態をついていた。
(そうだよ、疲れているよ。お前らの営業成績があまり良くないから、中間管理職の俺にそのしわ寄せが来るんだよ。)
安藤は顔には出さないものの、内心ではイライラしていた。安藤の部署では月のノルマを達成できない奴が数人いる。『ノルマは最低条件だというのにその事についてわかっていない』と、彼は常にその事が悩みの種の一つになっていた。
(それにしても、今日飲み会か。また社長や副社長に接待しないとならないし、他の部署の部長から営業自慢を聞かされそうだ。)
安藤はそう思って、心の中でため息をついた。彼にとって会社の飲み会ほど嫌なものはない。課長だというのに接待に気を遣い、他の部署の自慢話を聞く。面倒で憂鬱な時間を今回も過ごすだろう。彼はそれが心の底から嫌であった。
時計が午前9時を伝える。それと同時に八雲製作所第二営業部の朝の朝礼が始まった。第二営業部は男7名、女4名の総勢11名で形成されている。
「今日も10時までは各自メールのチェックや資料整理などの事務作業をして、その後外回りがある者は外出、発注作業やプレゼン作成がある者はそれらの業務に当たる。そして今日は社長や副社長も参加する飲み会が夜の7時からあるから、定時である六時までには全ての作業を終わらせるぞ。何か報告することがある者は?」
安藤は声を張上げて言った。
「伊東ゼネコンへ提出する見積書の作成が来週の水曜日までなのですが、下請けからの納品が遅れているので、それによって多少変更しなくてはならない箇所が出ていまして、経理部の人が9時30分にうちの部署に訪ねてくるそうです。」
安藤の質問に対して今井が声を上げた。
「そうか。対応は・・・そうだな、丸山君に任せていいかい?念のため私も見積もりの作成には参加するよ。」
「了解です。」
安藤が発言した直後、丸山という男性社員がすぐに答えた。
「じゃあ皆、今日も張り切っていこう。」
「「「はい!」」」
安藤の声に第二営業部のメンバーが答える。安藤はこの朝礼も面倒で嫌いだった。全員がすでに知っていることを、いちいち確認し合うことに何の意味があるのかと彼は考えていた。