魔術禍りて憚りて 紙術芝居の夜に
※この物語はフィクションです
主人公 紬 灯十間炉 19歳
華族から一般庶民へと転落した一族の末裔。母の一族は、御家再興を期待された長兄を残し、東京府内の有力者の元へと姉妹達を嫁がせた。母はその一人。どの様な経緯で『引き札』の彫刻師へのもとへ嫁ぐ事となったのか、今となっては知り得ようがない。灯十間炉を産んだ母は、5歳の時に病いでこの世を去る。幼い頃より厳格な父の元、家業である 引き札 の版彫刻の修行に勤しんだ。頑なで職人気質だった父は 大量生産の波には乗らず 家業をたたむ事を選んだ。そんな父も感冒により他界をしたのは一昨年のこと。
ひと ふた み よ いつ むゆ なな や ここのたり ふるべ ゆらゆらと ふるべ
かくなしては まかりしひとも いきかえらむ
「まだ、そんな使い古した手口を引っ張り出してくるのかね」
「これ以上は…… 築き上げた太平の世を掘り崩させは… せんよ」
「先般からの魔女騒ぎ、民衆を焚き付けての騒動、お前が火種であろう」
「それは 人形の一つに加わり、愛でられたものの言い草に過ぎん」
「こんな 舶来品の呪いに頼る痴れ者が 何を偉そうに」
「そんなものは列強国へ下る 先触れに過んのだよ」
「生憎、それを決めるのも民衆の生業、立役者も交代する時代」
「下郎共は櫓の上にも立たず 足下で喚き散らすのは変わらん」
それまで続く 藩閥・官僚制は、民衆の怒りによって政変を余儀なくさせた。この機を境に世間は民主主義の色彩へと色濃く染めはじめる。それでも民衆が望んだ理想の時代は 手に届きそうで届かない。この地続きの先にあるは 混沌の時代でしかない。
──── そしてその先にあるのは。
*
それは大正2年の1月のとある出来事 ────
ある互礼会の席で、突然暴れ出した企業の役員がいたそうだ。偶々そこに出席していた グリッグス大使が、母国で同じ症状の者を診たという。日本でも憑き物は古くから多くの人々が知るオカルトの一種だ。
グリッグス大使は、精神科医である事でも よく知られている人物。男に憑いたのは人の精神を巣食う魔によるものだという。そしてその魔がどれほど大きなものかを診断し、適切な処置を施すことが可能だ とも。すると愛用のトランクから軟膏の様なものを取り出し、それを取り押さえられて もがき苦しんでいる男の首筋に印の様なものを印した。
『この男の魔は取り払った』そう言うと、先ほどまで悪鬼に取り憑かれたとでも言うべき形相も すっかり平常を取り戻していた。暫くして立ち上がった男は 自身に何が起こったのか記憶にないという具合だ。
それは魔術という。魔に対する学問であり 医療術でもあるのだという。
この類の話しは最初から この二人がグルというのが相場である。そしてこの後、『魔に取り憑かれし時のために軟膏を』と聴衆を煽って買わせるは、タチの悪い詐欺の常套手段である。だがそれは怪しまれること請け合いだ。当然の様に紳士である グリッグス大使はその様な真似はしない。
だが やはりというべきか、後日の事である。この互礼会に出席した者が 次々と異常な行動を行う。家族が グリッグス大使のもとを訪れ、魔術による治療を求めた事とは言うまでもない。
魔の力というのは そう都合良く 憑き物を降霊する術があるというのだろうか? 些か疑問ではある。恐らく潜伏期間のある様なものでも仕込んでいたと見立てるのが正しい。
だが、魔術の助けを求めた者達は、グリックス大使の下で在るべき姿となり 大使館を後にしていった。
*
今はもう2月も、下旬だ ────
「そこのお兄さん、こんな夜遅くに何かお探しものかしら?」
「これは 二条垣 家のご令嬢、典子 様。こなん夜更けに如何なされました」
「貴方は警部補の……、確か…、」
「高崎 です。こんな夜分に出歩くなど。家までお送り致します」
小雪がちらつき 街灯に照らせれて 儚く舞う ────
「ここは寒い。さあ」
「優しい人」
「お嬢様。お父様には若い頃からお世話になっております」
「そうなの? 私のお世話もして頂けないかしら? 」
「それは結構な事です。是非お手合わせ願いたいものです」
「良かったわ、」
──── やっと食事にありつけそう
高崎 警部補は女の顔を見てのけ反った。鼻から下の面の皮がなく、牙の様に剥き出した歯から涎が滴っているではないか。恐れ慄いて後退りしようにも腰に回していた腕を掴まれてしまっている。
「ふッ、ひぃいいッ。離せ化け物‼︎」
「酷い言い草ね。仕方ないわ、腕から噛みちぎってあげるわね」
バキバキッ ぶッビュっ ジュビュルルルルッ
鮮血が顔に飛び散り、より快楽の迫真に迫らせる。
噛みちぎった腕を むしゃぶりながら、かつて女性だった 禍りし物 は振り返った。
トンビコートを羽織った首元は シャツにネクタイが垣間見え、後ろに縛った伸びた髪が ソフト帽子から靡いている。身長は成人男性より低く 身体の線は細い。未だ 大人の シルエットをしていない。
「坊やも一緒に食べたい? それとも食べられたい?」
「よく口舌る 痴れ者だ。誰に苗付けされたのかね」
「柔らかくて美味しいそうね、若い方が美味しいのはどれも同じ、、、」
その 禍りし物 が喰らっていたのは、──── オイルランプ
顔面に飛び散ったオイルに引火すると、禍りし物 は顔を手で覆って のたうち回った。
「己れこの、」
小柄な男は 羽織ったコートの下から、この 禍りし物 の眼前に札を撒く。
札を縁取る氷晶 ──── ひらひらと表裏を返して舞い落ちる
望楼の腐れ、微睡の淵に謳歌せよ ────
それは規則正しく並び、一枚絵の様に絵札と背札の反転を繰り返した。
それを目にした者は 視点刺激を受け 感覚統合を狂わされて魅入ってしまう。絵札の表裏反転の繰り返しが 明暗点滅による 光過敏性のてんかん症状を引き起こさせると、脳裏には すべての絵札を同時に開いては伏せてのフラッシュバックを繰り返させる。
十代目 紬屋 紬 灯十間炉 の得意とする幻術
『紙術芝居』
禍りし物 は幻術の中で 札に描かれた 印 を読み解き、自灯明 を心得るまでそれを繰り返す。
灯十間炉 が首筋を指先で触れると 既に脈はない。死人に近い状態だったのだろう 幻術の中で事切れたか…。首筋の黒い染の様に広がる刺し傷を確認した。何らの菌核を刺し込み、生死の半ばにある この女性に薬物を与えて続けて下僕としていた者がいる。剥ぎ取られたかの様な顔は元に戻っている。
「魔術師を… さ」
ガチッ
「そこの貴様。両手を上げて立ち上がれ」
「……、女性が倒れていたのでどうしたのかと」
「いいから、ゆっくりと 此方を向け」
灯十間炉 は、頭を下げて帽子のツバで顔が隠れる様に振り返った。男は警察官だ。銃口が向けられている ────
「ひぃぃぃーーッ たた、助けてくれッ」
「落ち着け、高崎‼︎」
「か、片桐警視ッ⁉︎ お、女が、、、バケモノだーッ!」
「ここに来て何をしていたッ」
この銃口を向けた男は細身で長身、動じることのない 切れ長の鋭い眼光を向けている。
「貴様、顔を上げろ」
「それより 倒れている女性は大丈夫なのかね」
「高崎、確認しろッ」
「い、嫌だーッ」
高崎警部補がその場から走って逃げると、片桐警視 と呼ばれた男は目の端でそれを追った。
風が 髪と雪を巻き上げる ────
「貴様、動くな」
「引き金を引くのは よしておいた方がいい」
灯十間炉 は顔を下げたまま後退りすると、振り返って走った。
「やむを得んッ」
ダンッ 空に威嚇射撃をした 片桐警視は、銃口の先に 走り出した 灯十間炉 を正眼に捉えていた。
「止まれッ、止まらぬと撃つぞ‼︎」
ダンッ 引き金を引き終わると同時に 灯十間炉 はその場に倒れ 雪が舞った。
「何、いないッ 何処へいった、確かに命中したはず… 」
「片桐警視ーッ」
近くを巡回する警官達が 銃声を聞きつけ集まった。
「ご無事でしたか?」
「狐に化かされたか…… 」
「はい?」
「そこに倒れているのは、二条垣 家のご令嬢だ、応援を呼べ」
「はッ」
*
あれから10日ほどが経ち、3月に入った ────
ウッドロウ・ウィルソンが第28代米大統領に就任。今後は更に 宣教師外交により、民主主義を強く押し進めてくることだろう。まさにその先触れとでもいうべき出来事である。
「片桐警視、未だ かの者の行方は掴めません」
「根気よく探すのだ」
「はッ!」
「高崎 警部補の様子はどうだ」
「医師からはこれ以上、当時のこと思い出させるのは危険だと」
「そうか… 分かった」
亡くなった令嬢は 二条垣 家の一族の者である。そして 1月下旬頃から捜索願いが出されていた。恐らく父親が 件の互礼会に出席していた事に 大きく関わっていると思われる。
その頃、灯十間炉 といえば。府内で幅を効かせる 白辺川 伯爵家の令嬢が洋服店を始めるという。その広告をするための引き札製作を承っていた。ちょうどこの日は 刷り上がった物を確認して貰うため 白辺川邸宅を訪れていた。
まさに道楽…… そう言ってしまえば民衆的だが、灯十間炉 がこうして仕事にありつけているのも 父や母の伝手であるのは事実。そして 灯十間炉 が昼間は別の顔を興じているのも また事実である。
「灯十間炉 様、とっても美しくて良い出来ですわ」
「お嬢様、そう言って頂けますと助かります」
「近頃は講義やデモなんかで、家も出して貰えませんのよ」
「致し方ありませんよ、近頃は物騒ですから」
「灯十間炉 様、このお洋服 羽織って頂けません?」
「まさかご冗談を」
ここの令嬢、白辺川 由利羽 は、自身がデザインして 仕立てさせたコートを手に取り 椅子にかけた。
「お友達には お会い出来ていませんし、お店に出す前に見てみたくて」
「使用人にお願いするというのは 如何でしょう」
「背格好は 灯十間炉 様が 丁度良さそうで… 何だか似合いそうな気がしますの」
「幼き頃より家業に勤しんでますので、こう見えて案外… 腕や肩周り、恐らく腰も……、女性のお召し物はキツいかと」
「あら、そうは見えませんわよ」
ここの女中頭が 茶と菓子の支度を指示し、仲働きが忙しく振る舞う。当然ではあるが 灯十間炉 のためではない。気を効かせた仲働の一人が、雑談中のお嬢様と 灯十間炉 の分をティーテーブルにそっと置いて下がった。
「何やらお忙しい様ですね」
「そうなのよ、今日 急に片桐警視がお見えになるっていうの」
「お嬢様に?」
「まさか、お祖父様よ。ただあの方……、とーっても、苦手なの」
「ええ、わかります」
「灯十間炉 様もご存知だったとは意外ですわ」
「いえ、前に一度見かけたことがあっただけで」
「女性にとっても人気のお方、お友達も皆んな 夢中ですのよ」
「そうでしたか」
近頃の騒動は 魔術で民衆を扇動させていると噂されている。華族や企業の役員も 藩閥政治に不満を示す者が後を立たない。時代の節目にあるのは確かではあるものの……。不穏な動きを感じるのも また確か。
「では、お忙しい様なのでこの辺でおいとまさせて、」
「いらっしゃいませー」
「片桐様がお見えになりましたー」
「不味い」
「お口に会いませんでしたか?」
「本日は 白辺川 伯爵とのお約束に参上しました」
「こちらにございます」
玄関ホール脇のラウンジで話しをしていた 灯十間炉 に声が聞こえている…、ということは片桐警視も こちらに居るのを察している。
「お嬢様もご在宅ですか?」
「そちらのラウンジで 紬 様と お茶をしております」
「では、少しご挨拶だけでも」
ホールとラウンジに扉はなく、そこから8歩で顔を覗かせるだろう。
「お嬢様、ご機嫌は如何でしょうか」
これ以上ない二枚目の爽やかな笑顔で二人に会釈をした。
「ご機嫌よう 片桐様」
片桐警視は、灯十間炉 を凝視して止まっている。
「君は…… 」
灯十間炉は 口に手を当てると、ティーテーブルを伏せ目で見てから 片桐警視に視線を戻した。
「失礼しました。つい見惚れてしまい ご無礼を」
片桐警視 はそう言って頭を下げると、横目で 灯十間炉 を見返して颯爽とラウンジを後にした。
「ですよね。あの片桐警視でさえ見抜けないだなんて」
「い、いえ少しキツかったかと」
「とってもお似合いですわよ、コート」
そこには、由利羽の勧めたタイトなコートを纏って、帽子をとった 灯十間炉 の姿があった。
*
それから数日後のある日の夕刻 ────
灯十間炉 はある華族の令嬢の跡を遠目からつけていた。赤坂にあるアメリカ大使館官舎を出入りするその令嬢は 苗付けされていて 魔術の媒体となると踏んでいたからだ。しかし 付けていたのはそれだけではなさそうだ。その令嬢を見張るかの様に 憲兵の防諜と見られる輩の他、片桐警視を含む数名の警察官の姿があった。
これは共同作戦などではなく 各々があのウツボカズラの匂いに吸い寄せられたに過ぎない。甘い蜜の匂いがする その隠れた裏側を覗き込もうとするがために。
「あれは、由利羽殿……、片桐警視も気づいたはず」
その令嬢が待ち合わせていた 白辺川 由利羽 を確認すると 灯十間炉 は陰に姿を溶かして眩ませた。
「不味いな、あれは 白辺川 伯爵のご令嬢だ」
「警視どうなされますか?」
「問題があってからでは遅い、保護する」
「はッ」
三名の部下を従えて足早に歩く 片桐警視 に一人の男が並走する。
「そこの角を曲がれ、片桐警視。私は陸軍憲兵隊 軍医部 准士官 平井 と申す」
「何っ、憲兵軍医だと」
「これは軍事作戦である。何も言わずに従え」
「馬鹿を言うな。今待ち合わせたのは 白辺川 伯爵のご令嬢だ」
「分かっている。餌として泳がせろと 上層部からの指示である」
「馬鹿共め。言うに事欠いて貴様。囮に使うだとッ」
「警視、流石に我々では」
「くッ… 、一度引く」
この 白辺川 由利羽 は外の事など何も知らない。恐らく待ち合わせた女性は 洋服店への引き込みであろう。だが相手が悪い。間違いなく引き込まれてしまうのは 白辺川 由利羽 の方だ。憲兵が尾行しているということは 政府の中枢は相当侵食されているか、五摂家の者を食い散らしたからだろう。
「お前達は待機組みと合流し、アメリカ大使館官舎を見張れ」
「警視は?」
「このまま引き下がれん、機をうかがい二人を引き離す」
「我々も、」
「二人とも私の知人だ、一人の方が上手くやれる。行けッ」
「はッ、ご無事で」
足の向く方角は築地、途中の其処彼処に外国人の出入りする屋敷がある。そこで見失えば手遅れとなる事は確かだ。片桐警視は機など狙わずに、偶然 出くわしたかの様に近づき半ば強引に 白辺川 由利羽 を連れ去る覚悟でいる。
奴らは背を見せれば首筋を喰いちぎる事を 幾度と現場検証をして知っている、だから尚更だ。
だが軍部は黙ってはいないだろう。灯十間炉 も 片桐警視、そして恐らくは軍部も、探しているのは何処が苗床になっているかだ。禍りし物は、苗付けなど出来ない。何処かへ連れ込み、菌核を刺し込む魔術師がいる。
グリックス大使がその一人である事は明らかだ。だがそれは軍部や警察に任せておけば良い。今も四六時中 張り付いているだろう。大使だけに慎重さが必要なだけで ヤルのはいつだって出来るだろう。だが、この状況下でも 新たな 禍りし物 は増えている。
──── 誰も知らない床の上に魔術師が必ずいる。
「もう少し先なのだけどね。由利羽さん 大丈夫?」
「ええ、大丈夫よ。外出するの久しぶりー」
「居留地の人も出入りする 隠れ家みたいなお店なの」
「へぇ、喜美子さん よくそんな所、知ってるわね」
「えぇ、中に入れば ハイカラなんて明後日よ」
街灯もあり、店や人通りが多いここで騒ぎを起こせば収拾がつかないだろう。だからこそここが今際の際だ、片桐警視はそう直感していた。コートのポケットに忍ばせた拳銃を指先で触れる。
今も軍部の連中が何処かで見張っているだろう。奥まで行って襲われれば餌として泳がされるのは自分自身。それならここで騒ぎを起こして 収拾せざるを得ない様にするまで…、嫌でも土俵に上がって貰う と考えていた。
「これは綾乃内様 偶然ですね。これは 白辺川様も。見間違えましたよ」
「これは片桐様、こんな所に 何用かしら」
「いい店があると聞いたので下見です、お二人は?」
「今度、開店する洋服店の お話しを聞いて頂くの」
「他にお友達もお呼びしてて 私達 急いでますのよ」
コートのポケットに入れた手は 拳銃の引き金に指が掛かっている。
派手なビラを撒いて口上広告をする男を先頭に 二人のジンタ(市中音楽隊)が列になって往来する人の興味を引こうとしている。そして ゆっくりと様子でも窺うように練り歩いて 此方へ向かってきている。後ろのジンタは明らかに現役の軍楽隊、ビラを撒く男は 平井 准士官 とは別の男だ。
「あ、そうそう忘れておりました 白辺川様」
「どうかなさいましたか 片桐警視様」
「先日、ご訪問した際に 当代からお借りした万年筆を持ち帰ってまい」
「急いでると申し上げたのに、ご自分でお返しすればよろしいのでは?」
「この万年筆です」
片桐警視は がなり立てる 綾乃内 喜美子 を無視して万年筆を手渡すと、インクが飛び出し 白辺川 由利羽 のドレスを汚した。これは片桐警視の仕込み道具の一つ。直前までどちらに掛けるべきか片桐警視にしては珍しく悩んだ。
「きゃーッ なんてことっ」
「失礼しましたッ、此方のお店でお水を」
左手で 白辺川 由利羽 を引き寄せ、コートに入れた右手の銃口は 綾乃内 喜美子 に向けた。
「動くな」
流石と言うべきか、背中に当たる物が銃口だと分かるくらいには鋭い。
「貴様には伝えたはずだ。これは軍の作戦だと」
片桐警視の背中に銃口を突きつけたのは、先ほどビラを撒いて口上広告をしていた男。軍楽隊の二人に 白辺川 由利羽 は左右を囲まれ、驚いた 白辺川 由利羽 はバッグを落っことしてしまった。
トスッ っと軽い音をたてて着地に失敗したバッグは 中の持ち物を綺麗に掃き出して 地面に広げた。
舶来品の棒紅や手鏡、白粉の缶などの化粧品、それと一緒に 刷り上がったばかりの洋服店の名刺が 白辺川 由利羽 の足下に 配られた持ち札の様に散らばった。
足下に 七枚 六枚 四枚 三枚 ──── 綺麗に並んだ名刺は一句を待ち惚ける
「むへやまかせをあらましといふらむ」
綾乃内 喜美子 は慣れし親しんだその光景に思わずそう口にした。すると静かに名刺の1枚が風に吹かれて背札をみせると、建物の合間から風が吹き込み 名刺を宙に巻き上げる。
月夜の解れ、目眩く星雨に相克せよ ────
一瞬のうちにして 五人の足元には 厚い霜が張り、目の前を 白い闇 が覆って吹雪く。その場を動けない。白辺川 由利羽 と 片桐警視は、誰かに手を引かれて白い闇から抜けた出した。
「銀座通りへ」
「へい」
タクシーに乗せられた二人は 運転手の横に座る 灯十間炉 の後ろ姿を見た。見覚えのある その後ろ姿に 片桐警視は思わずコートのポケットから手を出し 銃口を向けた。灯十間炉 は振り向きもせずにそれに応える。
「引き金を引くのは よしておいた方がいい」
「あぁ、すまん。分かった」
片桐警視は落ち着いて拳銃を仕舞うと走るタクシーから たなびく様な 灯十間炉 の後ろ髪を見つめた。白辺川 由利羽 はというと バッグを落としてきたことと お気に入りのドレスを汚されたことに憤慨しつつも、その眼を以って体感した幻術に 興奮してしまっている。
「お祖父様の言った通りだわッ。なんて素晴らしいのかしら‼︎」
「お嬢様、落ち着いてください」
片桐警視は立ち上がろうとする 白辺川 由利羽 を落ち着かせつつも、ゆっくりと鼓動を鎮める様に 自身も呼吸が深くなっていることを意識した。代々つづく 紬屋と付き合いのある名家も未だ幾つか残っており 白辺川家もその一つ。
*
一行を乗せたタクシーは 銀座通りを目指して走らせる ────
「もう一人 憲兵が居なかった、つけられているぞ」
「平井 とか言う軍人なら 眠らせて縛り上げた」
「見ていたのか?」
「片桐警視からの言伝として、別れた貴方の部下に留置所に入れさせている」
「貴様、何者? なのだ」
「自己紹介はまだだったかね」
灯十間炉 が帽子をとって振り返えると 片桐警視 も息を呑んだ。
「またお会いしましたね 片桐警視」
「君は… 」
「灯十間炉 様ーーッ、さっきの幻術、私にも教えて下さいッ」
「お嬢様、お立ちにならないで下さい」
片桐警視は張り詰めていた緊張がとけたのか、口元が少し緩んだ様に見えた。一行は銀座通りへ着くと 繁盛している喫茶店を選んで訪れた。一先ず温かいものを 白辺川 由利羽 に飲ませて落ち着かせた。
「あ奴らはどうなる?」
「残念ですが 綾乃内 喜美子 は苗付けされて久しい」
「苗付け? とは何だ」
「恐らく麦角菌の様なものの菌核を打ち込まれている」
「首筋の黒く広る染みの様なやつか?」
灯十間炉 は黙って頷いた。白辺川 由利羽 は二人の会話に好奇心をたぎらせて 身を乗り出し顔が近い。片桐警視 はウェイターを呼び ケーキ 持って来させると皿を受け取った。その間 灯十間炉 から視線を外さずに奥に座る 白辺川 由利羽 の前に置くと、灯十間炉 と見つめ合う。片桐警視は 黙認 すると判断し、白辺川 由利羽 のカップに何かを塗った。
ケーキを食べながら常軌を逸した二人の話しを聞く 白辺川 由利羽 は さながら活動写真でも見るかの様に釘付けで カップに口づけた。
「私、とっても眠くて…… zzzzzzz」
「心配ない。長くても10分で目を覚ます」
「いつもそんなことをするのかね」
「今だけだ」
笑顔の映える二枚紳士を演じつつ 平然とやってのける。まったく気の許せない男であるのは確か…… だが、灯十間炉 はその行動力に信頼をおきはじめていたのも確か。この男は 部下を巻き込まずに 禍りし物 に立ち向かう。恐らく初めて出会った夜も部下には待機させて一人で……。
夜の街で人を喰らう 魔女が出る噂は広がりはじめている。
「もう隠し通すの無理ではないのかね」
「開き直るのは性に合わないだけだ」
「あの名刺、お茶会の席で広げさせる予定が 少し狂ってしまった」
「君もご令嬢を囮にしようとしたのか?」
「まさか。由利羽殿のお祖父様からの依頼ですよ」
「ただの用事棒として雇われた… 訳でもあるまい?」
「魔術師を追っている。由利羽殿に接触してくる事は織り込み済みで」
「若い女性を使って有力者を誑かし 揺するのは今が初めてではないが… 」
「そうそう、綾乃内さんと 先ほどの あの者達は今頃… 」
幻術に嵌ったあの者達は、綾乃内 喜美子 が 禍りし物 と化して襲ってきたと思い込み 軍部の3名が銃弾を浴びせ 射殺。その後、自分以外は 禍りし物 に変貌するとの疑心暗鬼から 互いを撃ちあわせた。幸い軍部のエリートだけに 外さず全弾を互いに打ち込んで 紙術芝居は幕を下ろした。
「クーデターなど覚悟あってのこと、同情はせぬよ」
「紬 よ、魔術師とは何だ?」
菌核を打ち込まれたものは手足が溶け落ちる痛みを感じるという。そこへ モルヒネを投薬して手足の火照りと安息を与え続けると 体幹への渇望を激しく覚える。そしてそれを満たし続け 残す頭部に 幾何学的に配列した神の言葉を 眼を通して脳裏に焼き付ければ、魔術の媒体となる魔女は完成する。
この段階で菌核は体内で 子実体 を形成し 数秘術によって意のままに操れる。そして 禍りし物 への肉体変貌も可能とする。恐怖と痛みを感じない操り人形は 制圧させる事が困難だ。だがそれでも 動物としての限界を超える事は出来ない。
出来る限り 人の状態で息の根を止めて 苦しませずに幕を引かせたいものだ。
「本当なのか?」
「その昔、数を数えることも 人の社会に変革を齎した魔法とされていた」
「ああ、それが産業革命だ」
「指では折れん ものも世にはある、本来それは 秘匿とされるべきもの」
「オレに見せた幻術もか?」
「… どうだか」
「zzzz…、紬 様… には私がついて… いますか…Zzzzzz」
この後、白辺川 由利羽 を邸宅に運び込み 白辺川一族の当主である 白辺川 庄左衛門 に事の顛末を説明した。捕らえた軍部の平井 准士官 は 族誅を免れるため、自白と自決を条件にそれを嘆願。警察官や貴族院議員を多く輩出する 二条垣家 当主である 基康 公爵 承諾のもと その後のすべては闇へと塗り潰された。
灯十間炉 と 幻術 の存在を隠すため、平井 准士官 の捕縛と 白辺川 由利羽 の保護は 片桐警視によるものとしたことで 警視正 へと昇進を果たす。その後、苗床となっていた洋館で多数にも及ぶ 謀反人を捕らえたものの 下っ端でしかなかった。平井 准士官 を含め 魔術師が誰であったかを知る者はいなかった。
*
3月中旬も過ぎ去ろうとしていた ────
グリッグス大使は監視の目を掻い潜り、アメリカ本国へ 逃亡したとされた。だが 明らかに誰かが手引きした事は確かで、どこかに一連の騒動の魔術師が潜むのも確かだ。そんな折、華族会館にて軍部の有力者が主宰となって政党を組織するため、決起大会が開催されることとなる。
その大会に 白辺川家の当主、庄左衛門 も その名を連ねた。灯十間炉 は、白辺川 庄左衛門 のたっての願いで、孫娘である 白辺川 由利羽 に扮して懐刀として出席することを余儀なくされる。
「灯十間炉様、私に幻術を仕込んで頂けませんでしょうか」
「当代がお許しになりませんよ」
「私だって一緒に行けば 灯十間炉様のお手伝いを出来ますわ」
白辺川 由利羽 は 綾乃内 喜美子 の一件以来、『私も幻術を使いたい』と言い出す始末である。そしてもっと最悪な事態が起きてしまう。それは 白辺川 由利羽 が準備した 潜入用の服を試着するため 白辺川 邸宅を訪れていた時の事である。
「とっても素敵ー、もっと華やかなドレスの方が、」
「由利羽殿 警護の支障になるものは困ります」
「片桐警視正がお見えになりました」
「いらっしゃいませー」
「こちらですー」
『あっ、、』
あれ以来、顔を合わせていなかった二人が 鉢合わせた第一声はごく平凡なものであった。
「紬 よ、この度の事は 白辺川 伯爵から聞いている」
「致し方なく……、由利羽殿に成りすましてお供する事に」
「片桐警視正、まだご試着中ですよ」
「失礼、俺も一緒に出席するからその連絡にきた」
「関係者でなければ中には入れぬと聞いているので こうして… 」
「ああ、だから 白辺川 由利羽 殿の婚約者として参加する」
「なッ、なんですってーーッ⁉︎」
白辺川 由利羽 が憤慨したのは言うまでもない。二人が華族会館に出向くだけではなく、代わり身と 似非婚約者のカップルで出席するという 本人 蔑ろの仕打ち…。
「だったら私が、、、灯十間炉 様が婚約者として参加すればいいだけですわッ」
「お嬢様、落ち着いて下さい、遊びに行く訳ではありません」
「ぐぬぬぬぬッ、納得がいきません」
「お祖父様に直訴して参りますわ」
白辺川 由利羽 は勇んでラウンジを出て行った。片桐警視正 は、灯十間炉 に出席者の名簿を渡すと、右手軽く上げ いつもながら二枚目な笑顔で帰って行った。
それから数分後のこと。予想通りと言うべきか、白辺川 由利羽 が しよらしく なって戻ってきたのは…。
「由利羽殿 ……、大丈夫ですか」
「私が間違ってましたの」
「今回は特殊な事情故のことで 由利羽殿 に何かあってはと、」
「何をやっても駄目で…、叱られて… 」
いつも元気で 気さくな 白辺川 由利羽 は 灯十間炉 にとって 歳も近くて仕事以外の事を話す、唯一といってもよい女性。身分の違いがなければ 親しい仲になれたであろう人。不憫に思った 灯十間炉 は『おまじない』を教えることにした。
「由利羽殿、一つ、おまじない を覚えてみませんか?」
「えっ、おまじない…、覚えます」
「誰にも話してはいけません、お祖父様にも」
「はいッ」
白辺川 由利羽 の笑顔が 向日葵 の様に広がった。この喜怒哀楽の豊かさは、少なからずとも 灯十間炉 に 何かを与えていたのは確かだ。しかし これはあくまで『おまじない』、幻術の隠語だと勘違いしている節はあるものの 今はその方が良いだろう。
灯十間炉 の教えたものは 古くからある除災戦勝等を祈るものだった。
名刺を指一本分ほど空けて 縦6枚、横5枚 の30枚並べさせ。左上から隙間に沿って 横縦横縦と順番に指でなぞるだけである。その際に『臨兵闘者皆陣烈在前』を一文字づつ唱えるというものだ。
「はじめは紙に書いて覚えると良いですよ」
「分かりました練習しておきます」
「これは守りたいと願う時に使用する おまじない です」
「はいっ」
白辺川 由利羽 の 目の輝きに 罪悪感を少し感じる 灯十間炉 であった。
*
政党大会 二日前の昼下がり ────
白辺川 由利羽 は自室に篭って ひたすら『おまじない』の練習をしていた。名刺を素早く並べるために 持ち方を工夫し 唱える呪法も様になり始めていた。
其れも此も、政党大会へ出席するがため。
先日の 綾乃内 喜美子 と出掛けた際に起きた出来事は、鼓動の高鳴りは静まっても あの興奮を忘れさせはしなかった。天真爛漫で好奇心旺盛であっても 淑女としての容に押し込められる日々。そんな中、少女が主人公として悪漢を倒すという 読み古した物語の真ん中に自分が居たのだから ときめきが止まる事などなかった。
そもそも 灯十間炉 を呼んだのは 白辺川 庄左衛門 である。旧知の仲である 二条垣一族の 若い娘の一人が行方不明になったからだ。それは 魔女となって企業の有力者宅や 居留地で人を喰らった事案が立て続けに発生していた矢先であった。
白辺川 由利羽 が 過去にこっそりと覗き見た 庄左衛門 の蔵書の中に 術師に纏わる禁書があった。
その昔、宣教師が持ち込んだ魔術で 魔女を生み出し、色事を利用した要人暗殺をしていたのだとか。これを阻止し続けるのは困難であった。要人暗殺の為に 討死覚悟の手練れを送り込む 和式とは異なり、魔術師本体は 常に安全な所にいて 魔女となったものを使い捨てていく…、実に合理的な洋式は 暗殺革命そのものであった。
宣教師達が 魔女を現地調達するのを最初に阻止しようとしたのは1500年代後半頃。日本の術師は 厳しい修行に耐え 更には門外不出であったため、魔術師への粛清政策の中、その数を減らしていく事となる。
江戸時代に入ってからは 公家の者達が 数を減らす術師達を囲い込み、隠れ蓑として商いをさせつつ 怪奇事の始末を依頼したとされる。
白辺川 由利羽 が 灯十間炉 にはじめて会ったのは、祝い事の 引き札 を刷って貰うためだった。その容姿から 禁書は 御伽話の一つだと思っていた。 その後、洋服店を開業するにあたって 白辺川 庄左衛門 が 灯十間炉 を何かと呼ぶ様になり、綾乃内 喜美子 から会食の誘いがあった時には 白辺川 庄左衛門 立ち合いの元、灯十間炉 に名刺を並べる練習をさせられた。
短時間で 札の配置を覚えさせる必要があったため、子供の頃によく遊んだカルタを応用したもので 術を使用すると 灯十間炉 が 白辺川 庄左衛門 に提案して 引き札 が名刺になったものを渡されたのは つい先日の事。
灯十間炉 の神秘性には興味はありつつも、幻術というものは半信半疑ですらなかった。それまでは……。
だからこそ この『おまじない』が、白辺川 庄左衛門 だけではなく大会に参加する者達を守ると信じていた。
*
政党大会 前日の正午 ────
灯十間炉 は、使用する 引き札 を選んでいた。
引き札 は一度 幻術として使用すると失われてしまう。丁寧に造った 引き札 は立て続けに使用すると あっという間に 手持ちが無くなってしまう。以前は、贔屓にしてくれる人も多く、彼方此方で 引き札 を貼った家に店、塀や壁があり、それらも利用していたが、もうそんな時代ではなくなった。
明日の政党大会は 敵味方となる者が入り混じると想定していた 灯十間炉 は、幾つかを見繕う。
場に釘付けて移動 出来なくする 引き札。対象に まやかし を見せる 引き札。相克させる 引き札。故人と引き合せる 引き札。相対死にさせる 引き札。
それと後一つ、己れと指し腹させるための 引き札。
その頃、白辺川 由利羽 は、片桐警視正の元を訪れていた。
「何度言われても出来ません、お嬢様」
「私も 灯十間炉 様に、『おまじない』を学びました 本当です」
「どの様なものですか、それは?」
「それは誰にも言ってはいけないと…。だけど、」
「信じられませんし、信じたとしても 白辺川 伯爵がお許しになりません」
「それでは取引を しましょう」
灯十間炉 は、作業場で一人 お茶を淹れていた ────
『名』が人を繋ぎ止め合って『枷』となる。それに抗うことは 無駄であると割り切っていた。『名』が違えば その関係性が変わるだけで 自分が変わる訳ではない。誰に幻術をかけたとしても、魅せた芝居は 紬 灯十間炉 が紡ぐ 夢幻である事に変わりはない。
それは 十代目 紬屋 を自負しているからに他ならない。
先日、白辺川 邸宅 をあとにする際、女中頭から手渡された 茶菓子を口入れて 頬っぺたを くるくる と摩ってお茶を飲む 灯十間炉 は、特別な者ではなかった。時代がそうさせたのだろうか……。
*
政党大会開催の夜 ────
大会参加者の中には 徳川一族の元家臣であった、榊平 忠政 がいた。士族から大成した数少ない一族。政治家だけではなく、貿易や銀行など手広く幅を利かせている一族だ。後継者となる 和政 と出席している。
灯十間炉 は 事前に名簿に目を通していた。名前が表記されたマスの中に、片桐警視正とその部下が 調べ上げたであろう 何かを表す記号の様なものが 所狭しと書き込まれていた。だが、この 榊平 忠政 と 和政 の二人のマス目だけは なんの記載もない 綺麗な体裁をしている。
誰も知る事が出来ない人物 ────
灯十間炉 が期待されている事は それを覗き見ること。片桐警視正は、会場に入った後、姿が見えない。一緒にいない方が 灯十間炉 が成すべき事に対して 都合がいいと見越しての事…… なのだろう。
「お嬢様、ご機嫌いかがですか?」
「はじめまして」
「何を飲んでいらっしゃいますか?」
「お茶を頂いてまして」
十中八九、灯十間炉 に近づく男性は その琥珀の瞳の中に閉じ込められてしまう。早くも 榊平 和政 が 灯十間炉 の瞳の中に自身の姿を映し続けようと、あの手この手と 灯十間炉 の視線を釘付けた。
「お祖父様が決めた婚約者で… 私あまり知りませんの」
「そうなんですね。家柄がいいと何かと大変ですね」
「この様な会は 苦手で…… 」
「2階の一室をリザーブしてるのでよかったら、」
「りざーぶ?」
「あぁ すみません、使用出来る様に予約していまして」
「りざーぶ と仰るのですね」
「先日までイギリスの方に行ってまして つい」
案内されるがままについて行く 灯十間炉 であったが この男に違和感を覚えていた。片桐警視正に勝るとも劣らない二枚目で がっしりとした体格、とても紳士的な振る舞い。海外生活が長いからなのか?
白辺川 由利羽 でさえ 聞いたことのない…… 誰も知らない男。
「大会は老人に任せて、こちらで寛くと良いですよ」
「ええ」
「飲み物を取ってきます」
「お気遣い ありがとうございます」
榊平 和政 は部屋を出て行った。
「……、香の匂いがする」
灯十間炉 は息を止めてドアノブを回すも 明らかにその裏側からノブを回せない様に 握り締められている。灯十間炉 は、片桐警視正に知らせるべく 大声を出そうとして喋れなくなっている事に気がついた。危機から逃れるため 窓から飛び降りようとノブから手を離した瞬間、ドア が開き 腕を掴まれた。
「紬屋 の跡取り、名は 灯十間炉 君だったかな」
「 」
「残念ながら喋ることは出来ない。だからよく聞け」
「 」
「私も長い間、日光で修行をしていてね」
「 」
「口の他に、目と耳を塞ぐ事が出来る」
「 」
「君は 私の話しを聞く必要がある、分かるな」
「「────────」」
灯十間炉 は目が見えなくなった。喋れない上、目が見えない。身体が硬直している。
「そう、それでいい。恐怖というものは受け入れれば楽になる」
ドスッ 腹を殴られた 灯十間炉 は地面に横たわると、暴行される恐れから丸まった。
「実に正しい。君は優秀だ。置かれている状況をよく分かっている」
「どんな気分か想像 出来るよ。いや、嘘だ、想像を絶するからなッ」
蹴りつけては、踏みつけて 灯十間炉 の周りを歩き続ける。この男の体格からすれば まだ殺す気で踏み切ってはいない。とはいえ 灯十間炉 は気絶していた。
「起きろ。君も修行は相当 厳しかったはずだ」
「 」
「君の母方の一族は絶家している。家の再興はもう無理だ」
「 」
「屋号も怪しそうだな。そのなりでは無理がある、そうだろう?」
「 」
「君なら無能なジジイ共を誑し込み、幻術に嵌めて揺する事は造作もない」
「 」
「幻術なら外国人相手でも一方的にやり込める、君の価値は更に上がる」
「 」
「少しだけ自由のある犬になるか、壮絶なお仕置きに耐える犬になるか 選べ」
「」
「いいだろう。今から菌核を挿入する」
その時、耳をつんざく爆破音がした。壁の一部を爆破し警官隊が突入してきていた。
「紬ッ‼︎ 遅れてすまん」
「何だッ、何だ貴様は‼︎ 軍部の連中は何をしているッ」
扉口から銃口を向けた 片桐警視正だが 部屋の中に入ろうとしても入れない。榊平 和政 に向かって二発撃ったが弾が部屋の中で掻き消されている。
「邪魔立てしても無駄だ。ここは 密境 だよ」
菌核を刺し込むため 首筋が見える様に 髪を掴み上げられ 跪かせる。
姿あるものが見えない、祈る言葉を発せない ──── 為す術がない。
「灯十間炉 様ッ! 只今 お守りしますッ」
片桐警視正を追いかけてきた 白辺川 由利羽 が 部屋の出入口の前にしゃがみ込み、手際よく廊下に名刺を並べはじめた。30枚目の名刺が並べ終える音を数えた 灯十間炉 は手の平で地面を叩く。
すると 碁盤目状の 一枚の紙面となって 白辺川 由利羽 の目の前に立ち上がった。目も見えず、口も聞けぬ 灯十間炉 であったが その所作と言葉は聞き取れた。
灯十間炉 は 白辺川 由利羽 と動きをあわせて 印 を斬る。
『 臨 兵 闘 者 皆 陣 烈 在 前 』
望郷に来れ、戮くし兵に帰伏せよ ────
灯十間炉 の足元から鎧や甲冑を死装束とした兵どもが湧き上がる。白辺川 由利羽 が守ろうとする者を『傷つけ様とする意思』に 弓 刀 槍 は一斉に向けられ それを貫く。そして貫いた意思を 黄泉の国へと引きずり込んで兵は去っていった。
失ったものが悪意であろうと 榊平 和政 が失った自我は大きく 自己喪失してしまい 抜け殻の様に立ち尽くしている。
術が解けた 灯十間炉 は視力が回復し、ようやく喋れる様になった。
「何を、」
「紬 説明は後だッ‼︎」
三人は大急ぎで下の階へと向かうと 死傷者を最小限に抑えて 警官隊が制圧済みだった。白辺川 庄左衛門 も無事であったが、二条垣 基康 公爵 を人質にした 榊平 忠政 は数名の部下を盾にして 追い詰められているところだった。
榊平 忠政 は 死返玉 を取り出す。
「おとなしくしろッ」
「降伏しろッ」
「殺さずに法廷に突き出せッ」
「手を上げるんだッ」
警官隊 各々が 牽制して詰め寄る。
「お主がその様な物を手にしていたとは」
二条垣 基康 は問いかけたのか 納得したのか? そう言うと 榊平 忠政 は答えた。
「わし等が創ってきたものは民衆などではないッ 國體である‼︎」
その後、榊平 忠政 は部下達を 禍りし物 へと変貌させて 警官隊と玉砕覚悟の銃撃戦となる。その間に 二条垣 基康 を盾に奥の広間に後退した 榊平 忠政 が 十種神宝の一つを使用し 未曾有の事態を招く。
当時、警視正であった 片桐 章一郎 が、榊平 忠政 を射殺し 二条垣 基康 を救出。警官隊急襲の手引きをし、現場の陣頭指揮や 被害を最小限に留めた功績を評価され 民間では異例の 警視監 となった。
騒ぎは民衆に広く知られる事となったが 政府からの公式発表は 民衆の興味を掻き立てるものではなかった。隠蔽や陰謀が噂され 次第に民衆の怒りは 政府へと向かい 権力者を排除する うねりは勢いを増し続ける。
ご愛読、ありがとうございました。
今回は短編作としたので、ご都合展開でドタバタと纏めましたが 如何でしたか?
初の現代ファンタジー創作品です、結構悩み 手が止まってしまいした。物語背景として大正ロマンを選びましたが、歴史考証が怪しいところはご容赦ください。
今後とも応援よろしくお願いします。
それでは皆さま バイバイ