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死期予見  作者: 本郷真人
第八章
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(3)

 10月4日午前9時。

 特別チームの宮本彰吾刑事と山口順平刑事の二人は、二年前に渡部斉紀刑事の自宅で発見された今井佳枝の遺族のもとに覆面パトカーで向かっていた。運転をしているのは、車好きなベテランの山口刑事だった。宮本刑事は助手席に座り、山口刑事にこれから会う予定の人物について報告していた。

「渡部宅で焼死体となって発見された今井佳枝には父親と母親がいました。しかし、今から約一年前に今井佳枝の母親は自殺しています。自宅でドアノブに紐をかけて、首を吊っていたそうです。今日、これから我々が会いに行く今井佳枝の父親、今井雄一がその第一発見者でした。今井佳枝が亡くなった後、彼女の母親は鬱病状態となり、自傷行為をするようになったそうです。病院には通っていたのですが、限界に達してしまったのでしょう。自分の娘が悲惨な最期を迎えたことに耐えられず、自ら命を絶ってしまった。妻が死んだ後、夫である今井雄一は仕事を辞め、一人で暮らしているようです。」

 宮本刑事が山口刑事に説明した。

「なんだか救われない話だね。」

 山口刑事は、宮本刑事の話を聞いて気分が悪くなった。

「今井雄一さんは妻が自殺した家に今も一人でいると。」

「はい。一度は自宅を売却しようと試みたそうなのですが、結局、妻と娘の思い出が詰まったその家を売ることができなかったとのことでした。昨日、電話で本人が話してくれました。」

「そうですか。その、ご本人はどのような様子だった?」

「電話越しだったので、なんとも言えませんが、声色からそこまで我々警察のことを敵視しているというような様子ではないように思えました。」

 この会話を最後に、二人はしばらくの間黙った。山口刑事は無言でハンドルを握り続けた。その後、どれだけこのパトカーのエンジン音のみの静かな時間が流れただろうか。二人が乗っていた覆面パトカーは、今井佳枝の父親である今井雄一の自宅である木造の平屋住宅に到着した。


「刑事さん達、ようこそ。昨日、電話に出ました佳枝の父の今井雄一です。」

 宮本刑事と山口刑事が今井宅のドアの前に立ってインターフォンを鳴らすと、今井雄一は軽い挨拶をし、二人を出迎えてくれた。

「今井さん、ありがとうございます。昨日、お電話いたしました宮本です。警察庁から来ました。こちらは同じく警察庁から来ました山口です。」

「山口です。初めまして。」

 宮本刑事と山口刑事は、二人とも警察手帳を見せながら今井雄一に挨拶を返した。

「立ち話も何ですし、どうぞ入ってください。」

 今井雄一は二人を自宅に入れ、リビングに案内した。リビングを刑事達に教えた今井は、台所に赴き、彼らのために冷えた緑茶を取りに行った。

 今井宅のリビングに着くと、山口刑事は壁に掛けられているいくつもの額縁に入った写真に目が行った。

「この女性が渡部巡査部長の自宅で発見された今井佳枝さんですね。」

 宮本刑事は写真を眺めている山口刑事に気がつくと、彼が見ていた写真を見つめた。

「はい。彼女が今井佳枝さんです。捜査資料で見た人物と一致しています。」

 山口刑事は一つの写真を見つめていた。今井家の三人が仲良く並んで写っている家族写真だった。その写真の撮影場所は、現在山口刑事と宮本刑事がいる今井宅のリビングだった。写真の真ん中には今井佳枝が、そしてその両隣に彼女の両親が立っていた。二人とも今井佳枝の肩に手を回している。今井佳枝が真っ黒なリクルートスーツを着ていることから、就職祝いで撮ったものだろうかと、山口刑事は推測した。

「三人とも幸せそうですね。」

 写真を見ていた宮本刑事がつぶやいた。

 写真に写っている今井家の人達は全員が笑顔を浮かべていた。悩みなど一つも無いという感情を体現したような満面の笑みである。まるで結婚式の記念写真の新郎新婦や葬式に置かれる遺影の故人が浮かべるような笑顔だった。

「この写真を撮っているときは、その数年後に待っていることなんて、思いもしなかったでしょうね。なんて言うか、本当にひどい話です。」

 宮本刑事は苦い顔を浮かべた。彼の発言に、長年刑事を務め、悲惨な凶悪事件の捜査を少しばかり経験したこともある山口刑事は、口には出さなかったが心の中で同意した。

 ただの他人の家族写真を見ていただけであるというのに、二人の刑事はとても憂鬱な気持ちになった。殺人事件を捜査する捜査一課の刑事である二人は、日頃からあることを心掛けていた。『物事を必ず客観的に見る。事件に対して余計な心情を持たない』という警察官にとっては当たり前の事であった。

 被害者に過度な同情心を持ってしまうことで、捜査に悪影響を及ぼすことがある。客観的に考えることができなくなるからである。

 例えば、良くある痴漢事件が冤罪であった場合のことである。その事件の被害者の女は、日頃から満員列車を利用しては、適当な男性に目を付けて窃盗行為を繰り返していた。ある日、いつものように目を付けた男性のポケットから財布を取ろうとしたが、それに男性は気づいてしまった。結果、その女は男性に痴漢行為を受けたと騒ぎ立て、窃盗犯の女は無罪放免になり、本当の被害者である男性は警察に逮捕されて人生を壊されてしまった。この時、男性はやって来た警察官に必死になって弁明を訴えたが、対応した女性警官は加害者であった女に同情し、彼女の話を全て信じてしまい、彼の話に全く耳を傾けなかった。

 このように、警察官とは全てのことに無感情で取り組むべき職業であり、ましてやその心情を事件の当事者達に向けてしまうことは職務怠慢に値する恥ずべき行動なのである。

「刑事さん達、お茶が入りましたよ。お熱いですので、気をつけてくださいね。」

 リビングで今井家の家族写真を眺めていた宮本刑事と山口刑事のもとに、二つの湯呑み茶碗を載せたお盆を持った今井雄一がやって来た。それを見た二人の刑事は、リビングの壁際から、部屋の中央にあるテーブルとソファに向かった。

「今井さん、すみません。ありがとうございます。」

 湯呑み茶碗を受け取った宮本刑事はすぐに礼を述べた。彼の次に湯呑み茶碗を受け取った山口刑事もその直後に今井雄一に礼を言った。

「いえ、お気になさらないでください。こんなところまでわざわざご苦労様でした。」

 刑事達がソファに座ると、それに向かい合って、今井雄一も彼らとは面と向かって対になっているソファに腰を下ろした。

「それで、確か二年前のことを聞きたいのでしたね。」

「はい。」

 山口刑事が静かに応えた。その次に宮本刑事が話し始めた。

「私達は蔵岡署の刑事ではないのです。東京にある本庁からこの蔵岡市にやって来たんです。」

「蔵岡署の人じゃ無かったんですか。」

 宮本刑事の言葉を聞いた今井雄一は、その際、一瞬であったが表情を変えたのだが、二人の刑事はそれに気づかなかった。

「はい。電話でもお話ししたと思うのですが、私たちは二年前にこの蔵岡市で起きた凄惨な一連の事件について、もう一度調べ直しています。それで、事件と少しでも関わりがある人達にお話を聞いて回っているんです。」

「事件を再捜査することになった理由は何ですか?」

「捜査中ですので詳しく語ることはできないのですが、少しばかりまだ不可解な点がありまして。今はまだなんとも言えないのですが。」

「なるほど。」

「それで、事件の被害者である今井佳枝さんについて、お父様である雄一さんのお話をお伺いしたいと思ったんです。」

 宮本刑事はそう言うと、胸ポケットから手帳と独特なデザインが施されている値段が高そうなボールペンを取り出した。

「確か今井佳枝さんは、あのバス放火事件があった前の日から家に帰らなくなったのでしたね。」

「はい。佳枝はいつも遅くても夜8時までには家に帰っていたんです。二年前にも警察に話したのですが、あの日はいつまで経っても帰ってこなくて。その次の日にバスの事件があったじゃないですか。佳枝が家に帰ってこなくなってから二日後の夜のニュースで放火事件の被害者が全員、佳枝が勤めている八雲製作所の社員だったと知って、もう気が気じゃ無くなって。もちろん、警察署にすぐに駆け込みましたよ。でも佳枝は帰ってこなかった。」

 今井雄一は右手で目を覆って俯いた。彼の左手は震えながら握り拳を作っていた。

「数日後にあの刑事の家が放火されて、その家から見つかった遺体の一つが佳枝である可能性が高いと警察から連絡が来ました。安置所で娘の遺体を見ましたよ。真っ黒で変な形をした木の枝みたいで、最初は人間であることさえ気がつきませんでしたよ。」

 今井雄一の口から乾いた笑い声が出た。それが『楽』を意味する笑いでないことは明白だった。

「妻はそれを見た瞬間に気を失ってしまいましてね。結局、私一人で確認することになりました。娘の遺体はね、それはもうひどいものでしたよ。真っ黒に焼け焦げてしまっていることはもちろんでしたが、指が一本もありませんでした。両手足全てです。右腕も変なふうに折れ曲がっていました。ああ、本当に酷かったんですよ。おそらくなのですが、焼死体だから分からなかっただけで、娘は他にも酷いことをされたと思います。」

 まるで何かに取り憑かれたように今井雄一は話し続けた。二人の刑事がそれに挟む余地は皆無であった。

「佳枝の遺体を引き取ってから数週間後、数人の警察官が家を訪ねてきました。娘の指を持ってね。彼らが事件の詳細を丁寧に話してくれましたよ。娘は警察官に誘拐されていたこと。そこでどんな目に遭っていたか。そしてその警察官の家があの殺人鬼に放火されて、その家に監禁されていた娘も焼け死んでしまったこと。全て話してくれましたよ。いや、まさか娘を連れ去った犯人が警察官だったとはね。本当に驚きましたよ。」

 今井雄一の話を聞いていた二人の刑事は少し顔をしかめた。

「そいつは人の娘を弄んで、指を切り落として持ち歩くような変態でした。なんでそんな奴が警察やってるんですか。おかしいでしょう?本当にあり得ない。心底警察には失望しましたよ。」

 ここまで一気に話した今井雄一は大きく息を吐いた。まるでこの時まで全く呼吸をせず、ここで溜まっていた二酸化炭素を、身体の外に一気に放出したようだった。

「これが私の娘に起こったことの全てです。東京の刑事さん達、満足しましたか?これ以上の事は何も存じません。もう妻も死んでしまい、私には何も残っていません。」

 今井雄一が話し終わると、山口刑事はカラカラに乾いた喉を潤すために、湯呑み茶碗に口を付けた。ぬるく冷め切ってしまったその中身は全く味がしなかった。

 結局、宮本刑事と山口刑事は適当に今井雄一と会話すると、その後、すぐさま逃げるように今井宅を後にした。蔵岡署へ戻る途中、パトカーの車内では二人の間に一言も会話は無かった。


 穴蔵に逃げ込む野ウサギのように、足早に帰って行った二人の刑事を見送ると、今井雄一は無表情のまま玄関とリビングをつないでいる廊下に向かった。廊下には棚があり、その上には今井宅の固定電話が置かれていた。

 今井雄一は受話器を取ると、すぐさま番号を入力して電話をかけた。その相手はなかなか電話に出なかったが、しばらくするとその人物と電話が繋がった。

「もしもし、今井です。今、刑事達が帰って行きましたよ。遠藤さん、あなたが言ったとおりでした。あいつらは蔵岡署の人間じゃなくて、東京から来たと言っていました。」

『やはりそうでしたか。ようやく私が言ったことを信じてくれるようになったのですね、今井さん。嬉しいです。あなたが協力してくだされば、本当に心強いですよ。私一人だと無理がありますから。』

「私は何でもしますよ!娘は全て奪われたんだ。佳枝がどれほどつらい思いをしたか。遠藤さんが言ったようなことが本当に行われているんですね。」

『はい。今井さんのお宅に本庁からわざわざ刑事がやって来たというなら間違いありません。いいですか、今井さん。警察とはそういう組織なのです。今井さんは覚えていますか?昔、関西で起こった警察による窃盗事件の隠蔽工作を。一人の妊婦が交番に大金が入った封筒の落とし物を届けたら、それを受け取った警察官が着服し、そしてただの落とし物を届けただけの身重な女性をその犯人に仕立て上げたというとんでもない事件です。』

「ええ、覚えています。事件当時、私はまだ学生でした。連日、この事件のニュースが大々的に報道され、それを観ていた私の両親は酷く憤慨していましたよ。警察は可哀想な妊婦を組織ぐるみで犯人に仕立て上げようとしました。彼女は妊娠しているにもかかわらず、数時間の取り調べも受けました。あれはただの冤罪事件なんかではありません。警察による犯罪です。」

『はっきり言いましょう。警察という組織はその時から何も変わっていません。当たり前です。未曾有の凶悪事件の捜査なんかよりも、無能な汚職政治家の警護に力を注ぐような連中です。あなたも気づいていたのでは?娘さんは遺体となって発見されました。警察官の自宅からね。なぜ警察がすぐに見つけることができなかったか知っていますか?連続猟奇殺人事件、そしてバス放火事件の捜査ばかりに目を向け、娘さんの捜索なんて一切していなかったからですよ。誘拐犯人は連続猟奇殺人事件を追っている仲間の一人だったというのにね。』

「あの鬼畜め。人の娘になんてことを!」

『今井さん、警察は全てを隠蔽する気ですよ。新しく別の人物を犯人に仕立て上げるつもりです。一連の猟奇殺人事件は、警察の発表通り花村のぼるの犯行で間違いないでしょう。しかし、あなたの娘さんを誘拐した犯人を警察は変更するつもりです。また無関係な善良な一般市民が犠牲になります。佳枝さんに起こったことの全てがうやむやにされます。なんとしてもこれだけは阻止しなければなりません。』

「ああ、そうですね。どんな手を使ってでも警察を止めなければ。奴らに報いを受けさせなくては。」

『そうです。そうですよ、今井さん。彼らは人としてやってはいけないことをした。そして今もそれを続けています。娘さんのためにも私たちが行動しなければならないのです。もはや国も法律も当てになりません。なぜなら全て繋がっているからです。カインがアベルを殺した時、カインを捌いたのは人間でしたか?いいえ、彼を呪ったのは神でした。結局のところ、人が人を裁くのは傲慢と言えましょう。何故なら、人間は誰もが欲を持つからです。裁きを下す者が人間である限り、罪人は正当な罰を受けないでしょう。』

「では、私たちはどうすればいいのですか?警察は巨大だ。何をやっても無駄になってしまう。」

『どうすればいいか。そんなことは決まっています。人の理から外れるのです。私たちが人間ではないものになればいいのですよ。』

「というと?」

『一緒に魔物になりましょう。落ちるところまで一緒に落ちましょう。失うものは、あなたにはもうないのでしょう?私も同じです。私も家族親族全て死にました。唯一の心の支えであった友人でさえあの事件で失いました。人に裁けないのなら、人ではなくなった私たちが直々に手を下さなくてはなりません。さあ、どうしますか?熱心なキリスト教徒であるあなたには酷な話かと思います。しかし、私も同じキリスト信者です。それでも私はこの道を選ぶことにしました。全てを真の意味で正すために。あなたはどうですか?その覚悟がありますか?』

 遠藤の問いかけに対し、今井雄一はしばらく口を開くことができなかった。しかし、3分間という長い沈黙の後、彼は遂に言葉を発した。

「なります。私も人間辞めます。私は全てを失った。ずっと信じてきた神にさえ裏切られたのです。遠藤さん、お願いです。私を使ってください。お願いします。」

『ありがとうございます。今井さん、あなたを利用するなんてとんでもない。あなたは唯一の私の味方であり協力者です。一緒に巨悪を討ち滅ぼしましょう。もし神が本当にいるのならば、祝福は間違いなく私たちに訪れるでしょう。詳しいことについては、また後日連絡します。あなたが私に味方してくれて本当にありがたいですよ。』

 受話器を置いた今井雄一の目には光が灯っていた。それは幸福の光ではなく、復讐に燃える炎だった。


 今井雄一との通話を終えた遠藤は、真っ黒なガラケーを持っていたバックにしまった。そのバックの中には、シルバーのスマートフォンも入っていた。

「私がキリスト信者のわけがないでしょう。本当にこれだから信者は。私にとって、そんじょそこらの宗教とニュースに出てくるようなカルトの違いなんて全くないにも等しいのに。キリスト教徒だって昔は十字軍とかかっこつけて、哀れな異教徒を散々殺しまくったじゃない。女、子どもも平気で犯すし。カルトと何が違うんだか。そもそも宗教なんてものは、力がないひ弱な人間がすがるために生み出したただの偶像でしかないというのに。」

 遠藤はため息をついた。

「でも、まあ利用しやすいといったらそうか。彼らほど頭空っぽな馬鹿どもは他にいないしね。」

 遠藤は軽く笑うと鼻歌を歌い始めた。それは彼女が生まれる前に発売されていたホラーゲームのメインテーマだった。

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