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「さあ、もうすぐ着きますよ。」
この運転席から客席に声が掛けられた。
「ちょっと待ってくれませんか。ここって数年前に死亡事故が起こった落盤したトンネルじゃあないですか。たしかトンネルの数メートル手前には通行禁止のフェンスもあるはずです。なんで通れたんですか。」
安野幸大が運転席に向かってそう叫んだが、バスはそのままトンネルの中に入っていった。
「このトンネルのことは皆さん蔵岡市民ならばご存じですよね。6名もの死者を出した湯野岬第二トンネル。蔵岡市中心街から港町である湯野岬地域に通じる三本の道路の一つにあり、今は通行禁止となったトンネルです。」
中型バスは、ライトが一つも無い真っ暗闇のトンネルをどんどん進んでいく。そして40秒ほど進んだところでバスは停まった。
「さて、皆さん。着きました。目的地です。」
運転手はバスのエンジンを切り、席から立ち上がって客席に向かって立った。バスの乗客達はこの頃には既に、この運転手に対して不安を抱き始めていた。最初のうちは自分達の会社の人事部長の名前を知っていたことから、この運転手に対して乗客達はある一定の信頼を置いていた。しかし運転手の不審な行動が増えるにつれ、彼らの不安は増していった。
「こんなところに来て本当に大丈夫なんですか?ここはいつまた落盤が起こるかわからないんですよ。」
安野幸大が運転手に聞いた。
「安野さん、何を言っているんですか。貴方も知っているでしょう。このトンネルに付けられている補強用の柱を見てください。この100メートルほど先は、確かにまだ事故の痕跡は残ってはいますが、何の心配もありませんよ。」
運転手は運転席のドアを開くとゆっくりと外に降りた。そして「ふう。」と一息つくとドアを静かに閉めた。
「ああ、皆さんは降りなくても大丈夫ですよ。」
バスを降りようとした社員たちに運転手が声を掛けた。彼はマグネットの着いた何かを、バスから降りるときに一緒に持ってきた鞄から取り出すと、しばらくそれを眺めた。そして客席のドアの前まで来るとそれをドアに取り付けた。
「さて、皆さんに少し聞きたいことがあります。あなたたちの会社の経理部に一人の女性社員がいたと思うのですが。名前は遠藤明。」
運転手はバスの外から乗客達に話しかけた。運転手がその名を口に出した時、バスの中で二人が反応した。望月薫と丸山周平である。
「なんでもこの中に、彼女の悪評を流した人がいるみたいでね。何か知っている人はいませんか?」
運転手が優しげな口調で尋ねた。
「遠藤は数日前にうちの会社を退職した社員です。なぜ彼女のことを?」
安野幸大が尋ねると、運転手は少し顔をしかめた。
「質問しているのはこちらなのですが。まあ、もういいです。誰かはわかってはいますが、皆さん黙認していたでしょう。つまり連帯責任です。」
運転手の口から出たのは、バスの乗客達への死刑宣告だった。しかし、バスの乗客達は依然全くといっていいほど状況を飲み込むことが出来てはいなかった。当たり前である。現実世界でこれから起こることを予測することなど不可能だからである。
「このバスのエアコンは、普段は乗客もスイッチの切り替えが出来るようになっていますが、現在は運転席にその主導権が移っています。さらに言えば、このバスは中古とはいえ、結構ハイテクでしてね。このスマートキーでもそのエアコンの動作が、運転席に主導権が移った時のみ出来るんですよ。」
運転手は窓から乗客達にバスのスマートキーを見せびらかしながら言った。
「話は変わりますが、皆さんは自動車用の消臭剤や芳香剤は知っていますよね。エアコンの通気口などに付けるものです。通気口から出る風によって、社内全体に消臭成分や香りを行き渡らせることが出来ます。今回はエアコンの通気口の裏の全てにとあるものを散布しましてね。」
そう言うと、運転手は持っていたスマートキーのスイッチを押し、バスのエアコンを動かし始めた。すると社内には誰もが一度は嗅いだことがある臭いが漂い始めた。
「この臭い、もしかして・・・。」
この発言をしたのが誰かはわからなかった。これから起こることにようやく気づいた者がバスの車内に出てはいたが、もう既に遅すぎていた。
「バスの語源はラテン語由来で、『皆のため』という意味らしいですよ。まさに『連帯責任』にぴったりな罰だとは思いませんか。」
そう言うと、運転手は3センチほど空いていた、運転席の窓にポケットから出したプラスチック製の使い捨てライターをバスに投げ入れたのだった。




